いよいよ寒気が到来し始めましたが、皆様お変わりありませんか?よしりん師範、木蘭師範、時浦師範代、みなぼん編集長、スタッフの皆様、今週も執筆・編集・配信ありがとうございます。 日本人がお客様のおもてなしに臨む場合お辞儀という挨拶から始まると思います。では日本人が合掌を伴ったお辞儀をどういう時にするかと言えば仏教寺院に参拝するときぐらいしか思いつきません。一方で欧米人が思う日本イメージのかなり上位に観光地としての神社仏閣があると思われます。つまりあの滝川クリステルのomotenashiパフォーマンスは、日本的なモノを何でもブチ込んでおけば欧米人に受けるだろうという安易な発想で、深い考えもなく歓迎の挨拶と参拝しぐさを混同させたのだと思われます。また同時に参拝つながりで神仏にお願いするような心持でIOC委員の皆様に東京への投票をお願いするという意味も含んでいたのかもしれません。しかし最早それは誠意あるオモテナシの象徴ではなく単に卑屈なオネガイの態度としか思えません。そもそも神仏への参拝はお願いではなく誓いを立てるのが正しいわけですから二重三重に誤解されそうです。IOC総会の最終プレゼンのときには「私たちは自国文化を少々投げ売ってでも目先の利益が欲しいです。だから東京に1票ください」という空気が日本中を覆っていたように感じました。カネのために文化破壊を受け入れ、結局カネも得られないどころか大きく失うという結末は、五輪開催もTPP参加も同じでしょう。 私は三波春夫の「お客様は神様です」には良いイメージをもっていませんでしたが、今回その意味を正しく知ることができました。カミ様の前で心を清明正直にし、カミ様に芸を奉納するような態度で臨む、これは神職が祭祀に臨むときの行き方です。そのような心境でお客様をカミ様と思うのであればとても納得がいきますし、また一流芸能人はこうでなければ良い芸はできないと思います。芸能人に限らずどんな仕事においても、日本人の仕事に対する真剣さや集中力はカミ様への奉仕・奉納だとされ、チームで良い結果を出す場合も同じカミ様を斎祀る共同体の機能が発揮された場合だと考えられます。最近まで生きていた日本人同士の互いの職業の尊重と職能への尊敬や信頼は、近代以前に育まれた宗教感覚や文化に由来する無意識の共通了解があってのことだと思われます。この相手の職業への尊敬があれば不当なクレーマー行為はできないはずであり、またそのような行為をする人は共同体社会から締め出されたはずです。 さて、江戸期の子供たちは江戸しぐさ・繁盛しぐさの一環として寺子屋で「会う人みな仏様と思え」と教えられたそうです。人口が密集していた江戸の町人居住区域で皆が気持ちよく暮らしていけるようにできた所作が江戸しぐさですが、相手に不快な思いをさせない態度を身に着けることで、商売で身を立てやすいように子供の頃から寺子屋で仕込まれたわけです。お互いが相手を神仏だと思って接すれば大した争いも起こらず気持ちよく暮らせる社会だったはずです。この伝でいくと「お客様は神様」の淵源は江戸文化にあるのかもしれません。江戸は農村から溢れた民が流入して大きくなった都市ですが決して砂粒の個人ではなく、長屋は一つの共同体であったし、職場や職能団体も共同体なら寺子屋や江戸講も共同体として機能する重層的な共同体社会だったと言えます。ちなみに参勤交代行列などで農工商の武士に対する土下座はあまり厳格ではなく、むしろ家格によって厳しく差別されていた武士同士のほうが顔を合わす機会が多いため土下座の機会も多かったかもしれません。 現代日本は地域社会や職場、家族からも孤立したネトウヨチックでクレーマー体質な人が溢れています。こういう砂粒の個人はネット世界の住人であることが多く、暇があるためSNSで動員がかかればデモにも簡単に出ていけます。デモや訴訟は企業イメージを損ない株価にも影響するため、ネガキャンやデモをされると面倒だと考える大企業が増え、電凸クレーマーの難癖にも簡単に屈して謝罪するようになります。悪名高いフジテレビ反韓流デモはスポンサー企業へのデモが最も効いたそうです。企業への就職を諦めてしまった人々が大企業に反抗する機会を与えられて快感を得ているわけです。曲解された「お客様は神様です」という言葉だけが独り歩きし、少子化でモノやサービスが売れない買い手市場では企業は消費してくれるだけで有難いため「消費者の皆様は神様です」というへりくだり意識が定着してしまいました。こうした土壌の上に来たのが土下座ブームです。