>>70 ナイトさん 返信をありがとうございます。これまでは皇位継承問題の論争では大半の場合、自作自演などで同じことを繰り返すか逃げるかどちらかだったので返信はありがたい限りです。 >日本書紀や続日本紀は確かに漢文で書かれていますが、なぜシナの都合に合わせて書く必要があるのでしょうか。 それ以前に、なぜに支那に向けて書いていなかれば漢文で記す必要もないと思うのですが、なぜに漢文で書く必要があったのか考えたことはありませんか?日本書紀を含む我が國の正史の作成が始まった当時はまだ支那の柵封体制から脱却して間もなく、「天皇」の称号も日本という國号も制定されていなかった(日本書紀の最期に記されている持統天皇によって初めて「日本」が國号として制定され、「天皇」の称号も推古天皇が初めて用い、持統天皇が「天皇」の称号で初めて即位した)ことから、支那や支那の属国、漢字文化圏の国々に独立を証明し、証明するためにもあえて漢文で書いたことは想像に難くありません。 もし、日本国内に向けていたならば漢文で作成など絶対しませんし、漢文で作成する意味がありません。あるのでしたら、ぜひ、説明をお願いします。 >天照大神が女性神であろうとなかろうと、一貫して息子系統が継承していますので皇統は男系継承と 「息子系統だから男系継承」という説は初めて聞きました。なぜなら、その説は正史はおろか、評論家も学者も誰一人、根拠を用いて説明していないからです。 >男系継承:息子"系統"への継承 女系継承:娘"系統"の継承 となります。また、「父方の祖父」「母方の祖父」という言葉がある通り、3代目から男系もしくは女系の判断ができます。 ですが、この説は正史や辞書などの根拠を用いなければあくまでも個人的な見解にすぎず、事実として公式に認定することは不可能です。皇位継承問題で用いられている「男系」「女系」とは父からの継承、もしくは母からの継承というだけの話で、「息子"系統"への継承 女系継承:娘"系統"の継承」という意味合いは含まれていません。 大辞林 第三版 だんけい【男系】男子によって受け継がれる系統。また,父方の血統。 じょけい【女系】女子によって受け継がれる系統。また,母方の血統。 という意味だけであって、どこの辞書にも正史にも皇統における男系、女系も父方または、母方の血統の事を述べているのであって、娘、息子はまったく関係ありません。だからこそ、敬宮愛子内親王殿下も男系女子とされ、歴代の女性天皇も元正天皇を除いては男系女子とされているわけです。 よって、歴代天皇を如何に「男系」と解釈しようとも女性神である天照大神から皇室の血統が始まっているという史実がある以上はそちらの個人的な「息子系統」という説に関係なく、皇統は女系公認の双系と解釈する以外に解釈のしようがないのです。 >→旧譜皇統譜は草壁皇子を天皇として記載しています それは初耳です。が、例え旧譜皇統譜で草壁皇子が天皇として記載されていても正史で即位前に崩御して即位していないと記されていう史実を覆すことが出来ない以上、旧譜皇統譜が明治時代の男尊女卑という都合で一時的にその場しのぎで天皇と記したということにしかならず、やはり男系に拘れば草壁皇子が即位していないという史実が動かせないことから、男系に限定すれば草壁皇子の代で天皇の歴史は断絶したことになってしまい「125代絶え間なく即位し続けた天皇」という歴史が成り立たなくなってしまうことに変わりはありません。 よって、草壁皇子を天皇と記す行為は天照大神が一時的に一部の人々の間で男性神と解釈されたのと同じであり、正式な歴史として認定することは不可能であると述べておきます。 ついでに時浦師範代への反論へも私なりに回答させていただきます。 >>71 >日本の男系主義はシナの男系主義とは全く違います。 「倣う」という意味をお調べになりましたか?「あることを手本として同様に行う。まねる。」という意味であって、支那の男系主義を手本に記しているというだけの話であって皇室その物を支那の男系主義にしたという記述ではありません。 >神話の時代から男系継承は続いており、天智朝どころか現在に至るまで全て例外なく男系子孫が皇位を継承して 「息子継承」という自説の根拠を正史や辞書を用いて説明しない限りは天照大神から皇室の血統が始まっているという史実が存在する限りは神話の時代から男系(父方)の継承も女系(母方)の継承も承認されてきた双系で皇室の血統が受け継がれ、皇位も継承されてきたとしか説明のしようがありません。 