こいら のコメント

こいら
No.9 (2015/10/27 18:02)
私は法学部出身なので、憲法って民法や刑法みたいに法律の一種ではあるけれども、それらの法律を総覧する最高法規であることを大学の授業で学びました。だから法律の中でも少し高級なイメージはありますが、そこに例えば理想や道徳と言った「観念論的なイデア」とでも言うような神聖さを見出せるか?と問われれば疑問です。
あくまでも法律とは官僚や弁護士が社会のルールを決めて、制度をうまく運用するための道具なので、そこに個人の形而上的な観念が入ること自体、変な話なのです。
理想や道徳とは、個人が集団と折りあいをつけるためにそれぞれの心の中にあるイメージみたいなもので、それをたとえ憲法であったとしても決められた条文の文言の中で定義するのには限界があります。あくまでも国民と国家の約束事みたいなものが憲法であって、平和主義とか基本的人権とか、左翼受けする文言でさえ国民一人一人で捉える価値観は違うはずです。国民の心の中というか、観念の中まで憲法理念が入り込むことは不可能です。
同じ無理が憲法を道徳の規範と捉える保守の側にもあります。道徳というか憲法の条文の中に「公共の福祉」という文言が何回も出てくるし、憲法のみならず民法でも「公序良俗」や「信義則」と言った公の信頼のために法律を運用すべし、という理念はあるし、刑法や民事訴訟法、刑事訴訟法、商法などのその他の法律も全て、「公共」とか「公」のことを意識して制定されたり運用されたりするのが常識になっています。
理想や道徳は誰か特定の声が大きい人が先導して唱えて、それに人々がついていくという概念ではないと思います(ハンナ・アーレントなんかこの付近の話に詳しいと思います)。要するに個人の私欲のぶつかり合いを制御するのが法律であり国家であるので、そこに特定の人の理想や道徳が介在する余地はないと思われます。
平和であることはある意味市民の理想であり、道徳が保たれた状態は為政者にとっての理想です。しかし我が国においてはそれは法で規定されたものというよりは、天皇陛下の元に庶民が、外敵の侵入もなく日々働くことで共同体を維持してきた歴史の智慧みたいなもので、仮にその理念の先に今の憲法があったと仮定しても、世界標準にはならないと思われます。

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