岸端編集長、小林師範、時浦師範代、今週のライジング配信お疲れ様でした。幼少のころから一般の人々と同じく大人の会話や番組、新聞記事で政治関連の報道を聞いてきましたが、「閣議決定」なる単語を聞いたのは小泉政権の郵政改革が報道され始めてからであったことを思い出しました。それまでは、自分が郵政改革が持ち上がる時ほど政治に関心がなかったからだと勝手に思い込んでいましたが、まさか、閣議決定に基づいて政策を実施すること自体が国会議決に基づく民主主義にすら背く行為であったとは思いもよりませんでした。 健全な野党が存在しない現在ならいざ知らず、過去の小泉政権時においても野党はおろか、報道機関すらこの閣議決定による政策執行の危険性に追及してこなかった代償が現在の安倍政権の大いなる欠点と失策を容認する気委員になっているとしか思えません。また、民主主義をあれほど重要視し、民主主義を健全に保つために監視するはずの言論人や知識人、そして、我々一般国民が閣議決定の意味についてすらよく知らないほどに民主主義に無関心であることが、我が國における民主主義そのものの限界を表しているとしか思えなくなりました。安倍政権についての批判をしていてもその安倍政権を選んだのがあくまでも選挙民であり、安倍政権の政策を容認しているのもまた、選挙民であるという事実を、今回の閣議決定について取り上げたゴー宣が我々に伝えているのだと考えます。 本来、民主主義は選挙民が権力の拡大を抑制するために監視し、近代法を権力者が選挙民と同じく遵守しているか否かも監視しなければならないために選挙権を有する選挙民も政治的見解について一定の知識と関心を持っていなければならないはずなのですが、私を含む、多くの国民が報道機関や言論人、知識人と同じく、選挙権を得るほどに政治における知識や関心があるのかとつくづく疑問を持つに至りました。昭和2年以前の限定選挙に戻るわけではありませんが、健全な民主主義と議会を守るためにせめて、選挙権にも一定の条件を付ければと常々思うのですが、如何でありましょう。何も選挙権をある種の特権にするわけではなく、政治と将来に関心を持つ人々だけに票を絞ったほうがネトウヨ、ネトバカなどのコアな支持層を排除し、野党もより健全となる健全な議会と民主主義の活用させるために一定の役割を果たすのではとしか思えないのです。ネトウヨ、ネトバカに選挙権があるばっかりに今回の安倍政権が暴走し始めていることから、ネトウヨ、ネトバカを選挙民から取り除く対策を取らなければ政治家も選挙民も健全な選挙に基づく国会を運営させていくことは難しいと思います。 ベスト新書から出版される小林師範の新書が楽しみで仕方がありません。なぜなら、現在の靖国神社を、報道機関はおろか、自称保守が取り上げるたびにうんざりしているからなのです。以前は終戦日などにいくと、戦争を体験したたくさんの御爺さんたちが私たちに、まるで自分の孫に語りかける様に自分たちの戦争体験について話してくれて、私にとっては数少ない何よりの楽しみであり、今となっては大変貴重な経験でもありました。しかし、現在は戦争を経験した御爺さんたちに代って煩い報道機関と、日本軍の軍装をした若い人々、そして中国、韓国を罵倒する人々しかいなくなり、私が知っている靖国神社とは全くの別の場所に変わり果ててしまいました。私は崇敬奉賛会会員ですが、靖国神社に行くときはいつも、遊就館に言っては英霊の言乃葉を読んでから帰ります。戦争を生き残り、我々に戦争の体験を語りかけてくれた御爺さんたちの姿が英霊の言乃葉を読むたびに思い出します。これまでの書物と同じく、今回も期待に裏切らずに私の靖国神社に対する認識を時には否定し、強烈な刺激となって私にまた、新たなる認識を持たせてくれるものと思います。新書の発売が待ち遠しくなりました。
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岸端編集長、小林師範、時浦師範代、今週のライジング配信お疲れ様でした。幼少のころから一般の人々と同じく大人の会話や番組、新聞記事で政治関連の報道を聞いてきましたが、「閣議決定」なる単語を聞いたのは小泉政権の郵政改革が報道され始めてからであったことを思い出しました。それまでは、自分が郵政改革が持ち上がる時ほど政治に関心がなかったからだと勝手に思い込んでいましたが、まさか、閣議決定に基づいて政策を実施すること自体が国会議決に基づく民主主義にすら背く行為であったとは思いもよりませんでした。
健全な野党が存在しない現在ならいざ知らず、過去の小泉政権時においても野党はおろか、報道機関すらこの閣議決定による政策執行の危険性に追及してこなかった代償が現在の安倍政権の大いなる欠点と失策を容認する気委員になっているとしか思えません。また、民主主義をあれほど重要視し、民主主義を健全に保つために監視するはずの言論人や知識人、そして、我々一般国民が閣議決定の意味についてすらよく知らないほどに民主主義に無関心であることが、我が國における民主主義そのものの限界を表しているとしか思えなくなりました。安倍政権についての批判をしていてもその安倍政権を選んだのがあくまでも選挙民であり、安倍政権の政策を容認しているのもまた、選挙民であるという事実を、今回の閣議決定について取り上げたゴー宣が我々に伝えているのだと考えます。
本来、民主主義は選挙民が権力の拡大を抑制するために監視し、近代法を権力者が選挙民と同じく遵守しているか否かも監視しなければならないために選挙権を有する選挙民も政治的見解について一定の知識と関心を持っていなければならないはずなのですが、私を含む、多くの国民が報道機関や言論人、知識人と同じく、選挙権を得るほどに政治における知識や関心があるのかとつくづく疑問を持つに至りました。昭和2年以前の限定選挙に戻るわけではありませんが、健全な民主主義と議会を守るためにせめて、選挙権にも一定の条件を付ければと常々思うのですが、如何でありましょう。何も選挙権をある種の特権にするわけではなく、政治と将来に関心を持つ人々だけに票を絞ったほうがネトウヨ、ネトバカなどのコアな支持層を排除し、野党もより健全となる健全な議会と民主主義の活用させるために一定の役割を果たすのではとしか思えないのです。ネトウヨ、ネトバカに選挙権があるばっかりに今回の安倍政権が暴走し始めていることから、ネトウヨ、ネトバカを選挙民から取り除く対策を取らなければ政治家も選挙民も健全な選挙に基づく国会を運営させていくことは難しいと思います。
ベスト新書から出版される小林師範の新書が楽しみで仕方がありません。なぜなら、現在の靖国神社を、報道機関はおろか、自称保守が取り上げるたびにうんざりしているからなのです。以前は終戦日などにいくと、戦争を体験したたくさんの御爺さんたちが私たちに、まるで自分の孫に語りかける様に自分たちの戦争体験について話してくれて、私にとっては数少ない何よりの楽しみであり、今となっては大変貴重な経験でもありました。しかし、現在は戦争を経験した御爺さんたちに代って煩い報道機関と、日本軍の軍装をした若い人々、そして中国、韓国を罵倒する人々しかいなくなり、私が知っている靖国神社とは全くの別の場所に変わり果ててしまいました。私は崇敬奉賛会会員ですが、靖国神社に行くときはいつも、遊就館に言っては英霊の言乃葉を読んでから帰ります。戦争を生き残り、我々に戦争の体験を語りかけてくれた御爺さんたちの姿が英霊の言乃葉を読むたびに思い出します。これまでの書物と同じく、今回も期待に裏切らずに私の靖国神社に対する認識を時には否定し、強烈な刺激となって私にまた、新たなる認識を持たせてくれるものと思います。新書の発売が待ち遠しくなりました。