小林師範、時浦師範代、泉美師範、岸端編集長、今週も配信をありがとうございます。還暦を迎えて作品に陰りが見え始めるのではと一時でも心配していた自分が愚かであったことを今回のゴー宣を読んで解りました。 ゴー宣は時には大変に笑える内容を不意打ち的に登載しては我々読者を笑いの渦に巻き込みつつ、思考も止めさせないので、思考を柔軟に行うことが出来て、我々読者も固い内容の読みすぎでイデオロギーに振り回される評論家や論壇誌のようにならずに済み、コメント欄にも多種多様な意見を持った読者が集まってくるのだと思います。 そこで、今回のゴー宣を読んでまず思い浮かんだのが梅雨明けから台風が来るまでの間に見られる男女の私服姿(一部制服)と私生活です。服装も男女はこの一番暑い時期に一番、薄着となり、素肌の露出度も高まるうえに、私服も汗でぬれてしまい、下着や素肌が見えてしまうという最も多くの威勢の素肌を目にする時期であり、さらには水着姿の人々が最も多くなる時期でもあるので、男性と恐らくは一部の女性(女性の場合、絶対にありえないと指摘されれば速やかに訂正させていただきます)にとっては最も性的に刺激されやすい時期となります。これは学校の体操服や制服、そして肌の露出が多い水泳などの授業が加わってくることから学校によっては同じく、異性を意識し易い時期になるのかと思います。これは何も近年の流行している服のことではなく、祭りなどで着る浴衣も、異性を意識させる点では同じです。暑ければ時代や文化、文明を問わず、衣服は薄くなり、肌の露出が多くなり、性が意識されやすいのだと思います。さらには地元の関東の場合、気候の方も通気性が低い電車内などの社内や室内では湿度が最も強くなるので男女の強くなった体臭が飛び交い、同性の体臭に端を撮む反面、異性の体臭も強くなるので刺激を受けやすい時期となるわけです。 私生活でも多かれ少なかれ、体臭が強くなり、新陳代謝も活発になるので、同棲している人を生理的な側面で意識しやすく、時によっては恐らくは一番、汚い部分を見る時期となるのだと思われます。よって、覗きで捕まった消防士は汗などの新陳代謝によって体臭が強くなり、「汚く」見えた妻を女として見れずに、「汚いもの」を洗い流す綺麗な女を見たいがために風呂で洗う女性を見たかったのではないのかと思いました。逆にサドルに執着した男性はサドルではなく、周囲で嗅ぎ取った異性の体臭に執着し、体臭に形がない事から、体臭をサドルに具現化させて盗み取ったのではないのかと思います。また、道の溝に潜り込んで除いた男性も薄くなった異性の肌着に性欲が爆発してしまったのではないのかと思います。夏場は冬と違って屋外で洗濯物を干す機会も多くなり、また、エアコンが普及しているとはいえ、時にはドアを開けて空気を通して通気性を高める家や建物も多く、風呂屋などは最低でも窓を開けていますので、異性の私生活を思わず意識してしまう機会も多くなってしまうのではないのかと思います。 これは何も近年に始まったものではなく、江戸時代の春画を見ますと、小林師範が消防士の奥方に要求したように高台でもある物干し台で花火を見ながらの性交を描いた作品がありますし、その他、田植え作業中や風呂場、出会いがしらの玄関、台所での性交を描いた作品があることから、四季における性意識の違いというのを我が國は見極めていたのではないのかと思います。春画が全くの創作なのか、あるいは実際にあった性行為を元にして書いたのかは定かではありませんが、春画の数々の作品が生まれたのも今回、ゴー宣で取り上げられた奇怪な性犯罪のような行いをしていた者が昔からいたからこそ、春画という作品が生まれたのだと思います。当時、今回取り上げられた性犯罪が御法度だったのかどうかも知りませんが。よって、ゴー宣はこれら性犯罪を作品に変える業は春画を作成した人々と同じ気質の技なのではと考えていますが、どうでしょうか? さらに言えば、全国通津浦々で行われている盆踊りは江戸時代までは既婚者、独身者を問わない乱交の場でもあったので我が國では夏に性欲が高まり、実行に移される時期でもあるのだと先人は解っていたのだと思います。