ここは地底だ。日比谷の大正電力地下道を右に左に、下に上に案内役の総務部長水先は笑顔で大正電力の歴史をとつとつと語りながら迷路のような地下を地図もなしに歩いていく。まるで映画の世界のようだ。でなければ、鍾乳洞体験ツアーとでもいおうか。大きな水道管並みの電気パイプが天井をぬうようにして張り巡らされ、正確な機械音を立てている。
「昭和@@年大阪万博。パリ万博での我が社の展示はお話しましたね。かのパリ博以来と呼ばれる盛況ぶりで万博は日本の技術力と名前を世に知らせることになるわけです。アメリカ館や、ロシア館が二大パビリオンでしたが、大正電力は民間企業として一番の入場者を記録しました。そのときの展示物は、JRと共同開発したかのリニアモーターカーでございます。」やっと70年代まできた。初日から数えると何時間話してくれているだろうか、最初はメモをとっていたが、さすがの私もその余裕はない。しかし大正電力と日本の最盛期の話は社史の盛り上がりの部分だけに楽しかった。それ以上にこの地下世界の雰囲気と疲れに顔をくもらせていた。
「この地下の電力基幹は大正電力の要、いわば南雲社長の心臓です。」
その言葉に切れた集中力が戻ってくるのを感じた。
そうして15分ほど歩いたろうか、壁にとけこんだような灰色の扉の前で水先が止まった。「ここです。」部屋の中からなにやら男の声が聞こえる。数人いるようだ。
「まだ、旅順は落ちないのか、旅順口のロシアを落とさねばわが国の勝利はない。バルチック艦隊はインドネシア海峡を越えたと報告あり、急がれよ」
「ここの社員は少々変わり者ですから、今回は私も同席させていただきましょうか。」
「いえ、内部調査ですので、ここは私一人で」
「・・・そうですか。分かりました。では仕事もありますので総務室にてお待ちします。」
水先はそういうと、またせかせかウサギに戻り時計を見ながら、もときた道と違う方向へ向かっていった。部屋からはまだ、声が聞こえる。
「北緯33度10分 東経128度10分 信濃丸からの伝令が走る。」
『敵艦見ユトノ.警報ニ接シ、連合艦隊ハ直ニ出動。コレヲ撃沈セントス、本日天候晴朗ナ
レドモ波高シ』
居住まいを正して、灰色のドアをノックした。返答はない。手が痛い。この扉はコンクリ
ート製なのか。部屋の声は一段と大きくなる。
「皇国の興廃、この一線にあり、各員一層奮励努力せよ。全館に戦闘配置につけ。」
「すいません。@@さん。明智MKの小林です。」反応がないので、こぶしでドンドンと扉をたたいた。部屋の声は続く。
「東郷長官が乗る旗艦“三笠”には、決戦をつげるZ旗が翻った。」
小林は灰色の扉にボタンらしきものを発見した。そうかブザー式なのね。すぐさま、ブザーをならした。
「敵艦縦列にて直進し、まさに双方すれ違おうとするとき、だからちょっと待って」
小林のブザーにさえぎられつつも、声は続く。
東郷元帥 左面舵イッパイ。伝説の残る東郷ターン!
「お取り込み中のところ、すいません。明智MKの小林です!」
連続ブザー攻撃にようやく気がついたのか、ばたばたと何やら片付ける音がして、静になった。そして重たい扉がゆっくり開かれた。
暑い、そして男くさい。それを口には出さず。目の前の男に頭をさげ、再度挨拶した。
「明智MKの、小林です。」
カメムシ。たぶんもう何度となくそう呼ばれたであろう顔をした30代の細身の男が小林の前に現れた。少々起こっているようだったが、やがて珍しそうに笑顔を浮かべてぽろりと小声でもらした。「女性だ。しかも若い。」
5分も経過せずに、男は打ち解けた。
「技術大国日本の未来は明るいですよ。知ってます?海底ケーブル。地下電柱。国と国、地下、電気とインターネットが通っていないところはまだこの地球上にたくさんある。つまり市場はまだまだ未開拓だ。」
「ずっとこのサーバールームにいるんですか?」
「ええ。僕ら30代はネット世代。僕はこのサーバールームの住人。」
「暑いですね。何度あるんですか。」
「今は35度くらい。夏場は40度近くなることがあります。やりがいですか。」
「え、どうぞ。」
「僕にとって一番心地が良い場所。それ以外にありません。強いて言えばですか?」
「人知れず穴倉で作業して、お客さんは涼しい顔してネットですいすい。いやビジネスの根幹を担う大切な任務にやりがいとかんじております。おっと、すいませんいですか」
「はいはい。こちら某巨大企業サーバーセンター。おいおい、まだれっきとしたビジネスタイムだぞ。・・・まあな俺にビジネスタイムもプライベートタイムもないさ。・・・うん。土曜は駄目だよ。だいたいサーバーメンテで事実上営業日なんだから。日曜にしてくれよ。どうせなら、ここでやるか。うそだよ。」
