時浦さんへの反論もここで述べさせていただきます。 ・日本書紀・続日本紀は漢文で書かれ、シナの歴史書の影響を強く受けているため、 シナ男系主義に倣った内容になっているのです。 →日本の男系主義はシナの男系主義とは全く違います。 その証拠にシナでは絶対の同姓不婚をとっていません。 新天皇論では天智朝くらいにシナ男系主義が入ってきたと書いてありますが 神話の時代から男系継承は続いており、天智朝どころか現在に至るまで 全て例外なく男系子孫が皇位を継承してきました。 つまり、シナ男系主義と皇室の男系継承は関係ないのです。 また、シナ男系主義が入ってくる以前の日本は母系も重視した双系社会であり その伝統に従ってシナではありえない女帝が登場していると新天皇論に書いてありますが、 女帝のほとんどは天智朝以降、8世紀後半に集中しています。 ・男系継承の経緯を書いているのは続日本紀の血統を説明している部分であり、 「即位の宣命」ではありません。「先帝」つまり女帝で母親の元明天皇から譲位 されたとはっきり言っているのであり、男帝から継承したとは言っていません。 「当時の人」の感覚が表れているのは、即位当時に出された「即位の宣命」の部分であり、 そこには「先帝(女帝)」から継承したと書かれているのです。 →続日本紀の元正天皇・聖武天皇の即位の宣命にはこう書いてあります。 ------------- 皇位の神器を皇太子(聖武天皇)に譲りたく思うが、 まだ年幼くて奥深い宮殿をはなれることができない。 (中略) 氷高(元正天皇)は、慈悲深く落ち着いた人柄であり、あでやかで美しい いま皇帝の位を内親王に譲るのであるが・・・ ------------------- 聖武天皇の即位の詔では ------------------- 「この統治すべき国は、汝の父にあたる天皇(文武天皇)が、汝に賜った天下の業である」 「汝に天下を下し賜うときに、汝親王の年齢は若かったので、荷が重く耐えられないだろうと思われ、 皇祖母にあたられる元明天皇に天下の業を授けられた・・・ ------------------- つまり、元明天皇も元正天皇も文武天皇の皇太子である聖武天皇に確実に継承するための 一時的な中継ぎに徹し、男系継承を守ったことになります。 これを女系継承とする方がこじつけでしかありません。 ・4代前までさかのぼらないと 天智天皇を男系継承ということにできない ことの方が「こじつけ」以外の何物でもありません。 →自分は史料を基に述べています。 女系継承が正しいのならそう記載している史料を提示していただきたいです。 それが出来ないのなら女系継承があったというほうがこじつけではないでしょうか。 ・当然「旧譜皇統譜」も日本書紀・続日本紀等の歴史書を ベースにしていますからシナ男系主義にこじつけた継承となっています。 しかもこれが成立したのは「男尊女卑が国民の脳髄を支配している」と 言われた明治期ですから、なおのことです。 →先に述べましたが、皇室の男系継承とシナ男系主義は関係ありません。 また、旧譜皇統譜や旧皇室典範の成立にかかわった井上毅は 「欧州の女系説を採用すれば「姓」が変わることを承認しなければならない。最も恐るべきことである。 皇位継承は祖宗の大憲がある。けっして女系異姓の即位を認めるような欧州の制度をまねるべきではない」 と謹具意見で言っています。 何故か新天皇論では省略されていましたけど。 ・しかし、そのような過程で成立している「旧譜皇統譜」でさえ、 「世系第一」すなわち天皇の血統の最初の最初が女神である天照大神であるということが決定的に大事 なことなのであり、よしりん先生はこの事実を強調するために「明治天皇の勅裁であり 学者・評論家の議論の余地などない」と言ったのです。 なぜそこまで天照大神の存在を無視したがるのでしょうか? →天照大神が女神だろうとなかろうと、一貫して息子系統が継承していますので皇統は男系継承です。
