>>79 返信ありがとうございます。 回答が遅れてすみません。 >まず、解りやすく説明しますと、現在問題となっているのは皇位継承問題であって、皇室の血統である皇統の継承は問題になっていません。 ・すみませんが、皇位継承と皇統の継承をどうして区別できるのでしょうか。皇統に属するものに皇位が継承されていくのであって皇位継承と皇統継承は不可分だと思いますが。 >我が國、皇統における母から皇位を継承した例は斉明天皇(母)から天智天皇(息子)へと皇位を継承した例と、元明天皇(母)から元正天皇(娘)へと継承した例があり、これが我が國にの皇室における女系継承の例となります。 なお、天智天皇の父である舒明天皇は天智天皇の4代前の天皇であることから天智天皇への皇位を継承したことにならず、元正天皇も父親が天皇ではなかったことから、男系に限定したら皇位継承は現代までに繋がりません。 さらに、補足すれば女性皇太子である孝謙天皇(称徳天皇)は即位した時点でだれが次の天皇になるのか決まっておらず、女性天皇中継ぎ説もこの点からしても完全に間違った歴史認識です。 ・日本書紀には「天智天皇は舒明天皇の皇太子である」と先に記載され、その後、母親は斉明天皇と記載されています。 仮に女系継承と考えられていたら、先に斉明天皇の事が書かれるのではないでしょうか。 次に、元正天皇の父・草壁皇子は天武天皇の皇子であり、男系男子です。そして天皇にこそ即位しなかったものの 当時から天皇扱いをされ(その証拠に草壁皇子の子供は皇子と内親王)後に追尊され、天皇とされています。 さらにいうなら、続日本紀にある元正天皇の即位の宣命には「聖武天皇に皇位を譲りたいが幼い為 元正天皇に皇位を譲る」と記載され、聖武天皇の即位の宣命には皇位について「文武天皇から賜った天下の業である」 また「皇位を譲る時に(聖武天皇が)若かった為元正天皇に皇位を授けた」皇位継承については 「天智天皇が万世に改る事があってはならぬ常の典」であると記載があります。 つまり、元正天皇は男系を繋ぐために中継ぎ的役割を果たしたことになるのであって、女系継承ではありません。 また、孝謙天皇は生涯独身なのですから、中継ぎでなかったら皇統断絶ではないでしょうか。 >そもそも、美智子皇后が今上陛下とご結婚され里前までは「一般女子」も排除されていました。また、「男系」という概念も江戸時代にはなかった男尊女卑の概念が侵透した明治時代においてであって、それまでは「男系」という概念がありませんでした。これは女性宮家である桂宮淑子内親王が江戸時代において存在したことと、江戸時代にも女性天皇が二人いたことからもお分かりいただけるかと思います。 ・自分は「一般女子」という言葉は「非皇族の女子」という意味で使っていましたが 古くは仁徳天皇皇后、有名どころだと光明皇后も一般女子です。 また、孝明天皇・明治天皇・大正天皇の皇后も一般女子と言えます。 皇室は古代から一般女子を皇室に迎え入れましたが、一般男子は何があっても皇室入りはできませんでした。 また、男系という概念についてですが、古来からありました。 明治になって伊藤博文が諸外国の王室を研究したことで女系継承をする王室もあると分かったのであって、 それまでは男系が当たり前の継承と考えられ、論じられなかっただけです。 論じられていないから概念がなかったとは言えません。 伊藤博文も皇室典範義解の中で「本来は文字にするようなことではない」と言っており、文字にする以上 男系女系の区別をしておかなければならないのは当然でしょう。 また、桂宮淑子内親王や2人の女性天皇は「男系女子」です。 >その証拠に皇室の系図である明治天皇勅裁の「旧譜皇統譜」でも血統を示す「世系」の第一に女性神であり、皇祖神である天照大神を記しています(イザナミ、イザナギは世系が記されず)。また、神武天皇には「皇統」を記していますが、これは皇位の意味であって、その証拠に皇位についていない日本武尊には「世系」しか記されていません。 ・まず、「世系」は天照からみた男系子孫の世代数を示したものなので、イザナキ・イザナミには記載されません。 そして、斉明天皇・天智天皇が同じ世系三十であることも、男系を元に記載されたものになります。 >もともと、神武天皇から始まる歴史は日本神話を「非科学的」という理由で省いた「天皇制打倒」をほざく、左翼、サヨクなどの自虐史観の方々が自虐史観の歴史教科書にで記したことが始まりで、本来、国家とは別に日本および、皇室そのものの歴史は旧譜皇統譜でも記されているように神話から始まるのであって、皇統自体も皇祖神であり女性神である天照大神から始まる、女系公認の双系なのです。 ・おそらく天照が女性神だから女系だと仰りたいのでしょうが、天照から息子系統が代々継承しています。 つまり神話から男系継承が続いている事になります。 >残念ながら、男系男子に限定したのは明治時代の男尊女卑という当時の都合以外の何物でもないのです。その証拠に明治時代、皇位継承を憲法に定める時にその理由を男尊女卑にあると当時の政府関係者が明確に記しています。 (島田三郎)嚶鳴社「女帝を立るの可否」 ・確かに島田はそう言っています。しかしそれは後に枢密院で否決されています。採用されたのは井上毅が謹具意見で 欧州の王室の例を出し「女系継承をすると姓が変わり、祖宗の大憲に反する。」との意見になります。その証拠に皇室典範義解には男尊女卑である事は一切書かれていません。さらにいうなら、女帝は中継ぎなので先例とすべきではない事も 書かれています。 以上、長文になりましたが、自分なりに勉強したうえで反論させて頂きました。
