ナイト のコメント

>>magomeさん
・なぜに支那に向けて書いていなかれば漢文で記す必要もないと思うのですが、なぜに漢文で書く必要があったのか考えたことはありませんか?日本書紀を含む我が國の正史の作成が始まった当時はまだ支那の柵封体制から脱却して間もなく、「天皇」の称号も日本という國号も制定されていなかった(日本書紀の最期に記されている持統天皇によって初めて「日本」が國号として制定され、「天皇」の称号も推古天皇が初めて用い、持統天皇が「天皇」の称号で初めて即位した)ことから、支那や支那の属国、漢字文化圏の国々に独立を証明し、証明するためにもあえて漢文で書いたことは想像に難くありません。

→自分は漢文で書くことについてどうこう言っているわけではないです。
当時交流のあった外国はシナだけでしょうから。
国内の事をそのまま書けばいいのになぜ皇位継承をシナの都合に合わせて書き換えないといけないんでしょうか。

>天照大神が女性神であろうとなかろうと、一貫して息子系統が継承していますので皇統は男系継承と
>男系継承:息子"系統"への継承 女系継承:娘"系統"の継承 となります。また、「父方の祖父」「母方の祖父」という言葉がある通り、3代目から男系もしくは女系の判断ができます。

・ですが、この説は正史や辞書などの根拠を用いなければあくまでも個人的な見解にすぎず、事実として公式に認定することは不可能です。皇位継承問題で用いられている「男系」「女系」とは父からの継承、もしくは母からの継承というだけの話で、「息子"系統"への継承 女系継承:娘"系統"の継承」という意味合いは含まれていません。

大辞林 第三版
だんけい【男系】男子によって受け継がれる系統。また,父方の血統。
じょけい【女系】女子によって受け継がれる系統。また,母方の血統。

という意味だけであって、どこの辞書にも正史にも皇統における男系、女系も父方または、母方の血統の事を述べているのであって、娘、息子はまったく関係ありません。だからこそ、敬宮愛子内親王殿下も男系女子とされ、歴代の女性天皇も元正天皇を除いては男系女子とされているわけです。

→この大辞林の例でいえば、息子は男子ですし、娘は女子です。
また、「父方の父」という言葉はありえませんので、3代目から父方・母方の系統が判別できます。
天照大神から見て3代目はニニギノミコトです。
愛子内親王殿下も元正天皇も父方が男系子孫である為、男系女子なのです。

よって、息子系統の継承は男系継承となるのです。

>→旧譜皇統譜は草壁皇子を天皇として記載しています

・それは初耳です。が、例え旧譜皇統譜で草壁皇子が天皇として記載されていても正史で即位前に崩御して即位していないと記されていう史実を覆すことが出来ない以上、旧譜皇統譜が明治時代の男尊女卑という都合で一時的にその場しのぎで天皇と記したということにしかならず、やはり男系に拘れば草壁皇子が即位していないという史実が動かせないことから、男系に限定すれば草壁皇子の代で天皇の歴史は断絶したことになってしまい「125代絶え間なく即位し続けた天皇」という歴史が成り立たなくなってしまうことに変わりはありません。
よって、草壁皇子を天皇と記す行為は天照大神が一時的に一部の人々の間で男性神と解釈されたのと同じであり、正式な歴史として認定することは不可能であると述べておきます。
→男系子孫が125代絶え間なく即位し続けているのには変わりありません。

ちなみに追尊天皇という言葉はご存知ですか?
生存時に即位していなくても、後に天皇とされた皇族の事です。
草壁皇子は明治政府の都合で天皇にされたのではなく、息子の文武天皇が即位した事によって
天皇の尊号が与えられ、追存天皇になったのです。(758年)

・ちなみに、もし、男系継承に限定するならば父方の系統で遡って歴代天皇に行き着かなければなりません(支那では「孔子世家譜」の例でもわかるとおり父方の系統を遡って孔子に遡ることが出来る)が斉明天皇から父系に限定してどのように神武天皇や天照大神に遡ることが出来るのでしょうか?これは今上陛下にもいえることなのですが、この点についても疑問にもぜひともお答えいただきたく思います。