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時浦さんへの反論もここで述べさせていただきます。
・日本書紀・続日本紀は漢文で書かれ、シナの歴史書の影響を強く受けているため、
シナ男系主義に倣った内容になっているのです。
→日本の男系主義はシナの男系主義とは全く違います。
その証拠にシナでは絶対の同姓不婚をとっていません。
新天皇論では天智朝くらいにシナ男系主義が入ってきたと書いてありますが
神話の時代から男系継承は続いており、天智朝どころか現在に至るまで
全て例外なく男系子孫が皇位を継承してきました。
つまり、シナ男系主義と皇室の男系継承は関係ないのです。
また、シナ男系主義が入ってくる以前の日本は母系も重視した双系社会であり
その伝統に従ってシナではありえない女帝が登場していると新天皇論に書いてありますが、
女帝のほとんどは天智朝以降、8世紀後半に集中しています。
・男系継承の経緯を書いているのは続日本紀の血統を説明している部分であり、
「即位の宣命」ではありません。「先帝」つまり女帝で母親の元明天皇から譲位
されたとはっきり言っているのであり、男帝から継承したとは言っていません。
「当時の人」の感覚が表れているのは、即位当時に出された「即位の宣命」の部分であり、
そこには「先帝(女帝)」から継承したと書かれているのです。
→続日本紀の元正天皇・聖武天皇の即位の宣命にはこう書いてあります。
-------------
皇位の神器を皇太子(聖武天皇)に譲りたく思うが、
まだ年幼くて奥深い宮殿をはなれることができない。
(中略)
氷高(元正天皇)は、慈悲深く落ち着いた人柄であり、あでやかで美しい
いま皇帝の位を内親王に譲るのであるが・・・
-------------------
聖武天皇の即位の詔では
-------------------
「この統治すべき国は、汝の父にあたる天皇(文武天皇)が、汝に賜った天下の業である」
「汝に天下を下し賜うときに、汝親王の年齢は若かったので、荷が重く耐えられないだろうと思われ、
皇祖母にあたられる元明天皇に天下の業を授けられた・・・
-------------------
つまり、元明天皇も元正天皇も文武天皇の皇太子である聖武天皇に確実に継承するための
一時的な中継ぎに徹し、男系継承を守ったことになります。
これを女系継承とする方がこじつけでしかありません。
・4代前までさかのぼらないと
天智天皇を男系継承ということにできない
ことの方が「こじつけ」以外の何物でもありません。
→自分は史料を基に述べています。
女系継承が正しいのならそう記載している史料を提示していただきたいです。
それが出来ないのなら女系継承があったというほうがこじつけではないでしょうか。
・当然「旧譜皇統譜」も日本書紀・続日本紀等の歴史書を
ベースにしていますからシナ男系主義にこじつけた継承となっています。
しかもこれが成立したのは「男尊女卑が国民の脳髄を支配している」と
言われた明治期ですから、なおのことです。
→先に述べましたが、皇室の男系継承とシナ男系主義は関係ありません。
また、旧譜皇統譜や旧皇室典範の成立にかかわった井上毅は
「欧州の女系説を採用すれば「姓」が変わることを承認しなければならない。最も恐るべきことである。
皇位継承は祖宗の大憲がある。けっして女系異姓の即位を認めるような欧州の制度をまねるべきではない」
と謹具意見で言っています。
何故か新天皇論では省略されていましたけど。
・しかし、そのような過程で成立している「旧譜皇統譜」でさえ、
「世系第一」すなわち天皇の血統の最初の最初が女神である天照大神であるということが決定的に大事
なことなのであり、よしりん先生はこの事実を強調するために「明治天皇の勅裁であり
学者・評論家の議論の余地などない」と言ったのです。
なぜそこまで天照大神の存在を無視したがるのでしょうか?
→天照大神が女神だろうとなかろうと、一貫して息子系統が継承していますので皇統は男系継承です。