武藤 のコメント

先生と時浦さんのブログにあった「君臣の分別」について少し。
これを唱えた元祖は孔子だと思いますが、当時の中原。春秋戦国時代の大陸は臣下が主君を殺す。親子で殺し合うことが『左伝』を読む限りは、結構行われていたみたいです。
孔子の出身国である魯は周公という偉大な名君が治めていた国でしたが、臣下が主君に成り代わり政治を行っていました。
この状況を打破する為に堯舜が治めていたような国づくりをするために孔子は儒教を道徳的にしたものと思われます。
当時の日本はかなり儒教の知識は帰化人により入っていました。その為に道鏡の事件は支那の放伐、禅譲を彷彿させ、皇室内部、貴族階級はかなり危機感を抱いたと思います。
天壌無窮の神勅。天照大御神の子孫が治める国が日本である!が何度も歴史上で湧き上がりました。
これも、日本は支那の二の舞にはならない!という強い意志が働いた祖先の意志だと思います。
男系派はそこらへんの知識がゼロ、四書五経の知識がゼロだから、頓珍漢なことしか言えないんでしょうね。

No.35 105ヶ月前

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