Madoka のコメント

今更で申し訳ないのですが、4/20のDOJO「人権カルトと『日本人論』」の動画をやっと最後まで見たので、感想を書かせて頂きます。


今回は、個人的にいつもに増して、腑に落ちる事だらけの回だなと思いました。
冒頭のよしりん先生のお話の中で、性を売って生きている人達等をむやみに蔑まないのが日本人なんだ、というものがありましたが、なるほどと思いました。多様な性に寛容だという事は、性を売らねば生きていけない人々にも寛容だという事なのだなとわかりました。これも、八百万の神々が産まれた土地ならではの感覚なのかもしれないなと思いますし、現代日本での、いろんな分野でのキャンセルカルチャーはその感覚が薄まっている結果なのかもしれないなとも思いました。

あと今回深く感銘を受けたのが、「権利」は福沢諭吉が訳した当初「権理通義」だった、また「平等」は「同等」だったというお話です!!!
昨今、「人権」や「〇〇の権利」と聞くにつれ、よしりん先生の言葉などなどを思い出し、なんだかモヤモヤして、だけどそれを守らなくてはいけない時と場合もあるのだろうしなぁと思っていたのですが、、、「権理通義」と書く事によって、むちゃくちゃスッキリするーーーーという感覚になりました。
倉持氏が笹さんとの動画で、「一方の人権を主張すると必ず違う人権とぶつかる」というお話をされていましたが、「人の権理通義」という言葉にすれば、そこには最初から「義の通った理から産まれる権限」という意味も含まれるのだし、他者をも念頭に置き考え主張する己の権限なので、間に「公共の福祉」という謎な言葉を挟まなくとも調整ができるのではないでしょうか。
単純にそこに自分がいるだけで付与されるというイメージを持ってしまう「権利」よりも、説得力があると思いました。
その権限を主張するための、公における道義を考えるという行為を経た上で展開される主張、大人も子どもも、それが出来るように訓練する事が、日本人の劣化を食い止める一つの方法かもな、とも思いました。
私も今度から「権理通義」って言おうかなぁ。。誰にも通じないかな(笑)
「権理」と「同等」のお話、どういった経緯で今は「権利」になってしまったのか、、などなど、ライジングでも読みたいなーと思いました^_^

No.115 7ヶ月前

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