magome のコメント

>>118 ナイトさん 久々の返信御疲れ様です。

>自分は漢文で書くことについてどうこう言っているわけではないです。当時交流のあった外国はシナだけでしょうから。
国内の事をそのまま書けばいいのになぜ皇位継承をシナの都合に合わせて書き換えないといけない

これは >>88 でも詳細を書きましたが、日本書紀を含む我が國の正式な史書の作成が始まった当時はまだ支那の柵封体制から脱却して間もなく、「天皇」の称号も日本という國号も制定されていなかった(日本書紀の最期に記されている持統天皇によって初めて「日本」が國号として制定され、「天皇」の称号も推古天皇が初めて用い、持統天皇が「天皇」の称号で初めて即位した)ことから、支那や支那の属国、漢字文化圏の国々に独立を証明し、証明するためにもあえて漢文で書いたということであり、國外に向けての正式な史書がまだ一冊も編纂されていなかったところにあります。

>→この大辞林の例でいえば、息子は男子ですし、娘は女子です。

いえいえ、

大辞林 第三版

むすこ【息子】〔「産(む)す子」の意〕 ① 親にとって,男の子供。子息(しそく)。せがれ。

むすめ【娘】〔「産(む)す女」の意〕 ① 親にとって,女の子供。息女(そくじよ)。

と記されていることから、それぞれの性差における親にとっての子供の意味であって、男子、女子という意味合いは含まれません。

>「父方の父」という言葉はありえませんので、3代目から父方・母方の系統が判別

なるほど、「父方の父」という言葉があり得ない以上は「3代目から父方・母方」という解釈もあり得ないと述べているのですね。たしかに、「女系、男系は3代目から父方・母方の系統が判別」という説は古事記や日本書紀などの正式な史書、または辞書に記されているという証明がなければ単なる個人的な見解であり、正当な解釈とはなりえません。

まずは日本書紀や古事記などの正式な史書、系図、または辞書のどこに正式に「女系、男系は3代目から父方・母方の系統が判別」に記されているのか証明しなければ、単なる個人的見解、もしくは「珍説」の域を出ません。

>女系、男系は3代目から男系もしくは女系の判断する

これも同じく正式に日本書紀や古事記などの史書、または辞書に記されているのか証明しなければこの説は単なる個人の勝手な解釈であって、真実を証明したことになりません。

>斉明天皇→茅渟王→押坂彦人大兄皇子→敏達天皇→欽明天皇→継体天皇

なるほど、男系に限定すると斉明天皇は曾祖父にまで遡らないと天皇に繋がらないのですね。いやしつれい、こちらが間違っていました。

ところで、気になる主張がありました。

>神武天皇・天照大神に辿りつきます。今上陛下も同様です。ただあまりにも長いのでここでは省略します。

失礼ながら、旧譜皇統譜を拝見しても今上陛下から8人10代の女性天皇を含む一人の天皇も省かずに神武天皇、天照大神にまで遡れませんでした。なにしろ、天照大神に辿ってしまうと天照大神が天忍穂耳命の母であることから、どうしても女系(母方)でしか辿ることしかできないからであり、今上陛下から男系で辿ると8人10代の女性天皇が女性であることから男系で辿ると天照大神まで辿れないからです。

>→繰り返しになりますが、姓は血統を表す記号のようなもの

その説も正式な辞書、もしくは日本書紀、または古事記などの史書を用いて証明しないと、単なる個人的な見解という意味にすぎず、正式な証明になりません。この個人的な見解こそが歴史や事件の捏造、歪曲、誤報を招き、時には崩壊を招いてしまうのです。

一体どこの辞書、または正式な史書、あるいは系図に「現在では江戸期以前の『姓』が血統を表す記号のようなものであり、概念はいまでも残っている」と記されているのですか?それと、もう一つ、日本における江戸期以前の姓は天皇陛下が下賜されてきたものであり、天皇陛下には姓も氏も、そして苗字すら存在しないことから易姓革命は起りようもあり得ませんし、天皇陛下および皇太子を含む皇族が男女問わず御結婚されるときには皇族方が二人も参加される皇室会議によって承認されなければ御結婚が許されないことから、「皇室の婿入り、嫁入りによる易姓革命」を述べている時点で皇室を「婿入り、嫁入りによる易姓革命を起こさせそうな輩」と中傷し、罵倒しているということにお気付きになられませんか?ちなみに皇室会議に出席される皇族方をお決めになられるのはほかでもない天皇陛下であります。

