na85 のコメント

 「尊皇か佐幕か」「開国か攘夷か」という言葉が幕末日本で飛び交ったようですが、この「開国←→攘夷」を対立概念だと考えるから混乱が起こるのではないでしょうか。なぜなら、「開国」というのは外交上の手段であり、また「開国している状態」というのは国家の在り方の一つだと思われますが、「攘夷」というのは国家の為政者や国民の心構えだと捉えられるからです。
 「開国」という政策の反対は「鎖国」という手段や在り方でほぼ間違いないと思われますが、攘夷という心構えの反対概念については、鎖国状態と開国状態の2つの場合に分けて考える必要があると思われます。すでに開国して服従している状態においては、占領国に服属している状態を継続しておきたい=「隷従」という心理状態でしょう。そして、まだ開国していない段階の鎖国状態においては、江戸期の為政者のように、異国船が来ても関わりたくない、戦いたくない、けど戦っている体裁だけは整えたいという異国船打ち払い令のような状態=「避戦」でしょうか。隷従も戦いたくないという心理状態から起こっていますから、これもやはり避戦です。
 したがって以上を整理すると、外交手段や国家の置かれた状態では「開国」←→「鎖国」、為政者や国民の心構えでは「攘夷」←→「避戦」となるかと思われます。このように、開国と攘夷は対立概念ではないから、幕末の志士から引き継いだ明治政府が採ったような政策としての「開国攘夷」という言葉も成り立つわけです。江戸の幕末期の為政者が何故いけなかったかというと、当時の政策が「鎖国避戦」だったからです。ゆえに日米和親条約締結から「開国避線」に舵を切り、さらに通商条約以降は「開国隷従」にまで至った幕府は、もはや「攘夷」を掲げる新政府に倒されるしかなかったと思われます。
 江戸幕末期において「鎖国攘夷」の政策が採れたかというと、もはや歴史のifを云々しても詮無いことでしょう。260年の平和のせいで幕吏が安穏とし過ぎていたため、かなり難しかったとは思いますが。
 いずれにしても、「鎖国」という政策(外国商人を出島より内に立ち入らせず、内需を国内で満たして安定的成長を図る政策)と、「攘夷」という心構え(異国への隷従をよしとせず、自国の政治経済文化を保守する構え)を、「排外主義」という一言で括るような思想的混乱に結びつくような乱暴な言論は避けたいものです。

 グローバルに「開国」しつつ自国民を虐げている現在の日本の為政者は、さらに宗主国に従って地球の裏側まで行って「開戦」したがっている「好戦主義」的な奴ですが、宗主国に対してだけは心構えにおいても「避戦」と「隷従」を貫いています。無関係な他国に対する好戦主義は捨て、宗主国や旧戦勝国に対しては「恨」ならぬ「反」の心を持ち続け、グローバルに開国しすぎていた部分を反省し一部ずつでも閉ざしていく(反TPP)、これが現代日本の状況に即した攘夷の在り方であると考えます。

 議論の前提が不確かでは正しい解に行き付くことは無い na85

No.73 119ヶ月前

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