死に直面すると、大抵は感傷的になって美化してしまったり、面倒なことがあっても何しろ余命宣告なので取り繕ってしまったり、もしくは「そうであるべきだ」という周囲からの目を気にしてしまうのがほとんどだと思うので、ありのまま表現されたことに感謝しています。 家族の関係については当然いろいろあると思っていますので衝撃というものは特にありませんでした。というか余命が宣告されたら真っ先に駆けつけなくてはならない「ということになっている」ほうがおかしいし、むしろそれを突きつけられるまで一期一会になれていなかっただけじゃないか?などと思ってしまいます。あるいは僕の父が子供に迷惑をかけるタイプの人だからそう思うのかもしれませんが。 今回のゴー宣を読んで僕が特に思い浮かべたのは祖父のことです。祖父は祖母が亡くなってからは遊び人なところがありました。脳腫瘍と全身のがんが見つかり、脳腫瘍は取らないとどうにもならなかったので緊急手術をしたのですが、その後しばらく末期と知らせないまま術後の体力低下と放射線治療でヘロヘロになっていたのが忘れられません。 死を前にして自らを顧みるにせよ、欲望に正直になるにせよ、ベルトコンベアー的に治療に入っては選択自体ができない。小林先生のお母様への対応は意思を尊重する気持ちが根底にある。そんなふうに感じました。
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小林よしのりチャンネル
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死に直面すると、大抵は感傷的になって美化してしまったり、面倒なことがあっても何しろ余命宣告なので取り繕ってしまったり、もしくは「そうであるべきだ」という周囲からの目を気にしてしまうのがほとんどだと思うので、ありのまま表現されたことに感謝しています。
家族の関係については当然いろいろあると思っていますので衝撃というものは特にありませんでした。というか余命が宣告されたら真っ先に駆けつけなくてはならない「ということになっている」ほうがおかしいし、むしろそれを突きつけられるまで一期一会になれていなかっただけじゃないか?などと思ってしまいます。あるいは僕の父が子供に迷惑をかけるタイプの人だからそう思うのかもしれませんが。
今回のゴー宣を読んで僕が特に思い浮かべたのは祖父のことです。祖父は祖母が亡くなってからは遊び人なところがありました。脳腫瘍と全身のがんが見つかり、脳腫瘍は取らないとどうにもならなかったので緊急手術をしたのですが、その後しばらく末期と知らせないまま術後の体力低下と放射線治療でヘロヘロになっていたのが忘れられません。
死を前にして自らを顧みるにせよ、欲望に正直になるにせよ、ベルトコンベアー的に治療に入っては選択自体ができない。小林先生のお母様への対応は意思を尊重する気持ちが根底にある。そんなふうに感じました。