>皇室はいわば「姓を持たない」姓の一族が代々男系で継承してきたのです。

これも結局は日本書紀や古事記などの正式な史書のどこにも記されていない個人的な見解にすぎません。いわば、「妄言」の域を出ていません。いったいどこの日本書紀や古事記などの史書、または辞書に「皇室はいわば『姓を持たない』姓の一族が代々男系で継承してきた」と正式に記されているのですか?

>そこで他姓の男子を婿に迎えて継承すると「姓を持たない」姓の一族から他姓に血統が切り替わります。

男系絶対を順守する支那や朝鮮ではこの概念は通用するでしょうが、戦国武将、上杉家の系図一つ見ても「父系」による姓は何回も入れ替わっています。

<藤原北家勧修寺流>藤原清房→上杉重房(初代)→(略)→上杉憲政→<桓武平氏>上杉輝虎(謙信・長尾景虎)→上杉景勝(長尾顕景)→(略)→上杉綱勝→<清和源氏>上杉綱憲(吉良景倫)→(略)→上杉重定→<大蔵氏>上杉治憲(鷹山・秋月勝興)→<清和源氏>→上杉治広→(略)→上杉茂憲

と姓は男系で継承され、日本人の意識に根強くあるならば、謙信公は関東管領に就任後も「平輝虎」と署名していたはずです。彼らは意固地なまでに伝統を重んじますから。しかし源氏は「藤原輝虎」と名乗っています。(そして長尾景虎の頃には「平景虎」と署名しています)

父系を遡れば清和源氏に属する(吉良上野介の息子)綱憲も「藤原綱憲」と署名し、上杉家当主は全員が藤原姓です。

この例を見ればわかるとおり、古来より、日本における姓は血統ではなく家に属する、というのが日本人の姓意識なのです(しんやさんのコメントを勝手ながら拝借させていただきました。誠にすみません。)

よって、日本にとって昔から「姓」は家に属するのであって血統という概念はまったくありません。

>仮に女系継承を認め代々継承していくと、血統が特別ではなくなり一般人と同様の血統(父→母→父等とランダムに

しかし、史実においては

>→男系子孫が125代絶え間なく即位し続けているのには変わりありません。
>生存時に即位していなくても、後に天皇とされた皇族の事です。

なるほど、史実では即位できずに後付で即位したことにしなければ「男系子孫が125代絶え間なく即位し続けている」という歴史は成り立たないということなんですね。例えその時の都合で即位したということにしても史実では即位していないことから結局は伝統や史実と関係なく、当時の都合から男系に限定していたのであって、男系子孫に限定してしまえば史実として「125代絶え間なく天皇が即位し続けてきた」という歴史が成り立たないことが補強されることとなりました。

後付でいくら称号を与えようとも史実では即位していないことに変わりはありませんから。

なお、現在議論されている皇位継承問題は史実における皇位継承問題であって死後における即位や天照大神男神説を含む当時の都合や一時的解釈は含まれてないことをこの場で述べておきます。これはいかなる評論家でも主張はほぼ同じです。

それと、日本書紀では神功皇后に対して一箇所だけ天皇と記している箇所があり、この一つの例をとっても日本が女系公認であることが明らかなのですが、この事実に対してナイトさんはどのような見解を御持ちなのでしょう?

