どうも、皆様、お久しぶりです。引っ越しもようやっと落ち着き、このようにライジングのコメント欄に書き込めるようになりました。 まず、na85さんが紹介してくれた江戸しぐさと陽明学についての入門書、「王陽明のことば」と「『江戸しぐさ』完全理解」と読了しました。これらの本で驚いたのはまず、王陽明が軍事と民事の両方に精通していたばかりか、その体験を基に陽明学なる大学を成立させ、庶民と軍人、政治家、すべてに応用できて、それぞれの現場で思う存分に生かせる学問にまで発展させた所にあることと、この陽明学を存分に生かした江戸しぐさもまた、知識ではなく、思草と言われる通り、当たり前の行動としてその体に叩き込んで得られ鵜行為であり、いわば一種の癖として浸透していたところにあります。これは自転車や自動車の運転や職人の技と共通していて、そのために、文献に殆ど残っていないというものでした。しかし、現在の國内における近代教育、政治の限界と、過疎化に見られる共同体の崩壊を見ると、明治政府を始めとする明治時代から始まる江戸時代否定ありきで調査して実施した江戸しぐさの根絶は、現在の我が國の負の遺産として現れているとしか思えないわけです。 今でも、東京都内でも特定の地域や場所に行けば江戸しぐさが見られると「『江戸しぐさ』完全理解」の著者は語りますが、この「『江戸しぐさ』完全理解」も今後、グローバル化が進むにつれて跡形もなく消え去ってしまうことは火を見るより明らかでしょう。事実、都心部を中心に運営する國内の大手企業も外国人の雇用化を大幅に増やし、TPPに先駆ける様に楽天やユニクロは社内で英語を公用語化させています。英語が公用語化すれば日本語でしか表せない言葉も失われ、江戸しぐさもインカ文明やマヤ文明のごとく、完全に過去のものとして滅び去ってしまうことは必須です。事実、英語では「前向きに善処します」や「よろしくお願いします」なる言葉は存在しませんし、「御疲れ様でした」など、人をねぎらう当たり前のような言葉も存在しません。教育でもこのように人をねぎらう言葉が存在しない、冷たい言語を小学生のころから叩き込むことような有様では江戸しぐさの理解など期待もできるはずがありません。嫌韓派や嫌中派があれほど忌み嫌う、人を人と思わぬ冷酷で身勝手な私欲の塊のような人間を養成するだけとなるでしょう。 ところで、この江戸しぐさは寺子屋などの教育現場でも存分に生かされたのですが、この江戸しぐさを叩き込んだ子育てや教育を詳細に取り上げた本があります。それは 小学館出版 小泉吉永 著 「『江戸の子育て』読本」です。この本に書かれている内容は赤ん坊が生まれたときから寺子屋に入るまでのしつけと教育、寺子屋での教育と寺子屋での罰則、そして寺子屋での教育終了後の教養について取り上げられています。まず、現在と違う所は子供は実母のほかに乳母が当たり前にいたこと、つまり、複数の母親がいたこと。寺子屋では罰則があるものの、罰則は今でいう教室内で行われるもの(机に正座して筆を加えるなど)や極限が破門で、弟子と一緒に謝る謝り役の大人(主に婆さん)がいたこと。そして女子の教育についての時代や知識人への主張など、今回、感想として取り上げた二書に関わる著書なので結構お勧めです。機会があれば、ぜひ、一度手に取ってみては如何でありましょう。 また、陽明学は「大東亜論」に登場する西郷隆盛はおろか、高場乱や平野国臣が教育を受けた亀井塾の亀井南冥も教育を受けていたことから、「大東亜論」をより、面白く読むためにも一読の今回取り上げた二書は一読の価値があると思います。
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どうも、皆様、お久しぶりです。引っ越しもようやっと落ち着き、このようにライジングのコメント欄に書き込めるようになりました。
まず、na85さんが紹介してくれた江戸しぐさと陽明学についての入門書、「王陽明のことば」と「『江戸しぐさ』完全理解」と読了しました。これらの本で驚いたのはまず、王陽明が軍事と民事の両方に精通していたばかりか、その体験を基に陽明学なる大学を成立させ、庶民と軍人、政治家、すべてに応用できて、それぞれの現場で思う存分に生かせる学問にまで発展させた所にあることと、この陽明学を存分に生かした江戸しぐさもまた、知識ではなく、思草と言われる通り、当たり前の行動としてその体に叩き込んで得られ鵜行為であり、いわば一種の癖として浸透していたところにあります。これは自転車や自動車の運転や職人の技と共通していて、そのために、文献に殆ど残っていないというものでした。しかし、現在の國内における近代教育、政治の限界と、過疎化に見られる共同体の崩壊を見ると、明治政府を始めとする明治時代から始まる江戸時代否定ありきで調査して実施した江戸しぐさの根絶は、現在の我が國の負の遺産として現れているとしか思えないわけです。
今でも、東京都内でも特定の地域や場所に行けば江戸しぐさが見られると「『江戸しぐさ』完全理解」の著者は語りますが、この「『江戸しぐさ』完全理解」も今後、グローバル化が進むにつれて跡形もなく消え去ってしまうことは火を見るより明らかでしょう。事実、都心部を中心に運営する國内の大手企業も外国人の雇用化を大幅に増やし、TPPに先駆ける様に楽天やユニクロは社内で英語を公用語化させています。英語が公用語化すれば日本語でしか表せない言葉も失われ、江戸しぐさもインカ文明やマヤ文明のごとく、完全に過去のものとして滅び去ってしまうことは必須です。事実、英語では「前向きに善処します」や「よろしくお願いします」なる言葉は存在しませんし、「御疲れ様でした」など、人をねぎらう当たり前のような言葉も存在しません。教育でもこのように人をねぎらう言葉が存在しない、冷たい言語を小学生のころから叩き込むことような有様では江戸しぐさの理解など期待もできるはずがありません。嫌韓派や嫌中派があれほど忌み嫌う、人を人と思わぬ冷酷で身勝手な私欲の塊のような人間を養成するだけとなるでしょう。
ところで、この江戸しぐさは寺子屋などの教育現場でも存分に生かされたのですが、この江戸しぐさを叩き込んだ子育てや教育を詳細に取り上げた本があります。それは 小学館出版 小泉吉永 著 「『江戸の子育て』読本」です。この本に書かれている内容は赤ん坊が生まれたときから寺子屋に入るまでのしつけと教育、寺子屋での教育と寺子屋での罰則、そして寺子屋での教育終了後の教養について取り上げられています。まず、現在と違う所は子供は実母のほかに乳母が当たり前にいたこと、つまり、複数の母親がいたこと。寺子屋では罰則があるものの、罰則は今でいう教室内で行われるもの(机に正座して筆を加えるなど)や極限が破門で、弟子と一緒に謝る謝り役の大人(主に婆さん)がいたこと。そして女子の教育についての時代や知識人への主張など、今回、感想として取り上げた二書に関わる著書なので結構お勧めです。機会があれば、ぜひ、一度手に取ってみては如何でありましょう。
また、陽明学は「大東亜論」に登場する西郷隆盛はおろか、高場乱や平野国臣が教育を受けた亀井塾の亀井南冥も教育を受けていたことから、「大東亜論」をより、面白く読むためにも一読の今回取り上げた二書は一読の価値があると思います。