斉明天皇→茅渟王→押坂彦人大兄皇子→敏達天皇→欽明天皇→継体天皇…と父方を辿って行けば
神武天皇・天照大神に辿りつきます。
今上陛下も同様です。ただあまりにも長いのでここでは省略します。
詳細は皇統譜をご参照ください。

・残念ながら、女系が「大辞林 第三版 じょけい【女系】女子によって受け継がれる系統。また,母方の血統。」という意味合いしか含まれていない以上は元明天皇から元正天皇への継承は明らかに女子によって系統が受け継がれたのであり、母方である元明天皇の血統を受け継いでいることから女系として受け継いだという史実しか成り立たないのです。また、続日本記も漢文で記されている以上は支那の男系主義に倣って書き記していることは明快であり、女系継承も男系継承と記しているという域をでていません。よって、史実における男系継承と認定するには明らかに無理があります。

旧譜皇統譜 世系(血統)第一 天照大神 → 世系(血統)第二 天忍穂耳命 母から子への血統を継承しているので完全に女系です。

→先述しましたが、2代だけでは男系女系の判断ができません。同様に天照大神→天忍穂耳命の継承だけでは
まだ男系女系の範疇ではありません。天照大神から見ればニニギノミコトより男系と判断できるのです。

・江戸期以前における「姓」が廃止されたのは明治4年の姓尸不称令からであり、大日本帝国憲法と皇室典範の発布がその僅か18年後の明治22年であったことから、井上毅がこの発言をした当時はまだ、明治初期で江戸期以前の「姓」の観念がまだものすごく強く残り、現在における苗字としての「姓」の観念が広まっていなかったことが明らかになっただけで明治23年に乃木希典が揮毫した石碑に「源希典」と明記したことからもこの根拠が裏付けられるというだけの話です。当時と現在では「姓」の認識とは全く違ってい、かつての「姓」という存在も概念もなくなり、苗字しか使わなくなった現在では「易姓革命」なんて起こりようもありません。

当時の男尊女卑という都合と、江戸期以前の「姓」の観念が強かったというだけの話で、男尊女卑という都合も「姓」の観念も消えた現在では「姓」の乗っ取りは明らかに荒唐無稽であり、徳川幕府復活と同じ妄言の域を出ません。
→繰り返しになりますが、姓は血統を表す記号のようなものです。
確かに現在では姓が使われなくなっていますが、姓が使われないからと言って姓の概念が存在しないとはなりません。
人間だから血統はあるのです。

皇室はいわば「姓を持たない」姓の一族が代々男系で継承してきたのです。
そこで他姓の男子を婿に迎えて継承すると「姓を持たない」姓の一族から他姓に血統が切り替わります。
これが易姓なのです。
皇位は血統により担保されるものですので、他姓に変わった段階で皇統は断絶してしまいます。
仮に女系継承を認め代々継承していくと、血統が特別ではなくなり一般人と同様の血統(父→母→父等とランダムに
辿って行かないと歴代天皇に辿りつかない)になります。
これが自分が女系継承に反対する理由の一つです。

・さて、最後にナイトさんに聞きたいのですが、皇統における男系継承を根強く唱えている人は国内で評論家や学者を始め、いまだに所々で見られますが、彼らの皇統における男系継承を根強く支援している中に「天皇制打倒」をほざく、左翼のなかでも特に左寄りの思想を持つ極左の運動活動家が混じっているという現実にどんな感想を御持ちなのでしょうか?

現在でもグーグルで「極左 ネトウヨ 自称保守 男系」で検索すれば皇統男系を守ることを極左が応援しているという内容が見られますし、アマゾンでも皇統の男系を主張する書物に極左活動家と思わしき人が高得点(★五つ)を付けて「保守の振りをして応援する」という感想が見られ、さらには現在は極左活動家にとっての愛読書が産経新聞やWill、ジャパニズムなどの保守、愛国系列の雑誌だったり、愛聴しているのがチャンネル桜であり、これらに参加している評論家たちを「同志」と呼んでいるという現実について、ナイトさんはどのような見解を御持ちなのか非常に気になります。過去に幾人かの皇統男系を護ろうとする人々に同じ質問を聞いたのですが、みな、沈黙してしまい、答えを得られずじまいでした。