>草壁皇子は明治政府の都合で天皇にされたのではなく、息子の文武天皇が即位した事によって天皇の尊号が与えられ、追存天皇になったのです。(758年)

なるほど、明治政府ではなく、758年当時の都合だったということなんですね。お知らせいただきありがとうございます。

>すみませんが、極左が男系継承を応援しているというネット記事やアマゾンのカスタマーレビューを見ましたが、極左活動家のコメント等が見つかりませんでした。

リンク先を直接ここで張り付けるという手もありますが、極力控えてほしいとの要望がありますので、検索方法をお伝えだけいたしますが、 amazon で皇統男系固執者が書いた 「皇統断絶計画-女性宮家創設の真実 (チャンネル桜叢書)」や「皇統は万世一系である」、「皇統保守」、そして「別冊正論 Extra.14 (日工ムック) 」でレビューに★五つを付けて絶賛の書評を書いている shogun communist 2 のカスタマーレビューでの記述をお読みになられましたか?グーグルで   「shogun communist 2」「同志八木」もしくは「同志谷田川」で検索してみてはいかがでしょう。その上で感想を送ってほしいと思います。他の男系派の方々にこれらの内容を紹介したとたんに返信が途絶えてしまったので、これらの感想を含めて返信が来ることを大いに期待します。

>仮に女系継承を認め代々継承していくと、血統が特別ではなくなり一般人と同様の血統(父→母→父等とランダムに辿って行かないと歴代天皇に辿りつかない)に

しかしながら、旧譜皇統譜一つとっても今上陛下から8人10代の女性天皇を含む歴代天皇を一人も省かずに天照大神まで辿ることが出来ないことから、すでに皇統は125代の天皇が絶えななく即位し続きてきたという歴史を立証する場合、父→母→父等とランダムに辿って行かないと歴代天皇に辿りつかないことにお気付きになられませんか?

もし、異議があるならば今上陛下から8人10代の女性天皇を含む歴代天皇を一人も省かずに天照大神まで辿る方法をこの場にて詳細に説明した戴く以外に方法はないと思います。

>→その負担を軽減するために旧宮家の復帰を主張している

失礼ながら、65歳以上の老人を皇室に招き入れた何の意味があるのでしょうか?旧宮家とは昭和22年に皇籍を離脱する前に宮家でいた方々で、それら子孫は旧宮家系国民男子であって、旧宮家ではありません。これが「皇籍取得」ならば旧宮家の子孫であることをの述べていることはわかりますが、「復帰」と述べている時点で、これは皇籍離脱時に旧宮家に属していた人の事であって皇籍離脱後に生まれた旧宮家系国民男子のことを示していないことはもはや明確なのです。

よって、旧宮家の復帰を唱える前に65歳以上の老人を皇室に入れて何の意味があるのかの説明が必要となります。

また、旧宮家系国民男子も旧宮家の復帰に繋がるのであれば辞書、もしくは日本書紀や古事記などの正式な史書を用いて説明する必要があります。

>子供は夫と妻が協力して作るものです。つまり天照大神とスサノオノミコトが協力してアメノオシホミミノミコトが産まれたという事になり

しかしながら、この説を史実として立証する場合は「息子継承は男系、男系女系を判別するのは3代」とする自説とおなじく正式な辞書と正式な史書である旧譜皇統譜や日本書紀、古事記のいずれかに「子供は夫と妻が協力して作るものです。つまり天照大神とスサノオノミコトが協力してアメノオシホミミノミコトが産まれたという事になりそこから息子系統が代々継承していますので、天照大神から見てもスサノオノミコトから見ても男系継承には変わりありません」と明確に記されているという証拠が必要なのです。旧譜皇統譜のどこに「天照大神とスサノオノミコトが協力してアメノオシホミミノミコトが産まれた」と記されているのでしょうか?また、日本書紀や古事記のどこに「日本神話における神の子も含めて、子供は夫と妻が協力して作るものです。つまり天照大神とスサノオノミコトが協力してアメノオシホミミノミコトが産まれたという事になりそこから息子系統が代々継承していますので、天照大神から見てもスサノオノミコトから見ても男系継承には変わりありません」と記されているのでしょうか?引用をお願いします。

さて、ここまでナイトさんが述べてきた内容を見てみますと
1.辞書や正式な史書にかかれてない内容を解釈し、根拠としていることから根拠の乏しい、自説、(珍説)の域をでていない。
2.当時の都合と史実を混同している
3.分析、理由に対する追及があまりにも少ない

という点が揚げられます。こられの点を改善しなければ皇統女系公認者である双系という史実と渡り合うには相当に難しいと述べさせていただきます

No.125 125ヶ月前

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