よしりん師範、時浦師範代、みなぼん編集長、スタッフの皆様、今号も執筆・編集・配信ありがとうございました。 124号では失礼なことを致しましたので3回ほど断筆しておりましたが、128号より復帰させていただきます。断筆が不完全だとか言わんでクリませ(笑)。 今回ほど第2部の公開が待ち遠しい道場は、宇野氏&古市氏が来られた回以来だと思います。また、久しぶりに堀部師範が来られた今回は、「日本は属国である」ということを真正面から捉え、そのことを「これでもか!」と訴えかけており、これが心に響かなければ、そして悔しいという感覚が心の底から湧き起こって来なければ最早日本国民ではなく、日本人ですらないと思います。ゴー宣でも一部が紹介されていますが、質問も非常に高度なものが揃ったようですので、なおのこと第2部公開が楽しみです。 さて、私はよしりん先生と副島隆彦氏の雑誌「諸君」での対談から氏に興味を持ち、『属国日本論』シリーズなどを読んでいましたので、日本が属国であるという認識には全く違和感がありません。米軍基地も日本を守るためではなく、日本人が再び米国の敵とならないよう抑えつけておくために存在するビンの蓋だという認識も持ち続けています。 ただ、副島氏のユダヤ陰謀論に流れる傾向や反米のあまり親中になる傾向、および「人類の月面着陸は無かった」論などは非常に危険だと考えています。というのも、あーいうトンデモさんだから「日本は属国だ」などと書いても許されるんだなーという印象を広く世間一般の人に与えてしまうからです。 しかし今回の道場では、おそらく日本で最も正しい認識を持ち、そして最も影響力のある時評漫画を描く人物が主催する集まりで「日本は属国だ」ということを多角的に論証されたのですから、そのインパクトは相当なものだと感じます。 そしてまた、日本人の大部分の認識が現状において「日本は属国だ」というモノに変わったとしても、現在の政治状況を見れば「どうせ何も変わらない」というニヒリズムに陥りそうなのですが、今号のゴー宣ではそれを乗り越える希望となる考え方も提示されています。例えば近隣諸国条項が存在したまま歴史教科書の記述から慰安婦が消え、逆に通州事件が載った事実は空気の変化がもたらしたものだから、真に米国から独立したいという意見が多数派になればそれも可能だと確かに思わせてくれます。この点が、絶望の結末だけを見せたり(船瀬・フルフォード)、実現可能性の薄い希望を見せたり(副島)、明後日の方向を志向したり(輿水)する凡百の「属国論」とは一線を画していると感じます。 例えば、副島氏の反グローバリズム本では「日本は属国だ」と盛んに言うわけですが、ではどうすればいいのか?という段になるといつもあやふやになり、ラストでは官僚に向けてなのか一般国民に向けてなのか判らない書き方で「ばれないように国を閉ざせ」と訴えます。おそらく氏は自分の言論の力に限界を感じているから、あのような書き方にならざるを得ないのでしょう。もっとトンデモさんになると選挙の票を計測する機械がインチキだから、あれを何とかしろみたいなのがありました。 さて、よしりん先生の『戦争論』は、1作目から最新の『新戦争論1』まで一貫して米国からの独立を志向するものであり、空気を変えてきた力の源泉は確実によしりん先生の作品群だと考えます。また『大東亜論』はこれに歴史的正統性を与えるものだと思います。先生の作品群には空気を変えるパワーがあり、今はまだ仄かにですが、確かな希望が見えるように感じます。 この希望を確かなものにするためには、また日露戦争後や大東亜戦争前のナショナリズム沸騰まで飛んでいかないためには、民主主義の前提である議論が成立するような土壌を国民が生活する現場からつくられねばなりません。ここに「一身独立して一国独立すること」が関わってくるのだと考えています。というわけで、私ももっと自分の現場を大事にするよう努めたいと思います。 しかし、いつも時浦師範代のwiki直しを読んで思うのですが、最も議論不成立な空間がwikiや2chや各種SNSといったネット世界なんですよね。確固たる現場を持ってない人は言うに及ばずですが、持ってそうな人でもSNSなどに残存するおちゃらけた空気のまま運動に嵌って醜態をさらしてしまったり…。絶望の国の中で幸福(笑)な属国民を増やすことが永久占領を成り立たせる某国のネット世界戦略なのではないかと勘繰りたくなります。 現場無き議論に逃避するのも、議論自体を忌避するのも宗主国の思うつぼ na85 時浦師範代、改めてご結婚おめでとうございます! na85
