小林先生、岸端編集長、時浦師範代、そしてスタッフの皆様 (すみません、今回はこう呼ばせてください)、遠大な作業 の末、「AKB48論」を世に出して下さり、 ほんとうにありがとうございます。 通しで一気に読破しました。 ネタばれがあるかもしれませんので、抑え目に(笑) 感想を書きます。 大島優子、渡辺麻友(まゆゆ)の人物画に見とれてしまいました。 惚れてしまうのではないか、と思うくらい、見とれてしまいました。 小林先生は、人物(特に生身の女性)を描くとき、どうしてこうも 美しく、描けるのだろうか。ギャグ漫画「おぼっちゃまくん」のキャラ や、その仕草に少年時代爆笑していた小生が「AKB48論」で先生の 描くメンバーにときめいてしまう。そして彼女たちの中に、神々しさ 「神性」を見いだしたような気がしました。 優子、まゆゆ以上に「カワイイ」と思ったのは、「塩対応」をしている 時の島崎遥香(ぱるる)でした。 私は不覚にも「ばれとるわい!」のぱるるの表情に、ドキリとして (ドキッじゃなくて、敢えてドキリという表現を使う)しまいました。 テレビなどの映像で見たら普通に見える表情が、小林先生の筆法で トキめいてしまうなんて! 最近「萌え」が濫発されていますが本当の漫画は押し売りの「萌え」 より三次元の「美しさ」にあると感じました。 それにしてもぱるるカワイイ。 宮澤佐江さんと先生の関係がこれでやっとわかりました。 宮脇咲良さんの文章には涙が出ました。 「市川美織(みおりん)を守ろう!」この先生の言葉は、「AKB48論」 を描く原動力になったのではないでしょうか。 P130の言葉は「恋愛禁止ルールはわしの中では撤廃しない」同様、 厳しい言葉だと感じました。でもそれは小林流の愛と叱咤であるようにも 思いました。そのような小林先生の厳しくも優しいまなざしに比して、 今の政治家やマスコミ、論者から大衆に至る堕ちようは、目を覆う ばかりです。 帯の背ひとつとっても、「大島優子と渡辺優子に捧ぐ。」この 「捧ぐ」という言葉にわたしは先生の並々ならぬ思いを見ました。 おそらく、先生は、大島と渡辺のためなら自身の命をも切り取って 捧げたいであろう、けれどそれは現実にはできない、ならば わしの命の代わりに、わしが命を込めて描いた作品を捧げよう。 ということが、わたしには推察し得ます。 だから、この「AKB48論」は先生の「生命」が詰まった作品 であると、私には思えます。 ならば、先生の「生命」(あるいは「想い」)を手にしている わたしは、なんて幸いなことなのでしょう! 先生がこの世で一番「シアワセなとき」とブログに書いたのも うなづけます。 長文失礼しました。
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小林先生、岸端編集長、時浦師範代、そしてスタッフの皆様
(すみません、今回はこう呼ばせてください)、遠大な作業
の末、「AKB48論」を世に出して下さり、
ほんとうにありがとうございます。
通しで一気に読破しました。
ネタばれがあるかもしれませんので、抑え目に(笑)
感想を書きます。
大島優子、渡辺麻友(まゆゆ)の人物画に見とれてしまいました。
惚れてしまうのではないか、と思うくらい、見とれてしまいました。
小林先生は、人物(特に生身の女性)を描くとき、どうしてこうも
美しく、描けるのだろうか。ギャグ漫画「おぼっちゃまくん」のキャラ
や、その仕草に少年時代爆笑していた小生が「AKB48論」で先生の
描くメンバーにときめいてしまう。そして彼女たちの中に、神々しさ
「神性」を見いだしたような気がしました。
優子、まゆゆ以上に「カワイイ」と思ったのは、「塩対応」をしている
時の島崎遥香(ぱるる)でした。
私は不覚にも「ばれとるわい!」のぱるるの表情に、ドキリとして
(ドキッじゃなくて、敢えてドキリという表現を使う)しまいました。
テレビなどの映像で見たら普通に見える表情が、小林先生の筆法で
トキめいてしまうなんて!
最近「萌え」が濫発されていますが本当の漫画は押し売りの「萌え」
より三次元の「美しさ」にあると感じました。
それにしてもぱるるカワイイ。
宮澤佐江さんと先生の関係がこれでやっとわかりました。
宮脇咲良さんの文章には涙が出ました。
「市川美織(みおりん)を守ろう!」この先生の言葉は、「AKB48論」
を描く原動力になったのではないでしょうか。
P130の言葉は「恋愛禁止ルールはわしの中では撤廃しない」同様、
厳しい言葉だと感じました。でもそれは小林流の愛と叱咤であるようにも
思いました。そのような小林先生の厳しくも優しいまなざしに比して、
今の政治家やマスコミ、論者から大衆に至る堕ちようは、目を覆う
ばかりです。
帯の背ひとつとっても、「大島優子と渡辺優子に捧ぐ。」この
「捧ぐ」という言葉にわたしは先生の並々ならぬ思いを見ました。
おそらく、先生は、大島と渡辺のためなら自身の命をも切り取って
捧げたいであろう、けれどそれは現実にはできない、ならば
わしの命の代わりに、わしが命を込めて描いた作品を捧げよう。
ということが、わたしには推察し得ます。
だから、この「AKB48論」は先生の「生命」が詰まった作品
であると、私には思えます。
ならば、先生の「生命」(あるいは「想い」)を手にしている
わたしは、なんて幸いなことなのでしょう!
先生がこの世で一番「シアワセなとき」とブログに書いたのも
うなづけます。
長文失礼しました。