ちなみに、もし、男系継承に限定するならば父方の系統で遡って歴代天皇に行き着かなければなりません(支那では「孔子世家譜」の例でもわかるとおり父方の系統を遡って孔子に遡ることが出来る)が斉明天皇から父系に限定してどのように神武天皇や天照大神に遡ることが出来るのでしょうか?これは今上陛下にもいえることなのですが、この点についても疑問にもぜひともお答えいただきたく思います。 >元明天皇も元正天皇も文武天皇の皇太子である聖武天皇に確実に継承するための一時的な中継ぎに徹し、男系継承を守ったことに 残念ながら、女系が「大辞林 第三版 じょけい【女系】女子によって受け継がれる系統。また,母方の血統。」という意味合いしか含まれていない以上は元明天皇から元正天皇への継承は明らかに女子によって系統が受け継がれたのであり、母方である元明天皇の血統を受け継いでいることから女系として受け継いだという史実しか成り立たないのです。また、続日本記も漢文で記されている以上は支那の男系主義に倣って書き記していることは明快であり、女系継承も男系継承と記しているという域をでていません。よって、史実における男系継承と認定するには明らかに無理があります。 旧譜皇統譜 世系(血統)第一 天照大神 → 世系(血統)第二 天忍穂耳命 母から子への血統を継承しているので完全に女系です。 >井上毅は「欧州の女系説を採用すれば「姓」が変わることを承認しなければならない。最も恐るべきことである。皇位継承は祖宗の大憲がある。けっして女系異姓の即位を認めるような欧州の制度をまねるべきではない」と謹具意見で言っています。 江戸期以前における「姓」が廃止されたのは明治4年の姓尸不称令からであり、大日本帝国憲法と皇室典範の発布がその僅か18年後の明治22年であったことから、井上毅がこの発言をした当時はまだ、明治初期で江戸期以前の「姓」の観念がまだものすごく強く残り、現在における苗字としての「姓」の観念が広まっていなかったことが明らかになっただけで明治23年に乃木希典が揮毫した石碑に「源希典」と明記したことからもこの根拠が裏付けられるというだけの話です。当時と現在では「姓」の認識とは全く違ってい、かつての「姓」という存在も概念もなくなり、苗字しか使わなくなった現在では「易姓革命」なんて起こりようもありません。 当時の男尊女卑という都合と、江戸期以前の「姓」の観念が強かったというだけの話で、男尊女卑という都合も「姓」の観念も消えた現在では「姓」の乗っ取りは明らかに荒唐無稽であり、徳川幕府復活と同じ妄言の域を出ません。 >一貫して息子系統が継承していますので皇統は男系継承 と「息子系統」なる初めて聞く節をいったいどこの正史が正式に述べているのか説明してほしいものです。 さて、最後にナイトさんに聞きたいのですが、皇統における男系継承を根強く唱えている人は国内で評論家や学者を始め、いまだに所々で見られますが、彼らの皇統における男系継承を根強く支援している中に「天皇制打倒」をほざく、左翼のなかでも特に左寄りの思想を持つ極左の運動活動家が混じっているという現実にどんな感想を御持ちなのでしょうか? 現在でもグーグルで「極左 ネトウヨ 自称保守 男系」で検索すれば皇統男系を守ることを極左が応援しているという内容が見られますし、アマゾンでも皇統の男系を主張する書物に極左活動家と思わしき人が高得点(★五つ)を付けて「保守の振りをして応援する」という感想が見られ、さらには現在は極左活動家にとっての愛読書が産経新聞やWill、ジャパニズムなどの保守、愛国系列の雑誌だったり、愛聴しているのがチャンネル桜であり、これらに参加している評論家たちを「同志」と呼んでいるという現実について、ナイトさんはどのような見解を御持ちなのか非常に気になります。過去に幾人かの皇統男系を護ろうとする人々に同じ質問を聞いたのですが、みな、沈黙してしまい、答えを得られずじまいでした。 しかし、ここで返信をしてくださるナイトさんなら、ちゃんと読んで見解を述べてくれることを個人として期待して、あえて、ここで述べさせていただきます。
