>>40 ごっさん 神回と言われた先日のゴー宣道場を動画で拝見し、 その中で小林よしのり先生が『とにかくこれからは、モノを考えるチャンスを逃がさない方がいい。そうしなければ、どこに連れて行かれるかわかったものではない』と仰っていたのが印象的でした。 モノを考える上で「当事者意識を持つこと」がいかに大切なことか常々感じるのですが・・・、私はそれがなかなかできない未熟者です。 そんな私ですが、ごっさんの文章を読んで、 「もしも自分の子供が・・・」と頭を巡らせることは、 「当事者意識を持つこと」の第一歩のように感じました! ごっさんには、モノを考えるチャンスを頂き、感謝です☆ では親の立場、子を見送る側から考えてみると。 『日本の歴史にとって意義のある戦争』に 子が覚悟を決めて前線に赴こうとする時であっても、 きっと「公」と「私」をゆさぶられることになるでしょうね。 葛藤が無いなんてことは考えられないです。 だけど、宿命を受け入れて運命を切り拓くという「主体性」に基づく戦争ならば、見送る親としても「覚悟」を固めることができるのではないかと考えます。 ところが『アメリカの侵略戦争を支援する戦争』となると、 そこには主体性など無い。 【武士として赴く戦争】と【足軽として赴く戦争】とでは 国民としての「覚悟の質」が大きく変わってしまうと思います。 ここで以前のゴー宣で述べられていた 『どこかに「国家」という得体の知れない怪物がいて、それに人々が洗脳されていつのまにか「国民」にされているというのではなく、「国民」が国を動かす主体なのである。』 が思い出されます。 やはり【戦死者の祀り方】は、 国と国民の関係性の根本に係わることだと思いました。 そしてこの国の「主体」が、一体どこにあるのかが鋭く問われる事柄だと感じます。 日本が『独立国』なのか『属国』なのか その分水嶺になりえる問題だと思いました。 だから私は、日本は独立国としての戦争以外は、 絶対にしてはいけないと考えます。
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(ID:13193453)
>>40 ごっさん
神回と言われた先日のゴー宣道場を動画で拝見し、
その中で小林よしのり先生が『とにかくこれからは、モノを考えるチャンスを逃がさない方がいい。そうしなければ、どこに連れて行かれるかわかったものではない』と仰っていたのが印象的でした。
モノを考える上で「当事者意識を持つこと」がいかに大切なことか常々感じるのですが・・・、私はそれがなかなかできない未熟者です。
そんな私ですが、ごっさんの文章を読んで、
「もしも自分の子供が・・・」と頭を巡らせることは、
「当事者意識を持つこと」の第一歩のように感じました!
ごっさんには、モノを考えるチャンスを頂き、感謝です☆
では親の立場、子を見送る側から考えてみると。
『日本の歴史にとって意義のある戦争』に
子が覚悟を決めて前線に赴こうとする時であっても、
きっと「公」と「私」をゆさぶられることになるでしょうね。
葛藤が無いなんてことは考えられないです。
だけど、宿命を受け入れて運命を切り拓くという「主体性」に基づく戦争ならば、見送る親としても「覚悟」を固めることができるのではないかと考えます。
ところが『アメリカの侵略戦争を支援する戦争』となると、
そこには主体性など無い。
【武士として赴く戦争】と【足軽として赴く戦争】とでは
国民としての「覚悟の質」が大きく変わってしまうと思います。
ここで以前のゴー宣で述べられていた
『どこかに「国家」という得体の知れない怪物がいて、それに人々が洗脳されていつのまにか「国民」にされているというのではなく、「国民」が国を動かす主体なのである。』
が思い出されます。
やはり【戦死者の祀り方】は、
国と国民の関係性の根本に係わることだと思いました。
そしてこの国の「主体」が、一体どこにあるのかが鋭く問われる事柄だと感じます。
日本が『独立国』なのか『属国』なのか
その分水嶺になりえる問題だと思いました。
だから私は、日本は独立国としての戦争以外は、
絶対にしてはいけないと考えます。