身分が上の人に対する挨拶だった土下座に謝罪の意味が付加され、買い手市場では生産者・提供者より消費者が目上として振る舞うようになり、また不満を募らせた個人は何でも叩いて謝罪させたいという気分が蔓延した結果のブームでしょう。 しかしブームよりはるかに先行していたのが政治です。近隣諸国への判りやすい土下座外交が70年代から起こりましたが、これより先行して構造改革という判り難い宗主国へのへりくだりと土下座が続いていました。これは左右に関わらず戦後与党の党是となっています。長い歴史の中で出来上がった共通了解を持つ日本人同士ではオモテナシであっても、外国人に対しては単なるヘリクダリ・土下座になってしまうわけです。今後TPPで日本市場に乱入する外国企業や外国人には共通了解などないため絶対に謝らないでしょう。また逆にTPPで貧困層が拡大すれば消費者としての地位も当然弱くなり、外国企業の提供する安くて悪いモノやサービスを否応なく買わされるだけです。ネトウヨ的クレーマーが企業とマスコミを委縮させつつ安倍政権を支持した結果、庶民増税・(外資を含む)企業減税・社会保障カット・TPP参加の貧困化4点セットによる超格差社会を招くに至りました。 来訪神を待ち焦がれる島国根性の日本人はペリー来航以来の異国人の暴虐をカミの祟りと捉える節がありますが、原爆や都市空襲などはカミの怒りによる災害ではなく、年次改革要望書やTPPなどの文化放擲・構造壊滅要求もカミのお告げではありません。神仏を拝むように米国を拝むことは早々に止めないと取り殺されます。 木蘭師範の「ザ・神様」は神話のカミが日本人のプロトタイプだと分からせてくれます。それも旧き良きタイプの日本人です。葦原中国の女性神たちはとくに魅力に溢れています。大規模な国譲りのぶらかし交渉から男女の瑞々しいじらし交渉まで物凄く高等な駆け引きができたカミガミ(古代日本人)が、何でも謝罪を要求してとりあえず自分のアドバンテージを上げたい人や強い者にはとりあえず謝ってしまいたい人が多くなった現代日本人を見てどう思っていることでしょう。 おもてなし接待は国内の神様だけを対象にやるべきでしょう na85
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いよいよ寒気が到来し始めましたが、皆様お変わりありませんか?よしりん師範、木蘭師範、時浦師範代、みなぼん編集長、スタッフの皆様、今週も執筆・編集・配信ありがとうございます。
日本人がお客様のおもてなしに臨む場合お辞儀という挨拶から始まると思います。では日本人が合掌を伴ったお辞儀をどういう時にするかと言えば仏教寺院に参拝するときぐらいしか思いつきません。一方で欧米人が思う日本イメージのかなり上位に観光地としての神社仏閣があると思われます。つまりあの滝川クリステルのomotenashiパフォーマンスは、日本的なモノを何でもブチ込んでおけば欧米人に受けるだろうという安易な発想で、深い考えもなく歓迎の挨拶と参拝しぐさを混同させたのだと思われます。また同時に参拝つながりで神仏にお願いするような心持でIOC委員の皆様に東京への投票をお願いするという意味も含んでいたのかもしれません。しかし最早それは誠意あるオモテナシの象徴ではなく単に卑屈なオネガイの態度としか思えません。そもそも神仏への参拝はお願いではなく誓いを立てるのが正しいわけですから二重三重に誤解されそうです。IOC総会の最終プレゼンのときには「私たちは自国文化を少々投げ売ってでも目先の利益が欲しいです。だから東京に1票ください」という空気が日本中を覆っていたように感じました。カネのために文化破壊を受け入れ、結局カネも得られないどころか大きく失うという結末は、五輪開催もTPP参加も同じでしょう。
私は三波春夫の「お客様は神様です」には良いイメージをもっていませんでしたが、今回その意味を正しく知ることができました。カミ様の前で心を清明正直にし、カミ様に芸を奉納するような態度で臨む、これは神職が祭祀に臨むときの行き方です。そのような心境でお客様をカミ様と思うのであればとても納得がいきますし、また一流芸能人はこうでなければ良い芸はできないと思います。芸能人に限らずどんな仕事においても、日本人の仕事に対する真剣さや集中力はカミ様への奉仕・奉納だとされ、チームで良い結果を出す場合も同じカミ様を斎祀る共同体の機能が発揮された場合だと考えられます。最近まで生きていた日本人同士の互いの職業の尊重と職能への尊敬や信頼は、近代以前に育まれた宗教感覚や文化に由来する無意識の共通了解があってのことだと思われます。この相手の職業への尊敬があれば不当なクレーマー行為はできないはずであり、またそのような行為をする人は共同体社会から締め出されたはずです。
