武藤 のコメント

>>67
家斉時代も評価できる点もあります。家斉が将軍に就任した時の補佐役は松平定信でした。確かにアンチ田沼であった為、学問の自由を制限したり株仲間の税を廃止したりと評価できない政策をしました。
しかし、江戸各地に流れ込んできた浮浪者や無宿者に対して人足寄場という収容所を設け、彼らを収容して治安の維持を図り手工業などの職業訓練を行いました。この近代的刑務所は欧米諸国よりも早く制度化されており評価してもよいでしょう。また、天明の飢饉をかんがみ、社倉や義倉を設けて米穀の貯蔵を進め、江戸では町人が負担している町費を町ごとに節約させ、節約した70%を積みたてる七分積金を作り火災・飢饉に備えさせました。
問題は定信が失脚した後です。家斉は家慶に将軍職を譲った後に大御所として君臨しました。家斉の側近には優れた人物がいなかったのは不運でしたが、凶作が続き農村でも多くの餓死者が出た(天保の飢饉)があったにも関わらず、畿内のコメ不足に対して有効な対処をとることもなく大塩の乱を招く結果になりました。これが幕府統治を揺るがす結果になった以上はいくら将軍職を譲ったとはいえ、家斉の罪は重いとしか言えません。歴代将軍の中では暗愚としか評価はできません。

No.71 128ヶ月前

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