よしりん師範、時浦師範代、みなぼん編集長、スタッフの皆様、執筆・編集・配信ありがとうございました。 2月8日のゴー宣道場第1部生放送において、師範から「究極の質問」が出されたとき、私はモニター前で即座にコメント欄に「自決する」と打ち込んでいました。しかしこれは後に脊髄反射な代物でしかないと判りました。もっと葛藤があってしかるべきだろうと思ったわけです。最初は何があったか判らないまま事態が推移し、おおよそ判明した頃には(いや、考えたくない可能性を排除しきれなくなった頃にはと言い直した方がいい)、最早言いなりになるしかない状況に追い込まれている可能性があるわけです。 日本人のような動物を含む森羅万象にカミを見出すアニミズム的感性、あるいは家畜を農作業をともにする同朋だと思う農耕民族的感性と違い、欧米キリスト者もイスラム者も家畜は神から与えられたとする旧約聖書が信仰の中心です。家畜を屠るのに躊躇も罪悪感も無い人々が相手なのですから、異教徒・異民族への拷問がどれだけ苛烈なものになるかは想像に難くありません。さらに、日本人でも日本的感性から切り離された暴力が支配する空間に長時間居れば、オウム事件や尼崎事件のように簡単にタガが外れて残虐に成れるはずです。従ってイスラム国入りした日本人による日本人への苛烈な拷問も当然起こり得ます。 ところで、日本人とて近代以前は麻酔なしで手術を行っていましたし、「大東亜論」血風士魂編でも見たように、大陸人ほどではないにしても苛烈な拷問が行われていました。ゆえに近代化による無痛化を経た現代日本人とは痛みの感じ方が違っていた可能性が大いにあります。 しかし、「わしズム」のチベットやウイグルの特集のとき、私は中国人民解放軍による拷問に身の毛がよだつ思いをしながら読んでいました。つまり何が言いたいかと言いますと、痛みに弱い私などは拘束された時点で最早アウトかもしれないということです。 それなら捕まる前の段階で自決に踏み切れるのかというと、これもなかなか難しいでしょう。自分に致命傷を与える武器を常に携行し、その覚悟を四六時中持っていたとしても、すでに拘束のプロとなっている人々が相手では難しいかもしれません。また、大規模なテロなら都市部の繁華街や象徴的な施設で行われるでしょうが、人質を物色するなら地方都市の裏通りの方が適しています。つまり、海外で活躍する人以外の、普通に街を歩いて日々自分の現場で活躍する生活者さえも危険に晒される事態になってしまったわけです。 しかし日本にも安全な方々が2種類おられます。それは、街に出ることもなく自宅に引きこもり、PCモニターの前で「アイスルは許し難い」「安倍ちゃんはよくやっている」「日米同盟万歳」などと打ち込んでいる人々(狙われる可能性が極めて低い)と、厳重にSPに守られながら、米国・反イスラム国の中東諸国・イスラエルとだけ仲良くしたい安倍をはじめとする現政権やグローバリストの面々(狙えばリスクが高く割に合わない)という2者です。 この2者は、一般人が拘束されて交渉の道具にされた場合には「自己責任だ」「迷惑かけるな」と言い、不幸にも犠牲者に成った場合には「アイスルを許すな」「有志連合にも積極的に参加しろ」「集団的自衛権行使は必要だ」という世論を煽る道具にしよう、と構えているはずです。これは非常に腹立たしい状況であるとともに、とてつもなく危険な事態です。 通州事件以降や支那事変拡大当時の歴史を辿るつもりか?と問わねばなりません。自主独立を保つための戦争だった大東亜戦争より、今回の主権放棄のまま米国に引きずられて参加する正義なき戦争では、尚更その結果に悔いが残るはずです。 「はい、ここでまた脚注いただきました!」に大笑いしました。やはりおかしなことを言われたら、確信ボケでも天然でも突っ込まないといけません。時浦師範代、ウンコな奴の相手、今回もお疲れ様でした。 編集後記では「くっそ~、ここはピケティの方が上か!」で笑いました。とくに「ここは」と付いている点に可笑しみを感じました。「立ち読みテロリストやっ!!!」も笑いました。立ち読み行為は著者に恐怖を与えるという意味でテロリストだし、それを指摘する人(なかなかいない)は立ち読み客に恐怖?を与えるという意味でテロリストです。 戦争の真相でも皇統・アイヌ問題でも、砂上の楼閣に引きこもっている日本人はテロルの前に崩れ去る na85
