希蝶 のコメント

 木蘭さんの方ですが…私は高校や大学で、フランス革命やアメリカ独立運動、南北戦争などの話を(ある程度)やったし、仕事も「受験関連」の内容だったので…いちおう知っている中身でした。
 要はフランス革命とは王を倒したあとの「政争」でしかなく、アメリカ合衆国は「連邦」で、イギリスと対抗するために各国が同盟を組んで戦っただけのこと、だから、合体派と分立派の争いが宿命的であり、自由貿易か、保護貿易かが南北戦争の争点になるのだ、と。

 とはいえ、よくまとめて下さったと関心いたします。非常に分かりやすいです。

 「法」と言えば、現在放映中の「虎の牙」ではない、「虎に翼」で、主人公が「法律とはそれ自体を源泉とする清流みたいなものではないか」と語っていましたが、こういう考えが生まれるのは、「法の制定された精神・理由・土台」が肝腎であるという考えがあり、それに基づいて。法は執行されなければならない、悪い意味での「偏見」ではなく、公明正大に、あるいは明鏡止水の精神で、神のごとき立場で執行させるべきだ、という考えによるのでしょう。
 しかし…それがゆきすぎると…エベールみたいになってしまうのでしょうか?

 ほかにも指摘されているかたもいらしゃるかも、ですが、私はフランス革命の「このゆきすぎ政策」を、オウム真理教のサリン事件や、サカキバラなんとかさんのバオイモドキ(でしたっけ?)信仰のようだ、と感じます。つまり、ほかの人には一切通じないけれどもうちわでは通じる、この場合は「革命当時のフランスだけではOK」みたいな感じですね。
 実際、革命政府は「月」の名前すら変更していますね。日本でこれをやったらどうなるのだろう…。睦月、皐月、師走とかいう言い方もありますが、これは伝統的な表現です。

 つまり、人間は自分自身のことを管理している、あるいは責任を持っていると思い込んでいても、内心では社会の中にいないと不安であるように、「人間以外の何か」を感じていないと恐怖のあまり発狂してしまうのかも、と。かりに自分がそうでないとしても、ほかの人が「コロナは怖い」と言ったり、思い込んでしまったら、それを安心させる「神」にようなもの、「ワクチン」が必要になってしまうのでしょうか?
 そう思うと…空恐ろしいような気がします。昔、(フランス革命を正義の革命だと思っていた頃)フランスに王党派が(田舎などで)いるという話を聞いて、「遅れている」という気分にもなったのですが…傍から見たら、法とか人権とかを「杓子定規に」信じることの方が異常で、いかれていると感じる方が、「常識」だったのかも、です。
 それとも…鰯の頭も信心から、が古今東西に通じる常識なのかも、とも思いました…。
 以上です。

No.122 7ヶ月前

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