monmon のコメント

SAPIO6月号の「大東亜論」読みました。
武部小四郎の「行くぞぉー!」と天に届けとばかりに絶叫するシーン、「わしズム」に連載された時より凄く迫力があり、衝撃でした。武部の「行くぞぉー!」を生で聞いてみたかった、と思わず考えてしまいました。
奈良原至の「あの声は今日までわしの臓腑(はらわた)の腐り止めになっている」という言葉には考えさせられました。人間は苦しくなると、つい誰かに甘えたくなったり、周りの人間や環境に責任転嫁し、安易に楽な方向に行ってしまう事があります。そうならない為に人間は一つでも、「臓腑の腐り止め」になる思想や言葉を持つ必要があるんだと思いました。
「大東亜論」を読んでいて最近よく感じるのは、現在も世間一般で広まっている薩長を中心とした「明治維新」を見直してみる必要があるのではという事です。
「大東亜論」では薩長藩閥政府の堕落ぶりがよく書かれていますが、それも当然と思うようになりました。「尊王攘夷」といいながら御所に大砲を打ち込んだり、討幕の密勅や錦の御旗を捏造した長州や薩摩に、権力をとった後の明確なビジョンなんてなかったと思います。だからこそ近代化の名の下に欧米には媚を売り、清・朝鮮には恫喝外交のマネゴトを行うしかなかったのではないでしょうか。
頭山満や玄洋社の人達は藩閥政府と違って、アジア人に対して「上から目線」ではなく「アジアの同朋」として徹底的に向き合っていたんだと思います。そこを感じ取る事が、福沢諭吉の「脱亜論」を超えた日本と中国・韓国との関係を構築するカギなのではないかと今は考えています。
最後に余談ですが、最近ある本で晩年の頭山が満州国建国の記念式典の出席を拒否した事や、頭山の盟友・内田良平が日韓併合を「朝鮮民族に謝っても謝りきれない」と悔いていた事を知りました。小林先生がブログで書いていた、日韓併合の道義的側面やシナ事変の泥沼化を反省しているというのは、それと関連しているのかと思いました。
長文にて失礼しました。

No.90 117ヶ月前

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