「おもてなし」という言葉がことに有名な日本語の一つになった感じがする。
料理を趣味にしてから久しく、古くからの友人を家に招いて
食事を振る舞うことが往々なる昨今の趣味となった。
だれがこの家にやってくるかで、他の招待客を考える。
例えば最初に決まったのがAさんだったとしたら、その人の話に
ついていけそうなBさんやCさんを思い出して連絡をする… というわけだ。
Aさんと、まったく話の合わない別の人を呼んでも
「自分が料理をしている間の話が持ってくれない」。
(それは、料理にかけられる時間が別の気遣いに充当されてしまい
ひいては「自分の考える時間配分」で 作業をこなせなくなってしまう)
つまり、誰をお呼びするか…というところから
その日の食宴は計算されているのだ。
食宴をもって客人をもてなすには
「おいしく料理を作る」こと以外にも、大事な要素がある…と最近良く思う。
それは
コメント
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段取り八分という言葉がありますが、まさに計算しつくされた段取りであり
しっかりとした熟慮による対処が成され宴が成り立つのですね。
お客さんにリラックスした楽しい時を過ごしてもらえるように、
出された料理を目の前にした時の嬉しそうな顔やびっくりした顔を想像しながら
それを考えている事務員さんが目に浮かびます。
根っからの「もてなしびと」であり、それは取りも直さず相手を想う「やさしいひと」
なのだなと思います。
(ID:36679464)
子供の頃はご飯が出来たら冷めても気にしてなかったのですが、自分が母親になって子供に温かいうちに食べなさい!と何度いうことでしょうか。。。(苦笑) もう一度温め直したり作る人の手間やら色々考えるようになりますね。
母と食事に行きますとタイミングを図って自然と出されるお料理の味はもとよりその空気感までが美味しく感じてきます。
Gさんもその時の空間を一番大切になさってるんだなあ。って思いました。
Gさんの料理、もてなしの話を読んでますと『みをつくし料理帖』高田郁さんの小説とかぶります。江戸の人情味たっぷり、お料理の美味しそうな描写とても引き込まれますよ。