ゲスト のコメント

私はグッビオのオオカミです。
泉美木蘭先生、よくぞこれを書いて下さいました!
かねがね、キャンセルカルチャーの危険性を分析するのは、国ごとの多様性と個性を前提とする事だと思っていました。そしてフランス革命の理性の神。
私はこの話を知りたかったのです。
ドストエフスキーの小説「カラマーゾフの兄弟」の中の「大審問官」を巡る次男イワンと三男アレクセイとの対話がありましたが、私はそれを思い出しました。
知性を信じ、社会の理不尽に反発を覚えるイワン、他方で信心深いアレクセイ。
イワンはこの世の矛盾を解決する権力と正義の象徴として世俗的な「大審問官」をアレクセイの前に持ち出します。
会話の中で異端審問をして回った大審問官はイエスすら異端として捕らえます。
大審問官はイエスに言います。
「我々はもうだいぶ前から別なものを拝んでいる」

つまり、作者ドストエフスキーは共産主義革命前夜のロシアにおいて、知性と権力により一切を解決しようとする姿に一定の理解をしつつも、「擬似キリスト教」とも「キリスト教の代替物」とも言える人間の神格化という一種の"偶像崇拝"のカルト的な不健全さを嗅ぎ取っていたのでしょう。
そして自分らの知性や理性を神格化し、絶対視する思考は簡単にカルトイデオロギー化するでしょう。
西洋の一神教としてのキリスト教とルーツは同じでも決定的に異なるのは、自分や誰かの考えた「何か」を神として崇拝する事でしょう。
神は神であって、あくまでも自分らは人間。
人間は自由意志を持ち善も悪も成す存在…神では無いのです。
そういう(日本の八百万の神々とは違っていても)信仰の神秘に対する謙虚さが前提となります。
理性の神はそういう"神秘への謙虚さ"が無くなるので、指導者の見解や方針に対して簡単に暴走してしまいます。
フランス革命の理性の神と人権は、イワンの「大審問官」の様な一種の人工的な"救世主主義"を内在します。
それはナチズムの全体主義や、共産主義の革命願望まで「あと一歩」だと思います。
キャンセルカルチャーは結局、まともな権利概念から逸脱しカルトイデオロギーとして、歯止めの無い大暴走をしかねない論理だろうと思います。
大須賀さんがブログでキャンセルカルチャーが皇室の存在を脅かすという危機意識を持って書いておられましたが、あれは全く正当な認識だろうと思います。
感動のあまり、長々と感想文を書きました。
駄文を書き、大変失礼しました。

No.13 7ヶ月前

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