どうやら、サーバールームの住人は友人と休日の遊びの話をしているらしい。厳しい環境でもお気楽な人がいるもんだ。いや、水を得た魚はどんな水でも生きれるのか。
「あ、ちょっと小林さん。そこ踏まないで、駄目それ。100万ボルトじゃきかないよ。感電しちゃうよ。でも待って、動かないで、動くと・・・」
「え?」
小林はかえって慌ててその場から飛びのいてしまった。真っ暗になった。どうやらまずいことをしたようだ。
「動かないでっていったのに」
懐中電灯を下から照らした@@がぬらりと顔をあらわした。
「きゃっ!」
「大丈夫、10秒以内にリカバリーするようにセッティングしてるから。」
「すいません。責任問題ですよね。」
「いやいや、私こう見えてタフですから、お叱りを受けても全然気になりません。というか、私以外ここの管理人なんてできるオタクはいませんから。まあ神様も、いや南雲様も私の常日頃の行いに対してこんな特別ボーナスをくれるなんて」
もしこの人がこの部屋で人知れず倒れたら、どうするのか。そんな労働集約的な体制でいいのか。これこそ、日本型経営の悪しき慣習・・・電気が戻り明るくなった。気がつくとオタクの@@はほぼ自分の目と顔をつきあわせていた。
「きゃあ!」
小林は先ほど以上の叫び声を上げ、逃げようとこころみた。それを素早く制して、基幹システムの電源を守りながら、@@言った。
「危ない、危ない二回も同じミスをおかすところだった。しかし失礼しちゃうね、まるで人を化け物のような目で見て。」
「すいません。」
「いいですよ。この部屋に小林さんみたいな綺麗な女性が来たことだけでも。南雲社長に感謝すべきなんですから。」と部屋の入り口上の飾られている南雲社長と社旗に向かって敬礼した。今まで会った中で一番おかしな社員だが、目は真剣そのものだ。最先端技術者の若者をここまで心酔させる南雲新三郎の威光を感じた。カリスマなどと、表面的におだてる社員や、古い軍人経営者と非難する反対派の人間よりも、オタクの技術者の方が真剣な敬愛の感情が伝わってうれしくなってきた。
「さあ、これでおそらく小林女史の質問に答えずとも、答えは出ていると思いますが。」
「南雲新三郎社長はもともと海軍の諜報技術技官でありました。ご存知か?」
「そうなんですか。」
「ここにきたかいがあったでしょう。」
「はい。」
表情を緩めて手を握られながら、小林は確かに精神的な何かを得た。しかし改めて歴史と、秋葉系、オタクと技術は密接に結びついていることに気がついて手をふりほどこうとした。
部屋にはさりげなく、目立たない形でガンダムや戦艦大和の模型。信長の野望、太平洋戦争などのゲーム機、そして海軍とおぼしき制服、女の子のフィギアがそこかしこに、見うけられた。さきほど部屋に入る前の声は、一人海軍ごっこだったのかも。小林はとっさに手を離そうとしたが、さらに強く手を握り返された。
「手を離していただけますか。」
「社長に会われたんですよね。」
「はい、一度だけ」
「なんと、私なんぞは入社以来テレビでしかお顔を拝見しただけなのに。」
「・・このインタビューをまとめて報告する際にまたお会いします。」
「東郷いえ、南雲連合艦隊司令官にしかとお伝え願いたい。」
あなたの趣味のことをですか、といいそうになったが、小林はそれを堪えた。声を裏返しながら、@@が言った。目は真剣である、それがゆえに少し怖い。でも程度はさておき、こういう信奉者がいるから大正電力は生きている。
「平成12年“入隊”の@@@最後までお供つかまつりますと。」
「はい、伝えておきます。」
「では、これにて」
やっと手を離した@@は仕事に戻ろうとする。小林は急いで、かつ複雑にいり込んだ電線などを踏まないようにして出口を開いた。さっと心地いい風が吹いてきた。少し滅入りかけた気持ちをオタクの南雲信奉者に勇気付けられてやる気がでてきた。勢い良くドアを閉めると、次の聞き込み先に向かった。しまったドアの向こうで何かが壊れ、オタクの嘆き声がしたが小林には聞こえなかった。
忘れていた。電力機関室は地下の迷路だ。案内人の水先に待ってもらえばよかった。いや一緒にオタクの管理人と面談すればよかったのだ。「内部調査なのでここからは私だけで」そう見得を切った自分を恨んだ。そのとき今まであらゆる部署を時間を無駄にすることなく回ってくれた案内人の水先の悲しそうな顔にわびた。次のアポの時間をとうに30分も過ぎている。もう1時間以上はこの地下の迷路をうろうろしている。@@が住んでいる電力機関室も何度も通り過ぎた。携帯はつながらない。アポをすっぽかされた社員はさぞかし、怒っているだろう。
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