今号の感想を記します(先に投稿したのですが、あまりうまくまとめられなかったので、削除し、やり直しをします) 私も正直、学歴はばかばかしいと思っています。 しかし、それを自分が言うと、周囲はあまり納得してはくれません。 自分の発言を「学校のお勉強」と言った人もいました。言わせておけばいいし、そういう方面の話を、その人としなければいいだけのことですが…。 ただ、企業は「学歴」で人間を採用します。「この大学出身者ならば即戦力になるはずだ」という信仰は根強いのかな、と思います。あるいは、同し出身校であるというのも、採用条件の一つだったりします。 自分は(いちおう)受験産業の仕事にも関与していましたから、新聞のセンター試験問題速報とか、雑誌のランキング発表などにあまり抵抗はないです。それを知らないと、仕事にならないから。 私は面接が非常に苦手だったし、就職活動も出遅れた方なので。一浪し、それから単位も足りていましたが、情報収拾のために大学の授業を増やすようにしました。卒論は前年の時に…終わりにしてありました。大した内容でないし、家族にも手伝って貰ったので、見返しはしなかったです。 ちょうどその頃、昭和天皇が崩御され、今の上皇さまが即位したのかな?(大行天皇、昭和天皇という呼び方が新鮮でした。今上天皇がなくなられたら、昭和が年号だから「昭和天皇になるのかな、と想像していたのが現実になったので)。 話が脱線しましたが、再就職したところの社長が同じ大学だったのをのぞくと、あまり学閥や学歴で得をした経験がなく、むしろ、ナルコレプシーなどで苦労をした経験しかないです。 それよりも、教えて欲しかったのは…(こんなところでいうことではないですが)男女交際の仕方とか、男性と女性とで、表情や反応が違う場合もある、という話だったのかな? 上に女のきょうだいとかもいたにもかかわらず、むしろそのために、そういうことがまるで分からなかったということですね(つまり、家族と同様に、ほかの女の子を見ると、とんでもない竹篦返しを食らうこともある、ということでしょう。「神経質」とか「感情を態度に出して幼い」としか見られなかったのだから)。 そういう意味で…「おぼっちゃまくん」の最初の頃の話だったと思いますが、亀光さんが、「茶魔、学校とは人間を見るためにゆくものだぞ」と言った言葉、名言、至言だと思っています。 また、脱線します。 …自分に関して、もうすこしいうと、「歴史的かなづかい信仰」「旧漢字信仰」もあるのかな?それで苦情も来たこともありましたが、いちおう自分の意見を記すと、語源・字源とか、活用表とか、外来語学習とか、ことわざの理解とか、古典学習とか。そういうことも含めると、便利な面もある、と(いちおうこの場では)主張しておきます。 ただ…朝鮮半島の文字はハングルですが、現在、東京MX李氏朝鮮の3代王にあたる太宗の話をやっていますが、その息子の世宗が、「しもじものものが使う文字がないとk畝丸だろう」という理由で定めたのが訓民正音、ハングルだということになってします。 しかし、当初は…それほど普及しなかったのだとか。つまり、人工的に文字をつくったり、定めたりしても、それが一般化するには歴史における慣習化の過程があり、長い道のりが必要になったりするわけです。 そして、ヨーロッパの共通語としてつくられたはずの「エスペラント」にしても、現在使用している国は…ほとんどないわけで、言葉は「こうしなさい」と強制するものではなく、自然に使うものなのかな、ということを考えたりもしています。 ならば、現代仮名づかいや、当用漢字、のちの常用漢字にしたところで…強制したことにはかわりはないのですが…。果たして、本当に「漢字表記」や「かな表記」は簡単になったのでしょうか? もしそういうことがなく、戦前からの状態で、PCとかが普及したら、どんなふうに日本語表記がかわっていたのかとか…想像するのは無意味なのかな、と思ったりします。 あと、外来語発音をあらわすかなも、もうすこしあっても良かったでは、とか。「th音を示すかな」とか、「や行い」とか「や行え」とか、「わ行う」とかを示すための「かな」もあっても(意外に学生は、学校で「発音記号」を習っていないし、日本人の場合、それよりも身近な「かな」のようなものの方が覚えられるのでは、と思うので) 。ちなみに、鼻濁音、いわゆるingを示す「か゜」のような表記もあるにはあるのですが、あまり一般的なものではないです。歌を歌う際には、「が」と発音するよりも鼻濁音がいい、と音楽の先生にすすめられました。 このルールからすると、ペヨンジュン(裴容浚)は「ぺヨク゜ジュン」、姜尚中さんは「カク゜サク゜ジュク゜」となるのですが…、そういう書き方をする位なら、「ペ・ヨング・ジュン」、「カング・サング・ジュング」とでも記した方がいいのでしょうか…。以上、蛇足でした。 ちなみに、私は外来語には「ヴ」表記は使うべきだ、という考え方です。ただ「ヴェトナム」を「ベトナム」、「ヴェネツィア」を「ベネチア」と記してもめくじらをたてるのは意味がないな、とも思っています。 多分、学者はある一定のルールにとらわれると、それに反する例外よりも、規則そのものを見てしまうため、傍から見ると阿呆としか見えない、頭のかたい考えや行動をしてしまうのかな、と想像しています。実際、融通がきかない、愚かなことのでしょう。(自分はそんなものですらないと思いますが…)。 学問は実生活に遊離してしまうと、意味がなくなる場合もあると、思います。だから、学歴よりも、実際に何をしてきたか、を具体的に語るか、その結果を世の中に示せないと、尾身茂とかの緊急発言になってしまうのではないのでしょうか? こんなところです。だらだらとすみませんでした…。
チャンネルに入会
フォロー