また、夜這いの風習があった地域でも夜這いは盆踊りと時期を同じくして行われていたので夜這いと盆踊りや性の娯楽がない地域が夏の暑い時期に高まる性欲を発散させる重要な一種の儀式であったのだと今回のゴー宣を読んで考えさせられました。 現在でも私の地元では炎天下の中を神輿を担いで夏の暑さの中で高まる力を発散させていますし、各地でも博多山笠や地元の神輿に似た儀式で同じく、男性の体力を発散させているのでしょうが、盆踊りや夜這いは夏に高まる体力ではなく、精力を発散させる祭りであり、儀式でもあったのでしょう。明治の文明開化によって夜這いと従来の盆踊りの習慣が消え、現在の殆どの男性はこれら祭りに代り、自慰行為か風俗産業で性欲の発散を処理することによって済ます事で事なきを得ていますが、夏に高まる性犯罪を抑える知恵を先人から学ぶ時期が来ているのではないのかと思うのですが如何でしょう?もっとも、乱交や夜這いを復活させるという意味ではありませんのでそこの所は誤解のなきようお願いします。もし、TPPの導入で夏の暑さによって高まる体力を発散させる祭りなどの儀式が廃れてしまうと、夏には奇怪な性犯罪だけではなく、暴力犯罪の発生率も高まるのではないのかと危惧していますがこれは考えすぎでしょうか? 泉美師範の「ザ・神様」の素戔嗚は最も父親にしたくない人の役を見事に表現されていました。厳しさの中にも愛があるというより、愛に満ちた厳しさの中にも嫉妬ありという大人になりきれない素戔嗚と誰からも好かれるオオナムチ。今回の時浦師範代が取り上げた「よしりんの漫画はバトル・ストーリー」の小林師範の台詞「闘う魂こそ輝くのだ!」と泉美市販の「ここ一番で根性見せなきゃ、加齢臭はなったとたんにポイ」は今回のライジングの総括と読み取れました。というわけで、ここ一番で根性見せて戦う魂を養い、加齢臭を放ってもポイされないように思考に次ぐ思考を重ねて書き込んでいきますのでよろしくお願いします。 今回はお笑いだから書くことがないと思ったのに長文になってしまった。
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小林師範、時浦師範代、泉美師範、岸端編集長、今週も配信をありがとうございます。還暦を迎えて作品に陰りが見え始めるのではと一時でも心配していた自分が愚かであったことを今回のゴー宣を読んで解りました。
ゴー宣は時には大変に笑える内容を不意打ち的に登載しては我々読者を笑いの渦に巻き込みつつ、思考も止めさせないので、思考を柔軟に行うことが出来て、我々読者も固い内容の読みすぎでイデオロギーに振り回される評論家や論壇誌のようにならずに済み、コメント欄にも多種多様な意見を持った読者が集まってくるのだと思います。
そこで、今回のゴー宣を読んでまず思い浮かんだのが梅雨明けから台風が来るまでの間に見られる男女の私服姿(一部制服)と私生活です。服装も男女はこの一番暑い時期に一番、薄着となり、素肌の露出度も高まるうえに、私服も汗でぬれてしまい、下着や素肌が見えてしまうという最も多くの威勢の素肌を目にする時期であり、さらには水着姿の人々が最も多くなる時期でもあるので、男性と恐らくは一部の女性(女性の場合、絶対にありえないと指摘されれば速やかに訂正させていただきます)にとっては最も性的に刺激されやすい時期となります。これは学校の体操服や制服、そして肌の露出が多い水泳などの授業が加わってくることから学校によっては同じく、異性を意識し易い時期になるのかと思います。これは何も近年の流行している服のことではなく、祭りなどで着る浴衣も、異性を意識させる点では同じです。暑ければ時代や文化、文明を問わず、衣服は薄くなり、肌の露出が多くなり、性が意識されやすいのだと思います。さらには地元の関東の場合、気候の方も通気性が低い電車内などの社内や室内では湿度が最も強くなるので男女の強くなった体臭が飛び交い、同性の体臭に端を撮む反面、異性の体臭も強くなるので刺激を受けやすい時期となるわけです。