しかし、ここで返信をしてくださるナイトさんなら、ちゃんと読んで見解を述べてくれることを個人として期待して、あえて、ここで述べさせていただきます。
→自分の知る限り、天皇制打倒を主張する人たちは男系・女系に関して興味のない意見が多いように思います。
例えば田嶋陽子は「男系とか女系とか言ってる時点で女性差別(←意味不明)」「陛下が大変そうだから皇室から解放してあげたい」辻元清美は「天皇は伊勢にでも行って宗教法人になればいい」等と言っています。
また新社会党の原和美は「天皇は象徴にすぎない」「天皇は必要ない」と言っています。

すみませんが、極左が男系継承を応援しているというネット記事やアマゾンのカスタマーレビューを
見ましたが、極左活動家のコメント等が見つかりませんでした。
自分の探し方が悪いかもしれませんので、よろしければ具体的な記事等教えていただけると助かります。

>>みるみるさん
もっと分かりやすく表現すると
・起点まで遡ると男性神天照大神
ではなく
・起点まで遡ると女性神天照大神
となっているのは何故でしょうか?
古代より男系継承が鉄則なら
「起点まで遡ると男性神天照大神(男系)」
という神話に何故ならなかったのですか?

息子からの継承が男系ならOKという理論なら
皇統は天照大神の夫の男系ってなりますよね(笑)
皇祖神が天照大神って記述は間違いなんでしょうか?
→自分は天照大神が女性神であることを否定しているわけではありません。
ただ皇統が男系継承されている事と天照大神が女性神であることは両立するというだけです。
なぜ男性神にしなかったと言われてもその必要が無かったとしか言いようがないです。

また、子供は夫と妻が協力して作るものです。
つまり天照大神とスサノオノミコトが協力してアメノオシホミミノミコトが産まれたという事になります。
そこから息子系統が代々継承していますので、天照大神から見てもスサノオノミコトから見ても
男系継承には変わりありません。

>>尻毛屋さん
・つまり貴方は、皇室の生まれでない人間が皇室に入る事に違和感が有る、と言いたいのでしょうか。 それならば美智子皇后に、雅子妃殿下は正確に皇族と言えない、ということになりませんか。
 ですが今現在美智子皇后も雅子妃殿下も皇族として認識されています。(雅子妃殿下はバッシングにより謂れのない批難を受けてはいますが) 
 生まれた家が違うから、というのなら貴方の考えは「男尊女卑」というよりも「身分差別」です。
→自分は皇統をひかない生まれの一般男性が皇室に入るのが違和感があると言っています。
皇統を引かない(いわゆる臣下)生まれの女性が皇室に入るのは歴史上何回もありました。
光明皇后を初めとする藤原氏であったり、最近でも昭憲皇太后、貞明皇后だって臣下の出身です。
ただ、皇統を引かない一般男性が皇室に入るのは日本史上一度もありません。
だから女系継承に反対しているのです。

>>くりんさん
・今皇族で皇位継承権を持っているのは「皇統に属する男系の男子」です。
皇統=男系であればこんな言い方はしないでしょう。つまり男系は皇統の一つであり、皇統=男系+女系なのです。

既に他の先生方によって証明されていますが、旧皇室典範制定時に枢密院議事録で
後世に皇統は女系と解釈されないようにあえて同義反復の表現にしたという旨が書いてあります。
つまり立法者意思は皇統=男系なのです。

・最近職場で、「大人になって一人っ子の大変さが分かった」と聞きました。その方にはお子さんが一人いらっしゃるのですが、このまま一人っ子では成人したとき頼れる親族が少ないと心配されていました。それだけでなく、親の老後や相続など自分で全て引き受けなければならないと悩まれていました。
このまま皇位継承者を男系に固執し続ければ、いずれ悠仁さまも同じ状況に置かれることになります。誰もその責務を肩代わりすることはできないのです。いくら男系固執派が「男系絶対」を叫ぼうと、負担を肩代わりなどできないのです。側室不在であればこの条件で皇統を維持し続けるのは非常に困難といえます。
→その負担を軽減するために旧宮家の復帰を主張しているのが男系派です。
旧宮家が復帰し宮家が複数出来れば悠仁親王や将来の悠仁親王妃殿下への負担を分散することができます。

No.118 125ヶ月前

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