「こういう日本にしたのは 小林よしのりでしょう。 なぜ、今になって 真逆のことを言うの?」 の考察について自分なりに述べてみたいと思います。 まず、断言しますが「こういう日本にしたのは 小林よしのりでしょう。」という輩は例外なく小林師範の作品を真面に読んでいません。本人は読んでいるつもりなのでしょうがその内容は自らが買ってきっちり読んだという意味で言っているのではなく、2ちゃんねるなどのネットにおける便所の落書き板に作者の承認も取らずに無断で登載された頁や内容を摘みとって誰が書いたかわからない歪曲された内容に触れただけの事で「ちゃんと読んだ」と思い込んでいるだけの事なのです。 実際、現在でもグーグルなどの検索HPで「小林よしのり ゴー宣」や「小林よしのり 戦争論」等と入力して画像などを検索すると多くの無断で引用されているであろう小林師範の作品とともに筋違いな酷評をしているHPが数多く見つかり、引用をしていないHPを含めてもちゃんと内容を紹介し、批評しているHPを見つけるのが困難なほどです。そして、これら無断引用や悪質な内容の歪曲を行っている2ちゃんねるを始めとするネットにおける便所の落書き板ではとても人様の前では言えないような罵詈雑言が書き込まれていて、これらネットの書き込みをそのまま行動に移しているのが今の日本であることはネットを少しでも見て、2ちゃんねるなどの便所の落書き板出身の人を相手にしていればすぐに解ることでもあります。 現在行われている「在特会」を始めとする嫌韓、嫌中運動における罵詈雑言とその罵詈雑言にむけて同じような罵倒を浴びせている「しばき隊」の台詞に共通しているのは両方とも2ちゃんねるなどの便所の落書き板で書き込まれている内容であることであって、これには右翼、左翼などの思想や立場は関係ありません。実際に韓国併合についても 「なにが(爆笑)だ!このクソバカ!うっかり『併合前に』と書いたこっちにもミスがあったが『併合後』も『抗日抗争』と『大反対』があったんだよ!ドアホ!」 「収奪したのに『収奪しなかった』というお前と反対したのに『反対しなかった』という『一言いえば(注:HN)』お似合いというかこれ以上ないピッタリのコンビだよw この気違いコンビがw」 とブログのコメント欄などで書き込んでいる2ちゃんねる出身者で自虐史観を支援している輩もいて、このようなネットにおける誰が書いたかわからない「便所の落書き」同士の罵詈雑言の罵りあいが実社会にまで飛び出してきて、政府から報道機関に至るまでもが無視できない存在になってきたということであると見ています。これら輩を小林師範のせいにしている記者も実際には小林師範の書物を買って読んだわけではなく、2ちゃんねるなどの便所の落書き板などで誰が書いたかわからない小林師範の書物の無断引用と「書評」という名の便所の落書きを読んであたかも読んだつもりになっているのでしょう。 さらにいえば、現在の「こういう日本」にしたのは小林師範ではなく、捏造をしてまで自虐史観を報道し、米国などの「強者」に追随してきた報道機関や政府を始めとする無責任な人々であって、主義主張が一貫し、オウム事件を始め、作者生命をかけてまで戦ってきた小林師範ではありません。これら無責任な方々が行ってきた残酷な仕打ちだけを見てはネットなどの閉鎖空間に依存し、世間などの共同体から隔離していれば必然と嫌韓、嫌中運動に身を費やし、政権や世界の情勢に対して絶望的にまで鈍感になる「こういう日本」になってしまいます。 結果として「こういう日本にしたのは 小林よしのりでしょう。」という輩は恐らくは自分で行ってきた行為に責任を背負いたくない人々なのだと推察します。故に現状の日本及び世界情勢を的確に予想し、的中させてきた小林師範に嫉妬と僻み、そして甘えという社会の中で生きる大人として抑制すべき心情を表す行為として全て小林師範にありもしない責任を押し付けたいのだと思います。 誰もが世間に強い影響を及ぼす著名人になれるわけではないからと言って社会人として、成人としての責任を放棄していいとは限りませんし葛藤や苦悩の連続とは無縁というわけではありません。その中には我々、社会人として生きる愛読者も当然含まれます。ルバング島で最後まで昭和49年まで戦い続けた陸軍少尉、小野田寛郎氏も、以前に小野田自然塾に参加した時に責任感についての重要性を塾生に説いていました。いまからでも遅くはないから小林師範のせいにしようとする暇があるのだったら、どうやったら「公」を意識する公共心(パブリックマインド)を持った人を増やしていくかを考える方が先だと思います。國を護るも滅ぼすのもその根底にあるのはその國における公共心にあると思いますから。 長文失礼しました。
