タコ社長 のコメント

確定申告も漸く終わりが見えて来たので、依存症序でに、
「攘夷」の幕末期〜明治動乱期以降〜大東亜戦争終戦当時の解釈と、
現在のポチ・サヨク・ネトウヨ・愛国ヲタの解釈はまるで違うのだろうと自分なりに考察してみます。

恐らくは幕末期の攘夷の発想は、元々世界中での、対西洋人の植民地政策が根底に有り、
日本もその脅威に晒される可能性が極めて高いと薩摩や長州は一早く気が付き、その流れの中で薩英戦争や下関戦争が起こり、
圧倒的戦力の前に敗北し、其処から近代化と国民国家思想に傾倒し、更にその流れの中で攘夷に尊皇と言う、言わば「錦の御旗=天皇の政治利用」の発想を生み出し、それが明治維新の流れを加速させて行ったのだと思います。
開国から倒幕〜内乱から統一国家〜国民国家から対外戦争への流れはやはり「攘夷」の名の下で行なわれたのだろうとも推察します。
鎖国政策を続行していた幕府も恐らくはこの流れは止められないと気は付いては居たのでしょう、公武合体は一連の諸外国からの脅威に対抗するためですから、既に国民国家思想は幕府側にも有ったと推察出来ます、
しかしながら其処からの対応は薩長の即断即決にはまるで付いては行けず、明治維新以降の中心が薩長となったのは言わずもがなです。
これは結局紆余曲折は有れど、大東亜戦争の発想ともリンクしているものと思われます。
アメリカ中心の秩序から別の秩序を作ろうとし、植民地に甘んじて居たアジア諸国を独立に向けさせた意味でも、
確かにその頃までは、本来の「攘夷」の思想は有ったのだと思います。
しかしながら終戦後からレジームに飼い慣らされて、それが三〜四世代まで来ている現在では、
その意味は真の意味で独立心を失い、主権国家を放棄し、自主防衛の意思も捨て去り、
なんちゃってデモや運動に埋没し、逃げ道を探しながら彷徨いウヨウヨサヨサヨし、追米或いは恰好だけの反米思想にしか成らなくなってしまい、
何時の間にか「攘夷=排外主義=鎖国=真の保守?=結局懐古主義」みたいな発想に成ってしまったのだろうと考えます。
近代の戦勝国秩序の中でも主権国家としての道を模索して行くのが今の現状の中で唯一出来る「攘夷」の筈なのですが、
それすらゴミ箱に捨ててしまったポチや愛国ヲタやサヨク思想の方々には、
「攘夷=排外主義=鎖国」にしか行き着かないのだろうと推察します、それでは何時迄も戦勝国の思う壺なのですが…長々と失礼しました。

No.70 119ヶ月前

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