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>>70 ナイトさん 返信をありがとうございます。これまでは皇位継承問題の論争では大半の場合、自作自演などで同じことを繰り返すか逃げるかどちらかだったので返信はありがたい限りです。
>日本書紀や続日本紀は確かに漢文で書かれていますが、なぜシナの都合に合わせて書く必要があるのでしょうか。
それ以前に、なぜに支那に向けて書いていなかれば漢文で記す必要もないと思うのですが、なぜに漢文で書く必要があったのか考えたことはありませんか?日本書紀を含む我が國の正史の作成が始まった当時はまだ支那の柵封体制から脱却して間もなく、「天皇」の称号も日本という國号も制定されていなかった(日本書紀の最期に記されている持統天皇によって初めて「日本」が國号として制定され、「天皇」の称号も推古天皇が初めて用い、持統天皇が「天皇」の称号で初めて即位した)ことから、支那や支那の属国、漢字文化圏の国々に独立を証明し、証明するためにもあえて漢文で書いたことは想像に難くありません。
もし、日本国内に向けていたならば漢文で作成など絶対しませんし、漢文で作成する意味がありません。あるのでしたら、ぜひ、説明をお願いします。
>天照大神が女性神であろうとなかろうと、一貫して息子系統が継承していますので皇統は男系継承と
「息子系統だから男系継承」という説は初めて聞きました。なぜなら、その説は正史はおろか、評論家も学者も誰一人、根拠を用いて説明していないからです。
>男系継承:息子"系統"への継承 女系継承:娘"系統"の継承 となります。また、「父方の祖父」「母方の祖父」という言葉がある通り、3代目から男系もしくは女系の判断ができます。
ですが、この説は正史や辞書などの根拠を用いなければあくまでも個人的な見解にすぎず、事実として公式に認定することは不可能です。皇位継承問題で用いられている「男系」「女系」とは父からの継承、もしくは母からの継承というだけの話で、「息子"系統"への継承 女系継承:娘"系統"の継承」という意味合いは含まれていません。
大辞林 第三版
だんけい【男系】男子によって受け継がれる系統。また,父方の血統。
じょけい【女系】女子によって受け継がれる系統。また,母方の血統。
という意味だけであって、どこの辞書にも正史にも皇統における男系、女系も父方または、母方の血統の事を述べているのであって、娘、息子はまったく関係ありません。だからこそ、敬宮愛子内親王殿下も男系女子とされ、歴代の女性天皇も元正天皇を除いては男系女子とされているわけです。
よって、歴代天皇を如何に「男系」と解釈しようとも女性神である天照大神から皇室の血統が始まっているという史実がある以上はそちらの個人的な「息子系統」という説に関係なく、皇統は女系公認の双系と解釈する以外に解釈のしようがないのです。
>→旧譜皇統譜は草壁皇子を天皇として記載しています
それは初耳です。が、例え旧譜皇統譜で草壁皇子が天皇として記載されていても正史で即位前に崩御して即位していないと記されていう史実を覆すことが出来ない以上、旧譜皇統譜が明治時代の男尊女卑という都合で一時的にその場しのぎで天皇と記したということにしかならず、やはり男系に拘れば草壁皇子が即位していないという史実が動かせないことから、男系に限定すれば草壁皇子の代で天皇の歴史は断絶したことになってしまい「125代絶え間なく即位し続けた天皇」という歴史が成り立たなくなってしまうことに変わりはありません。
よって、草壁皇子を天皇と記す行為は天照大神が一時的に一部の人々の間で男性神と解釈されたのと同じであり、正式な歴史として認定することは不可能であると述べておきます。
ついでに時浦師範代への反論へも私なりに回答させていただきます。
>>71
>日本の男系主義はシナの男系主義とは全く違います。
「倣う」という意味をお調べになりましたか?「あることを手本として同様に行う。まねる。」という意味であって、支那の男系主義を手本に記しているというだけの話であって皇室その物を支那の男系主義にしたという記述ではありません。
>神話の時代から男系継承は続いており、天智朝どころか現在に至るまで全て例外なく男系子孫が皇位を継承して