私生活でも多かれ少なかれ、体臭が強くなり、新陳代謝も活発になるので、同棲している人を生理的な側面で意識しやすく、時によっては恐らくは一番、汚い部分を見る時期となるのだと思われます。よって、覗きで捕まった消防士は汗などの新陳代謝によって体臭が強くなり、「汚く」見えた妻を女として見れずに、「汚いもの」を洗い流す綺麗な女を見たいがために風呂で洗う女性を見たかったのではないのかと思いました。逆にサドルに執着した男性はサドルではなく、周囲で嗅ぎ取った異性の体臭に執着し、体臭に形がない事から、体臭をサドルに具現化させて盗み取ったのではないのかと思います。また、道の溝に潜り込んで除いた男性も薄くなった異性の肌着に性欲が爆発してしまったのではないのかと思います。夏場は冬と違って屋外で洗濯物を干す機会も多くなり、また、エアコンが普及しているとはいえ、時にはドアを開けて空気を通して通気性を高める家や建物も多く、風呂屋などは最低でも窓を開けていますので、異性の私生活を思わず意識してしまう機会も多くなってしまうのではないのかと思います。
これは何も近年に始まったものではなく、江戸時代の春画を見ますと、小林師範が消防士の奥方に要求したように高台でもある物干し台で花火を見ながらの性交を描いた作品がありますし、その他、田植え作業中や風呂場、出会いがしらの玄関、台所での性交を描いた作品があることから、四季における性意識の違いというのを我が國は見極めていたのではないのかと思います。春画が全くの創作なのか、あるいは実際にあった性行為を元にして書いたのかは定かではありませんが、春画の数々の作品が生まれたのも今回、ゴー宣で取り上げられた奇怪な性犯罪のような行いをしていた者が昔からいたからこそ、春画という作品が生まれたのだと思います。当時、今回取り上げられた性犯罪が御法度だったのかどうかも知りませんが。よって、ゴー宣はこれら性犯罪を作品に変える業は春画を作成した人々と同じ気質の技なのではと考えていますが、どうでしょうか?
さらに言えば、全国通津浦々で行われている盆踊りは江戸時代までは既婚者、独身者を問わない乱交の場でもあったので我が國では夏に性欲が高まり、実行に移される時期でもあるのだと先人は解っていたのだと思います。また、夜這いの風習があった地域でも夜這いは盆踊りと時期を同じくして行われていたので夜這いと盆踊りや性の娯楽がない地域が夏の暑い時期に高まる性欲を発散させる重要な一種の儀式であったのだと今回のゴー宣を読んで考えさせられました。
現在でも私の地元では炎天下の中を神輿を担いで夏の暑さの中で高まる力を発散させていますし、各地でも博多山笠や地元の神輿に似た儀式で同じく、男性の体力を発散させているのでしょうが、盆踊りや夜這いは夏に高まる体力ではなく、精力を発散させる祭りであり、儀式でもあったのでしょう。明治の文明開化によって夜這いと従来の盆踊りの習慣が消え、現在の殆どの男性はこれら祭りに代り、自慰行為か風俗産業で性欲の発散を処理することによって済ます事で事なきを得ていますが、夏に高まる性犯罪を抑える知恵を先人から学ぶ時期が来ているのではないのかと思うのですが如何でしょう?もっとも、乱交や夜這いを復活させるという意味ではありませんのでそこの所は誤解のなきようお願いします。もし、TPPの導入で夏の暑さによって高まる体力を発散させる祭りなどの儀式が廃れてしまうと、夏には奇怪な性犯罪だけではなく、暴力犯罪の発生率も高まるのではないのかと危惧していますがこれは考えすぎでしょうか?
泉美師範の「ザ・神様」の素戔嗚は最も父親にしたくない人の役を見事に表現されていました。厳しさの中にも愛があるというより、愛に満ちた厳しさの中にも嫉妬ありという大人になりきれない素戔嗚と誰からも好かれるオオナムチ。今回の時浦師範代が取り上げた「よしりんの漫画はバトル・ストーリー」の小林師範の台詞「闘う魂こそ輝くのだ!」と泉美市販の「ここ一番で根性見せなきゃ、加齢臭はなったとたんにポイ」は今回のライジングの総括と読み取れました。というわけで、ここ一番で根性見せて戦う魂を養い、加齢臭を放ってもポイされないように思考に次ぐ思考を重ねて書き込んでいきますのでよろしくお願いします。
今回はお笑いだから書くことがないと思ったのに長文になってしまった。