小林よしのりチャンネル
(ID:22136524)
今号の感想を記します(先に投稿したのですが、あまりうまくまとめられなかったので、削除し、やり直しをします)
私も正直、学歴はばかばかしいと思っています。
しかし、それを自分が言うと、周囲はあまり納得してはくれません。
自分の発言を「学校のお勉強」と言った人もいました。言わせておけばいいし、そういう方面の話を、その人としなければいいだけのことですが…。
ただ、企業は「学歴」で人間を採用します。「この大学出身者ならば即戦力になるはずだ」という信仰は根強いのかな、と思います。あるいは、同し出身校であるというのも、採用条件の一つだったりします。
自分は(いちおう)受験産業の仕事にも関与していましたから、新聞のセンター試験問題速報とか、雑誌のランキング発表などにあまり抵抗はないです。それを知らないと、仕事にならないから。
私は面接が非常に苦手だったし、就職活動も出遅れた方なので。一浪し、それから単位も足りていましたが、情報収拾のために大学の授業を増やすようにしました。卒論は前年の時に…終わりにしてありました。大した内容でないし、家族にも手伝って貰ったので、見返しはしなかったです。
ちょうどその頃、昭和天皇が崩御され、今の上皇さまが即位したのかな?(大行天皇、昭和天皇という呼び方が新鮮でした。今上天皇がなくなられたら、昭和が年号だから「昭和天皇になるのかな、と想像していたのが現実になったので)。
話が脱線しましたが、再就職したところの社長が同じ大学だったのをのぞくと、あまり学閥や学歴で得をした経験がなく、むしろ、ナルコレプシーなどで苦労をした経験しかないです。
それよりも、教えて欲しかったのは…(こんなところでいうことではないですが)男女交際の仕方とか、男性と女性とで、表情や反応が違う場合もある、という話だったのかな?
上に女のきょうだいとかもいたにもかかわらず、むしろそのために、そういうことがまるで分からなかったということですね(つまり、家族と同様に、ほかの女の子を見ると、とんでもない竹篦返しを食らうこともある、ということでしょう。「神経質」とか「感情を態度に出して幼い」としか見られなかったのだから)。
そういう意味で…「おぼっちゃまくん」の最初の頃の話だったと思いますが、亀光さんが、「茶魔、学校とは人間を見るためにゆくものだぞ」と言った言葉、名言、至言だと思っています。
また、脱線します。
…自分に関して、もうすこしいうと、「歴史的かなづかい信仰」「旧漢字信仰」もあるのかな?それで苦情も来たこともありましたが、いちおう自分の意見を記すと、語源・字源とか、活用表とか、外来語学習とか、ことわざの理解とか、古典学習とか。そういうことも含めると、便利な面もある、と(いちおうこの場では)主張しておきます。
ただ…朝鮮半島の文字はハングルですが、現在、東京MX李氏朝鮮の3代王にあたる太宗の話をやっていますが、その息子の世宗が、「しもじものものが使う文字がないとk畝丸だろう」という理由で定めたのが訓民正音、ハングルだということになってします。
しかし、当初は…それほど普及しなかったのだとか。つまり、人工的に文字をつくったり、定めたりしても、それが一般化するには歴史における慣習化の過程があり、長い道のりが必要になったりするわけです。
そして、ヨーロッパの共通語としてつくられたはずの「エスペラント」にしても、現在使用している国は…ほとんどないわけで、言葉は「こうしなさい」と強制するものではなく、自然に使うものなのかな、ということを考えたりもしています。
ならば、現代仮名づかいや、当用漢字、のちの常用漢字にしたところで…強制したことにはかわりはないのですが…。果たして、本当に「漢字表記」や「かな表記」は簡単になったのでしょうか?
もしそういうことがなく、戦前からの状態で、PCとかが普及したら、どんなふうに日本語表記がかわっていたのかとか…想像するのは無意味なのかな、と思ったりします。
あと、外来語発音をあらわすかなも、もうすこしあっても良かったでは、とか。「th音を示すかな」とか、「や行い」とか「や行え」とか、「わ行う」とかを示すための「かな」もあっても(意外に学生は、学校で「発音記号」を習っていないし、日本人の場合、それよりも身近な「かな」のようなものの方が覚えられるのでは、と思うので)
。ちなみに、鼻濁音、いわゆるingを示す「か゜」のような表記もあるにはあるのですが、あまり一般的なものではないです。歌を歌う際には、「が」と発音するよりも鼻濁音がいい、と音楽の先生にすすめられました。
このルールからすると、ペヨンジュン(裴容浚)は「ぺヨク゜ジュン」、姜尚中さんは「カク゜サク゜ジュク゜」となるのですが…、そういう書き方をする位なら、「ペ・ヨング・ジュン」、「カング・サング・ジュング」とでも記した方がいいのでしょうか…。以上、蛇足でした。
ちなみに、私は外来語には「ヴ」表記は使うべきだ、という考え方です。ただ「ヴェトナム」を「ベトナム」、「ヴェネツィア」を「ベネチア」と記してもめくじらをたてるのは意味がないな、とも思っています。
多分、学者はある一定のルールにとらわれると、それに反する例外よりも、規則そのものを見てしまうため、傍から見ると阿呆としか見えない、頭のかたい考えや行動をしてしまうのかな、と想像しています。実際、融通がきかない、愚かなことのでしょう。(自分はそんなものですらないと思いますが…)。
学問は実生活に遊離してしまうと、意味がなくなる場合もあると、思います。だから、学歴よりも、実際に何をしてきたか、を具体的に語るか、その結果を世の中に示せないと、尾身茂とかの緊急発言になってしまうのではないのでしょうか?
こんなところです。だらだらとすみませんでした…。