「息子継承」という自説の根拠を正史や辞書を用いて説明しない限りは天照大神から皇室の血統が始まっているという史実が存在する限りは神話の時代から男系(父方)の継承も女系(母方)の継承も承認されてきた双系で皇室の血統が受け継がれ、皇位も継承されてきたとしか説明のしようがありません。
ちなみに、もし、男系継承に限定するならば父方の系統で遡って歴代天皇に行き着かなければなりません(支那では「孔子世家譜」の例でもわかるとおり父方の系統を遡って孔子に遡ることが出来る)が斉明天皇から父系に限定してどのように神武天皇や天照大神に遡ることが出来るのでしょうか?これは今上陛下にもいえることなのですが、この点についても疑問にもぜひともお答えいただきたく思います。
>元明天皇も元正天皇も文武天皇の皇太子である聖武天皇に確実に継承するための一時的な中継ぎに徹し、男系継承を守ったことに
残念ながら、女系が「大辞林 第三版 じょけい【女系】女子によって受け継がれる系統。また,母方の血統。」という意味合いしか含まれていない以上は元明天皇から元正天皇への継承は明らかに女子によって系統が受け継がれたのであり、母方である元明天皇の血統を受け継いでいることから女系として受け継いだという史実しか成り立たないのです。また、続日本記も漢文で記されている以上は支那の男系主義に倣って書き記していることは明快であり、女系継承も男系継承と記しているという域をでていません。よって、史実における男系継承と認定するには明らかに無理があります。
旧譜皇統譜 世系(血統)第一 天照大神 → 世系(血統)第二 天忍穂耳命 母から子への血統を継承しているので完全に女系です。
>井上毅は「欧州の女系説を採用すれば「姓」が変わることを承認しなければならない。最も恐るべきことである。皇位継承は祖宗の大憲がある。けっして女系異姓の即位を認めるような欧州の制度をまねるべきではない」と謹具意見で言っています。
江戸期以前における「姓」が廃止されたのは明治4年の姓尸不称令からであり、大日本帝国憲法と皇室典範の発布がその僅か18年後の明治22年であったことから、井上毅がこの発言をした当時はまだ、明治初期で江戸期以前の「姓」の観念がまだものすごく強く残り、現在における苗字としての「姓」の観念が広まっていなかったことが明らかになっただけで明治23年に乃木希典が揮毫した石碑に「源希典」と明記したことからもこの根拠が裏付けられるというだけの話です。当時と現在では「姓」の認識とは全く違ってい、かつての「姓」という存在も概念もなくなり、苗字しか使わなくなった現在では「易姓革命」なんて起こりようもありません。
当時の男尊女卑という都合と、江戸期以前の「姓」の観念が強かったというだけの話で、男尊女卑という都合も「姓」の観念も消えた現在では「姓」の乗っ取りは明らかに荒唐無稽であり、徳川幕府復活と同じ妄言の域を出ません。
>一貫して息子系統が継承していますので皇統は男系継承
と「息子系統」なる初めて聞く節をいったいどこの正史が正式に述べているのか説明してほしいものです。
さて、最後にナイトさんに聞きたいのですが、皇統における男系継承を根強く唱えている人は国内で評論家や学者を始め、いまだに所々で見られますが、彼らの皇統における男系継承を根強く支援している中に「天皇制打倒」をほざく、左翼のなかでも特に左寄りの思想を持つ極左の運動活動家が混じっているという現実にどんな感想を御持ちなのでしょうか?
現在でもグーグルで「極左 ネトウヨ 自称保守 男系」で検索すれば皇統男系を守ることを極左が応援しているという内容が見られますし、アマゾンでも皇統の男系を主張する書物に極左活動家と思わしき人が高得点(★五つ)を付けて「保守の振りをして応援する」という感想が見られ、さらには現在は極左活動家にとっての愛読書が産経新聞やWill、ジャパニズムなどの保守、愛国系列の雑誌だったり、愛聴しているのがチャンネル桜であり、これらに参加している評論家たちを「同志」と呼んでいるという現実について、ナイトさんはどのような見解を御持ちなのか非常に気になります。過去に幾人かの皇統男系を護ろうとする人々に同じ質問を聞いたのですが、みな、沈黙してしまい、答えを得られずじまいでした。
しかし、ここで返信をしてくださるナイトさんなら、ちゃんと読んで見解を述べてくれることを個人として期待して、あえて、ここで述べさせていただきます。