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よしりん師範、時浦師範代、みなぼん編集長、スタッフの皆様、執筆・編集・配信ありがとうございました。
2月8日のゴー宣道場第1部生放送において、師範から「究極の質問」が出されたとき、私はモニター前で即座にコメント欄に「自決する」と打ち込んでいました。しかしこれは後に脊髄反射な代物でしかないと判りました。もっと葛藤があってしかるべきだろうと思ったわけです。最初は何があったか判らないまま事態が推移し、おおよそ判明した頃には(いや、考えたくない可能性を排除しきれなくなった頃にはと言い直した方がいい)、最早言いなりになるしかない状況に追い込まれている可能性があるわけです。
日本人のような動物を含む森羅万象にカミを見出すアニミズム的感性、あるいは家畜を農作業をともにする同朋だと思う農耕民族的感性と違い、欧米キリスト者もイスラム者も家畜は神から与えられたとする旧約聖書が信仰の中心です。家畜を屠るのに躊躇も罪悪感も無い人々が相手なのですから、異教徒・異民族への拷問がどれだけ苛烈なものになるかは想像に難くありません。さらに、日本人でも日本的感性から切り離された暴力が支配する空間に長時間居れば、オウム事件や尼崎事件のように簡単にタガが外れて残虐に成れるはずです。従ってイスラム国入りした日本人による日本人への苛烈な拷問も当然起こり得ます。
ところで、日本人とて近代以前は麻酔なしで手術を行っていましたし、「大東亜論」血風士魂編でも見たように、大陸人ほどではないにしても苛烈な拷問が行われていました。ゆえに近代化による無痛化を経た現代日本人とは痛みの感じ方が違っていた可能性が大いにあります。
しかし、「わしズム」のチベットやウイグルの特集のとき、私は中国人民解放軍による拷問に身の毛がよだつ思いをしながら読んでいました。つまり何が言いたいかと言いますと、痛みに弱い私などは拘束された時点で最早アウトかもしれないということです。
それなら捕まる前の段階で自決に踏み切れるのかというと、これもなかなか難しいでしょう。自分に致命傷を与える武器を常に携行し、その覚悟を四六時中持っていたとしても、すでに拘束のプロとなっている人々が相手では難しいかもしれません。また、大規模なテロなら都市部の繁華街や象徴的な施設で行われるでしょうが、人質を物色するなら地方都市の裏通りの方が適しています。つまり、海外で活躍する人以外の、普通に街を歩いて日々自分の現場で活躍する生活者さえも危険に晒される事態になってしまったわけです。
しかし日本にも安全な方々が2種類おられます。それは、街に出ることもなく自宅に引きこもり、PCモニターの前で「アイスルは許し難い」「安倍ちゃんはよくやっている」「日米同盟万歳」などと打ち込んでいる人々(狙われる可能性が極めて低い)と、厳重にSPに守られながら、米国・反イスラム国の中東諸国・イスラエルとだけ仲良くしたい安倍をはじめとする現政権やグローバリストの面々(狙えばリスクが高く割に合わない)という2者です。
この2者は、一般人が拘束されて交渉の道具にされた場合には「自己責任だ」「迷惑かけるな」と言い、不幸にも犠牲者に成った場合には「アイスルを許すな」「有志連合にも積極的に参加しろ」「集団的自衛権行使は必要だ」という世論を煽る道具にしよう、と構えているはずです。これは非常に腹立たしい状況であるとともに、とてつもなく危険な事態です。
通州事件以降や支那事変拡大当時の歴史を辿るつもりか?と問わねばなりません。自主独立を保つための戦争だった大東亜戦争より、今回の主権放棄のまま米国に引きずられて参加する正義なき戦争では、尚更その結果に悔いが残るはずです。
「はい、ここでまた脚注いただきました!」に大笑いしました。やはりおかしなことを言われたら、確信ボケでも天然でも突っ込まないといけません。時浦師範代、ウンコな奴の相手、今回もお疲れ様でした。
編集後記では「くっそ~、ここはピケティの方が上か!」で笑いました。とくに「ここは」と付いている点に可笑しみを感じました。「立ち読みテロリストやっ!!!」も笑いました。立ち読み行為は著者に恐怖を与えるという意味でテロリストだし、それを指摘する人(なかなかいない)は立ち読み客に恐怖?を与えるという意味でテロリストです。
戦争の真相でも皇統・アイヌ問題でも、砂上の楼閣に引きこもっている日本人はテロルの前に崩れ去る na85