AKB48選抜総選挙に於けるセンターの意義(仮)~ 4 ~ 選抜総選挙以後テレビを見ていると、指原莉乃の言動がなんとなく鼻に付 くのですが、それはAKB48のセンターとしての責任感からくる空回りなの か、それともやはり、とにかく1位に選ばれたことによる驕りなのか、前者 であって欲しいのですが・・・。 宝塚歌劇ではないが、清く、美しく、正しくが、仮にアイドルの定義であ るならば、全くもって指原莉乃は当てはまらないし、HKT48躍進の立役者 としてセンターに立つなら、高橋みなみこそが、AKBGの功労者としてセン ターに立つべきだ。愛嬌があって、バラエティー番組における活躍だけでセ ンターになれるのが選抜総選挙なら、それでは偶然で決まってしまうジャン ケン大会とあまり代わり映えしなくなってしまう。 AKB48の物語そのものとは別に、個々のメンバーそれぞれにも物語を感 じるのですが、漫画に例えるならば、渡辺麻友は、クラシカルな少女マンガ の主人公が現実の世界に飛び出してきたような女の子で、なにか自分も物語 の登場人物になったような気にさせてくれるし、大島優子は『ドラゴンボー ル』や『ワンピース』のような、冒険活劇のワクワク、ハラハラ、ドキドキ を見る者に感じさせてくれる。前田敦子の卒業は、『あしたのジョー』のラ ストシーンと重なってしまう。高橋みなみのAKB人生には、スポ根熱血漫 画がピッタリと当てはまるのですが、指原莉乃には物語が思い浮かばない。 強いて言えば、物語ではなく、煽りの効いたネットニュースの見出しでしょ うか。指原莉乃というキャラクターに、物語性を感じるか、感じないかは、 個人の感性の問題であり、人によっては、彼女から物語を読み取っているの かもしれないが、しかし、そのことはAKB48の頂点、象徴としてのセンタ ーにとって、とても重要なことではないのか。 (続く)
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AKB48選抜総選挙に於けるセンターの意義(仮)~ 4 ~
選抜総選挙以後テレビを見ていると、指原莉乃の言動がなんとなく鼻に付
くのですが、それはAKB48のセンターとしての責任感からくる空回りなの
か、それともやはり、とにかく1位に選ばれたことによる驕りなのか、前者
であって欲しいのですが・・・。
宝塚歌劇ではないが、清く、美しく、正しくが、仮にアイドルの定義であ
るならば、全くもって指原莉乃は当てはまらないし、HKT48躍進の立役者
としてセンターに立つなら、高橋みなみこそが、AKBGの功労者としてセン
ターに立つべきだ。愛嬌があって、バラエティー番組における活躍だけでセ
ンターになれるのが選抜総選挙なら、それでは偶然で決まってしまうジャン
ケン大会とあまり代わり映えしなくなってしまう。
AKB48の物語そのものとは別に、個々のメンバーそれぞれにも物語を感
じるのですが、漫画に例えるならば、渡辺麻友は、クラシカルな少女マンガ
の主人公が現実の世界に飛び出してきたような女の子で、なにか自分も物語
の登場人物になったような気にさせてくれるし、大島優子は『ドラゴンボー
ル』や『ワンピース』のような、冒険活劇のワクワク、ハラハラ、ドキドキ
を見る者に感じさせてくれる。前田敦子の卒業は、『あしたのジョー』のラ
ストシーンと重なってしまう。高橋みなみのAKB人生には、スポ根熱血漫
画がピッタリと当てはまるのですが、指原莉乃には物語が思い浮かばない。
強いて言えば、物語ではなく、煽りの効いたネットニュースの見出しでしょ
うか。指原莉乃というキャラクターに、物語性を感じるか、感じないかは、
個人の感性の問題であり、人によっては、彼女から物語を読み取っているの
かもしれないが、しかし、そのことはAKB48の頂点、象徴としてのセンタ
ーにとって、とても重要なことではないのか。
(続く)