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「こういう日本にしたのは 小林よしのりでしょう。 なぜ、今になって 真逆のことを言うの?」 の考察について自分なりに述べてみたいと思います。
まず、断言しますが「こういう日本にしたのは 小林よしのりでしょう。」という輩は例外なく小林師範の作品を真面に読んでいません。本人は読んでいるつもりなのでしょうがその内容は自らが買ってきっちり読んだという意味で言っているのではなく、2ちゃんねるなどのネットにおける便所の落書き板に作者の承認も取らずに無断で登載された頁や内容を摘みとって誰が書いたかわからない歪曲された内容に触れただけの事で「ちゃんと読んだ」と思い込んでいるだけの事なのです。
実際、現在でもグーグルなどの検索HPで「小林よしのり ゴー宣」や「小林よしのり 戦争論」等と入力して画像などを検索すると多くの無断で引用されているであろう小林師範の作品とともに筋違いな酷評をしているHPが数多く見つかり、引用をしていないHPを含めてもちゃんと内容を紹介し、批評しているHPを見つけるのが困難なほどです。そして、これら無断引用や悪質な内容の歪曲を行っている2ちゃんねるを始めとするネットにおける便所の落書き板ではとても人様の前では言えないような罵詈雑言が書き込まれていて、これらネットの書き込みをそのまま行動に移しているのが今の日本であることはネットを少しでも見て、2ちゃんねるなどの便所の落書き板出身の人を相手にしていればすぐに解ることでもあります。
現在行われている「在特会」を始めとする嫌韓、嫌中運動における罵詈雑言とその罵詈雑言にむけて同じような罵倒を浴びせている「しばき隊」の台詞に共通しているのは両方とも2ちゃんねるなどの便所の落書き板で書き込まれている内容であることであって、これには右翼、左翼などの思想や立場は関係ありません。実際に韓国併合についても
「なにが(爆笑)だ!このクソバカ!うっかり『併合前に』と書いたこっちにもミスがあったが『併合後』も『抗日抗争』と『大反対』があったんだよ!ドアホ!」
「収奪したのに『収奪しなかった』というお前と反対したのに『反対しなかった』という『一言いえば(注:HN)』お似合いというかこれ以上ないピッタリのコンビだよw この気違いコンビがw」
とブログのコメント欄などで書き込んでいる2ちゃんねる出身者で自虐史観を支援している輩もいて、このようなネットにおける誰が書いたかわからない「便所の落書き」同士の罵詈雑言の罵りあいが実社会にまで飛び出してきて、政府から報道機関に至るまでもが無視できない存在になってきたということであると見ています。これら輩を小林師範のせいにしている記者も実際には小林師範の書物を買って読んだわけではなく、2ちゃんねるなどの便所の落書き板などで誰が書いたかわからない小林師範の書物の無断引用と「書評」という名の便所の落書きを読んであたかも読んだつもりになっているのでしょう。
さらにいえば、現在の「こういう日本」にしたのは小林師範ではなく、捏造をしてまで自虐史観を報道し、米国などの「強者」に追随してきた報道機関や政府を始めとする無責任な人々であって、主義主張が一貫し、オウム事件を始め、作者生命をかけてまで戦ってきた小林師範ではありません。これら無責任な方々が行ってきた残酷な仕打ちだけを見てはネットなどの閉鎖空間に依存し、世間などの共同体から隔離していれば必然と嫌韓、嫌中運動に身を費やし、政権や世界の情勢に対して絶望的にまで鈍感になる「こういう日本」になってしまいます。
結果として「こういう日本にしたのは 小林よしのりでしょう。」という輩は恐らくは自分で行ってきた行為に責任を背負いたくない人々なのだと推察します。故に現状の日本及び世界情勢を的確に予想し、的中させてきた小林師範に嫉妬と僻み、そして甘えという社会の中で生きる大人として抑制すべき心情を表す行為として全て小林師範にありもしない責任を押し付けたいのだと思います。
誰もが世間に強い影響を及ぼす著名人になれるわけではないからと言って社会人として、成人としての責任を放棄していいとは限りませんし葛藤や苦悩の連続とは無縁というわけではありません。その中には我々、社会人として生きる愛読者も当然含まれます。ルバング島で最後まで昭和49年まで戦い続けた陸軍少尉、小野田寛郎氏も、以前に小野田自然塾に参加した時に責任感についての重要性を塾生に説いていました。いまからでも遅くはないから小林師範のせいにしようとする暇があるのだったら、どうやったら「公」を意識する公共心(パブリックマインド)を持った人を増やしていくかを考える方が先だと思います。國を護るも滅ぼすのもその根底にあるのはその國における公共心にあると思いますから。
長文失礼しました。