さて、江戸期の子供たちは江戸しぐさ・繁盛しぐさの一環として寺子屋で「会う人みな仏様と思え」と教えられたそうです。人口が密集していた江戸の町人居住区域で皆が気持ちよく暮らしていけるようにできた所作が江戸しぐさですが、相手に不快な思いをさせない態度を身に着けることで、商売で身を立てやすいように子供の頃から寺子屋で仕込まれたわけです。お互いが相手を神仏だと思って接すれば大した争いも起こらず気持ちよく暮らせる社会だったはずです。この伝でいくと「お客様は神様」の淵源は江戸文化にあるのかもしれません。江戸は農村から溢れた民が流入して大きくなった都市ですが決して砂粒の個人ではなく、長屋は一つの共同体であったし、職場や職能団体も共同体なら寺子屋や江戸講も共同体として機能する重層的な共同体社会だったと言えます。ちなみに参勤交代行列などで農工商の武士に対する土下座はあまり厳格ではなく、むしろ家格によって厳しく差別されていた武士同士のほうが顔を合わす機会が多いため土下座の機会も多かったかもしれません。
現代日本は地域社会や職場、家族からも孤立したネトウヨチックでクレーマー体質な人が溢れています。こういう砂粒の個人はネット世界の住人であることが多く、暇があるためSNSで動員がかかればデモにも簡単に出ていけます。デモや訴訟は企業イメージを損ない株価にも影響するため、ネガキャンやデモをされると面倒だと考える大企業が増え、電凸クレーマーの難癖にも簡単に屈して謝罪するようになります。悪名高いフジテレビ反韓流デモはスポンサー企業へのデモが最も効いたそうです。企業への就職を諦めてしまった人々が大企業に反抗する機会を与えられて快感を得ているわけです。曲解された「お客様は神様です」という言葉だけが独り歩きし、少子化でモノやサービスが売れない買い手市場では企業は消費してくれるだけで有難いため「消費者の皆様は神様です」というへりくだり意識が定着してしまいました。こうした土壌の上に来たのが土下座ブームです。身分が上の人に対する挨拶だった土下座に謝罪の意味が付加され、買い手市場では生産者・提供者より消費者が目上として振る舞うようになり、また不満を募らせた個人は何でも叩いて謝罪させたいという気分が蔓延した結果のブームでしょう。
しかしブームよりはるかに先行していたのが政治です。近隣諸国への判りやすい土下座外交が70年代から起こりましたが、これより先行して構造改革という判り難い宗主国へのへりくだりと土下座が続いていました。これは左右に関わらず戦後与党の党是となっています。長い歴史の中で出来上がった共通了解を持つ日本人同士ではオモテナシであっても、外国人に対しては単なるヘリクダリ・土下座になってしまうわけです。今後TPPで日本市場に乱入する外国企業や外国人には共通了解などないため絶対に謝らないでしょう。また逆にTPPで貧困層が拡大すれば消費者としての地位も当然弱くなり、外国企業の提供する安くて悪いモノやサービスを否応なく買わされるだけです。ネトウヨ的クレーマーが企業とマスコミを委縮させつつ安倍政権を支持した結果、庶民増税・(外資を含む)企業減税・社会保障カット・TPP参加の貧困化4点セットによる超格差社会を招くに至りました。
来訪神を待ち焦がれる島国根性の日本人はペリー来航以来の異国人の暴虐をカミの祟りと捉える節がありますが、原爆や都市空襲などはカミの怒りによる災害ではなく、年次改革要望書やTPPなどの文化放擲・構造壊滅要求もカミのお告げではありません。神仏を拝むように米国を拝むことは早々に止めないと取り殺されます。
木蘭師範の「ザ・神様」は神話のカミが日本人のプロトタイプだと分からせてくれます。それも旧き良きタイプの日本人です。葦原中国の女性神たちはとくに魅力に溢れています。大規模な国譲りのぶらかし交渉から男女の瑞々しいじらし交渉まで物凄く高等な駆け引きができたカミガミ(古代日本人)が、何でも謝罪を要求してとりあえず自分のアドバンテージを上げたい人や強い者にはとりあえず謝ってしまいたい人が多くなった現代日本人を見てどう思っていることでしょう。
おもてなし接待は国内の神様だけを対象にやるべきでしょう na85