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よしりん師範、時浦師範代、みなぼん編集長、スタッフの皆様、今号も執筆・編集・配信ありがとうございました。
124号では失礼なことを致しましたので3回ほど断筆しておりましたが、128号より復帰させていただきます。断筆が不完全だとか言わんでクリませ(笑)。
今回ほど第2部の公開が待ち遠しい道場は、宇野氏&古市氏が来られた回以来だと思います。また、久しぶりに堀部師範が来られた今回は、「日本は属国である」ということを真正面から捉え、そのことを「これでもか!」と訴えかけており、これが心に響かなければ、そして悔しいという感覚が心の底から湧き起こって来なければ最早日本国民ではなく、日本人ですらないと思います。ゴー宣でも一部が紹介されていますが、質問も非常に高度なものが揃ったようですので、なおのこと第2部公開が楽しみです。
さて、私はよしりん先生と副島隆彦氏の雑誌「諸君」での対談から氏に興味を持ち、『属国日本論』シリーズなどを読んでいましたので、日本が属国であるという認識には全く違和感がありません。米軍基地も日本を守るためではなく、日本人が再び米国の敵とならないよう抑えつけておくために存在するビンの蓋だという認識も持ち続けています。
ただ、副島氏のユダヤ陰謀論に流れる傾向や反米のあまり親中になる傾向、および「人類の月面着陸は無かった」論などは非常に危険だと考えています。というのも、あーいうトンデモさんだから「日本は属国だ」などと書いても許されるんだなーという印象を広く世間一般の人に与えてしまうからです。
しかし今回の道場では、おそらく日本で最も正しい認識を持ち、そして最も影響力のある時評漫画を描く人物が主催する集まりで「日本は属国だ」ということを多角的に論証されたのですから、そのインパクトは相当なものだと感じます。
そしてまた、日本人の大部分の認識が現状において「日本は属国だ」というモノに変わったとしても、現在の政治状況を見れば「どうせ何も変わらない」というニヒリズムに陥りそうなのですが、今号のゴー宣ではそれを乗り越える希望となる考え方も提示されています。例えば近隣諸国条項が存在したまま歴史教科書の記述から慰安婦が消え、逆に通州事件が載った事実は空気の変化がもたらしたものだから、真に米国から独立したいという意見が多数派になればそれも可能だと確かに思わせてくれます。この点が、絶望の結末だけを見せたり(船瀬・フルフォード)、実現可能性の薄い希望を見せたり(副島)、明後日の方向を志向したり(輿水)する凡百の「属国論」とは一線を画していると感じます。
例えば、副島氏の反グローバリズム本では「日本は属国だ」と盛んに言うわけですが、ではどうすればいいのか?という段になるといつもあやふやになり、ラストでは官僚に向けてなのか一般国民に向けてなのか判らない書き方で「ばれないように国を閉ざせ」と訴えます。おそらく氏は自分の言論の力に限界を感じているから、あのような書き方にならざるを得ないのでしょう。もっとトンデモさんになると選挙の票を計測する機械がインチキだから、あれを何とかしろみたいなのがありました。
さて、よしりん先生の『戦争論』は、1作目から最新の『新戦争論1』まで一貫して米国からの独立を志向するものであり、空気を変えてきた力の源泉は確実によしりん先生の作品群だと考えます。また『大東亜論』はこれに歴史的正統性を与えるものだと思います。先生の作品群には空気を変えるパワーがあり、今はまだ仄かにですが、確かな希望が見えるように感じます。
この希望を確かなものにするためには、また日露戦争後や大東亜戦争前のナショナリズム沸騰まで飛んでいかないためには、民主主義の前提である議論が成立するような土壌を国民が生活する現場からつくられねばなりません。ここに「一身独立して一国独立すること」が関わってくるのだと考えています。というわけで、私ももっと自分の現場を大事にするよう努めたいと思います。
しかし、いつも時浦師範代のwiki直しを読んで思うのですが、最も議論不成立な空間がwikiや2chや各種SNSといったネット世界なんですよね。確固たる現場を持ってない人は言うに及ばずですが、持ってそうな人でもSNSなどに残存するおちゃらけた空気のまま運動に嵌って醜態をさらしてしまったり…。絶望の国の中で幸福(笑)な属国民を増やすことが永久占領を成り立たせる某国のネット世界戦略なのではないかと勘繰りたくなります。
現場無き議論に逃避するのも、議論自体を忌避するのも宗主国の思うつぼ na85
時浦師範代、改めてご結婚おめでとうございます! na85