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(ID:46062)
>>79
返信ありがとうございます。
回答が遅れてすみません。
>まず、解りやすく説明しますと、現在問題となっているのは皇位継承問題であって、皇室の血統である皇統の継承は問題になっていません。
・すみませんが、皇位継承と皇統の継承をどうして区別できるのでしょうか。皇統に属するものに皇位が継承されていくのであって皇位継承と皇統継承は不可分だと思いますが。
>我が國、皇統における母から皇位を継承した例は斉明天皇(母)から天智天皇(息子)へと皇位を継承した例と、元明天皇(母)から元正天皇(娘)へと継承した例があり、これが我が國にの皇室における女系継承の例となります。
なお、天智天皇の父である舒明天皇は天智天皇の4代前の天皇であることから天智天皇への皇位を継承したことにならず、元正天皇も父親が天皇ではなかったことから、男系に限定したら皇位継承は現代までに繋がりません。
さらに、補足すれば女性皇太子である孝謙天皇(称徳天皇)は即位した時点でだれが次の天皇になるのか決まっておらず、女性天皇中継ぎ説もこの点からしても完全に間違った歴史認識です。
・日本書紀には「天智天皇は舒明天皇の皇太子である」と先に記載され、その後、母親は斉明天皇と記載されています。
仮に女系継承と考えられていたら、先に斉明天皇の事が書かれるのではないでしょうか。
次に、元正天皇の父・草壁皇子は天武天皇の皇子であり、男系男子です。そして天皇にこそ即位しなかったものの
当時から天皇扱いをされ(その証拠に草壁皇子の子供は皇子と内親王)後に追尊され、天皇とされています。
さらにいうなら、続日本紀にある元正天皇の即位の宣命には「聖武天皇に皇位を譲りたいが幼い為
元正天皇に皇位を譲る」と記載され、聖武天皇の即位の宣命には皇位について「文武天皇から賜った天下の業である」
また「皇位を譲る時に(聖武天皇が)若かった為元正天皇に皇位を授けた」皇位継承については
「天智天皇が万世に改る事があってはならぬ常の典」であると記載があります。
つまり、元正天皇は男系を繋ぐために中継ぎ的役割を果たしたことになるのであって、女系継承ではありません。
また、孝謙天皇は生涯独身なのですから、中継ぎでなかったら皇統断絶ではないでしょうか。
>そもそも、美智子皇后が今上陛下とご結婚され里前までは「一般女子」も排除されていました。また、「男系」という概念も江戸時代にはなかった男尊女卑の概念が侵透した明治時代においてであって、それまでは「男系」という概念がありませんでした。これは女性宮家である桂宮淑子内親王が江戸時代において存在したことと、江戸時代にも女性天皇が二人いたことからもお分かりいただけるかと思います。
・自分は「一般女子」という言葉は「非皇族の女子」という意味で使っていましたが
古くは仁徳天皇皇后、有名どころだと光明皇后も一般女子です。
また、孝明天皇・明治天皇・大正天皇の皇后も一般女子と言えます。
皇室は古代から一般女子を皇室に迎え入れましたが、一般男子は何があっても皇室入りはできませんでした。
また、男系という概念についてですが、古来からありました。
明治になって伊藤博文が諸外国の王室を研究したことで女系継承をする王室もあると分かったのであって、
それまでは男系が当たり前の継承と考えられ、論じられなかっただけです。
論じられていないから概念がなかったとは言えません。
伊藤博文も皇室典範義解の中で「本来は文字にするようなことではない」と言っており、文字にする以上
男系女系の区別をしておかなければならないのは当然でしょう。
また、桂宮淑子内親王や2人の女性天皇は「男系女子」です。
>その証拠に皇室の系図である明治天皇勅裁の「旧譜皇統譜」でも血統を示す「世系」の第一に女性神であり、皇祖神である天照大神を記しています(イザナミ、イザナギは世系が記されず)。また、神武天皇には「皇統」を記していますが、これは皇位の意味であって、その証拠に皇位についていない日本武尊には「世系」しか記されていません。
・まず、「世系」は天照からみた男系子孫の世代数を示したものなので、イザナキ・イザナミには記載されません。
そして、斉明天皇・天智天皇が同じ世系三十であることも、男系を元に記載されたものになります。
>もともと、神武天皇から始まる歴史は日本神話を「非科学的」という理由で省いた「天皇制打倒」をほざく、左翼、サヨクなどの自虐史観の方々が自虐史観の歴史教科書にで記したことが始まりで、本来、国家とは別に日本および、皇室そのものの歴史は旧譜皇統譜でも記されているように神話から始まるのであって、皇統自体も皇祖神であり女性神である天照大神から始まる、女系公認の双系なのです。
・おそらく天照が女性神だから女系だと仰りたいのでしょうが、天照から息子系統が代々継承しています。
つまり神話から男系継承が続いている事になります。
>残念ながら、男系男子に限定したのは明治時代の男尊女卑という当時の都合以外の何物でもないのです。その証拠に明治時代、皇位継承を憲法に定める時にその理由を男尊女卑にあると当時の政府関係者が明確に記しています。
(島田三郎)嚶鳴社「女帝を立るの可否」
・確かに島田はそう言っています。しかしそれは後に枢密院で否決されています。採用されたのは井上毅が謹具意見で
欧州の王室の例を出し「女系継承をすると姓が変わり、祖宗の大憲に反する。」との意見になります。その証拠に皇室典範義解には男尊女卑である事は一切書かれていません。さらにいうなら、女帝は中継ぎなので先例とすべきではない事も
書かれています。
以上、長文になりましたが、自分なりに勉強したうえで反論させて頂きました。