本日道場に初参加させていただきました。ありがとうございました。手を負傷していてアンケートをかけなかったためこちらで失礼します。 全体を通してまじめな話を楽しく聞くことができて、参加できてよかったです。 人権はキリスト教の流れから生まれた、宗教の一つの形であるという話(私の勝手な意訳)が、特に印象に残りました。ある程度普遍性を持つ要素も含んでいると感じるため受け入れられることも多いですが、元がキリスト教圏の発想から生まれていることから、そうではない文化圏にもちこまれれば不具合はあって当然で、日本で不具合が見受けられたときに人権側に寄ってしまうのが、キャンセルカルチャーにつながっているし、なぜそちら側によってしまうのかというと、日本人が自分たちの文化・歴史の感覚を持てていないから。 なぜ日本人がそうなのかを考えてみると、豊かな自然に恵まれながらも自然の怖さも受け入れながら自然と共に生きてきたことや、地理的に外からの侵略が少なかったことから、文化への危機意識が育たず継承を少し蔑ろにする気質になってしまっているのかもしれないのだろうか、なんていうことを考えました。 第二部では質問も聞いてくださりありがとうございました。当たらないだろうと思っていたためあんまり考えがまとまらないまま喋ってしまいましたすみません。 第一部の話を聞いていて、キャンセルされたくない文化といえば、で天皇・皇室を思い浮かべ、天皇陛下も愛子様も、時代にあった象徴天皇を模索されて次代に繋げようとなさっているけれど、ふと、では自分たち庶民側として天皇・皇室に対するときの文化?は自分の中にはそんなに意識できておらず、長い歴史の中ではどんなふうになっていたのか、またそれを現代に息づかせるということは、どうしたらいいのだろうと思いいたり質問いたしました。 小林先生からは、庶民にとっては本当は難しく能書きで考えずに、素直な直感で皇族方を応援していればいいんだ(勝手な解釈でズレていたらすみません)、とご回答をいただき目からウロコでした。理屈や能書きで〇〇すべき、で考えるより、大くの庶民にとっては直感で皇室を指示できることが大切だし、そうでないと国家的な文化として続かないよなと思いました。ただ、先述のような文化・歴史の継続の感覚は持っておかないと、ただの刹那的な考えなしになり下がる危険もありそうで、そういう感覚を伝え合ったり磨きあうには、ゴー宣作品や道場は今なくてはならない存在だと思いました。それにまた、女性天皇のいた時代の感覚を直感で感じられるように、たとえば持統天皇物語といったようなストーリー漫画があったら、すでに生きている人がいない時代のことも再現されて感じてみたい、なんていう勝手で無茶な欲求が生まれたり...。 ただ、庶民が自分たちの物語として女性、女系天皇の感覚を男系固執派から取り戻すのは、政治と選挙の話に広がっていって(割愛) ゴー宣道場のレベルに見合った質問ができたか恥じ入るところですが、私自身は間違いなく道場で未熟な思想感覚を磨かれたと感じました。本当にありがとうございました。 脱線した話になりますが、稚児行列は名古屋でも残っていますね。色々なパターンあるかと思いますが、寺社の建物改修資金集めとか、住職の代替わりの祝い?とかで、定例的だったり不定期だったりで開催されています。露骨にお金のためだけとかではなく、子供の幸せを願うご祈祷やお参りのような感じで、子供を3回稚児行列に参加させると幸せに育つとかいう迷信?文化?としても残っていて、住職と懇ろになる稚児からすっかり変わって私も子供の頃に参加しましたし、自分の子供も参加させました。和泉師範はその中でも役稚児という当たり?の参加をされたのですね。 アンケート代わりのコメント利用ですみません。失礼いたしました。
チャンネルに入会
フォロー
小林よしのりチャンネル
(ID:351199)
本日道場に初参加させていただきました。ありがとうございました。手を負傷していてアンケートをかけなかったためこちらで失礼します。
全体を通してまじめな話を楽しく聞くことができて、参加できてよかったです。
人権はキリスト教の流れから生まれた、宗教の一つの形であるという話(私の勝手な意訳)が、特に印象に残りました。ある程度普遍性を持つ要素も含んでいると感じるため受け入れられることも多いですが、元がキリスト教圏の発想から生まれていることから、そうではない文化圏にもちこまれれば不具合はあって当然で、日本で不具合が見受けられたときに人権側に寄ってしまうのが、キャンセルカルチャーにつながっているし、なぜそちら側によってしまうのかというと、日本人が自分たちの文化・歴史の感覚を持てていないから。
なぜ日本人がそうなのかを考えてみると、豊かな自然に恵まれながらも自然の怖さも受け入れながら自然と共に生きてきたことや、地理的に外からの侵略が少なかったことから、文化への危機意識が育たず継承を少し蔑ろにする気質になってしまっているのかもしれないのだろうか、なんていうことを考えました。
第二部では質問も聞いてくださりありがとうございました。当たらないだろうと思っていたためあんまり考えがまとまらないまま喋ってしまいましたすみません。
第一部の話を聞いていて、キャンセルされたくない文化といえば、で天皇・皇室を思い浮かべ、天皇陛下も愛子様も、時代にあった象徴天皇を模索されて次代に繋げようとなさっているけれど、ふと、では自分たち庶民側として天皇・皇室に対するときの文化?は自分の中にはそんなに意識できておらず、長い歴史の中ではどんなふうになっていたのか、またそれを現代に息づかせるということは、どうしたらいいのだろうと思いいたり質問いたしました。
小林先生からは、庶民にとっては本当は難しく能書きで考えずに、素直な直感で皇族方を応援していればいいんだ(勝手な解釈でズレていたらすみません)、とご回答をいただき目からウロコでした。理屈や能書きで〇〇すべき、で考えるより、大くの庶民にとっては直感で皇室を指示できることが大切だし、そうでないと国家的な文化として続かないよなと思いました。ただ、先述のような文化・歴史の継続の感覚は持っておかないと、ただの刹那的な考えなしになり下がる危険もありそうで、そういう感覚を伝え合ったり磨きあうには、ゴー宣作品や道場は今なくてはならない存在だと思いました。それにまた、女性天皇のいた時代の感覚を直感で感じられるように、たとえば持統天皇物語といったようなストーリー漫画があったら、すでに生きている人がいない時代のことも再現されて感じてみたい、なんていう勝手で無茶な欲求が生まれたり...。
ただ、庶民が自分たちの物語として女性、女系天皇の感覚を男系固執派から取り戻すのは、政治と選挙の話に広がっていって(割愛)
ゴー宣道場のレベルに見合った質問ができたか恥じ入るところですが、私自身は間違いなく道場で未熟な思想感覚を磨かれたと感じました。本当にありがとうございました。
脱線した話になりますが、稚児行列は名古屋でも残っていますね。色々なパターンあるかと思いますが、寺社の建物改修資金集めとか、住職の代替わりの祝い?とかで、定例的だったり不定期だったりで開催されています。露骨にお金のためだけとかではなく、子供の幸せを願うご祈祷やお参りのような感じで、子供を3回稚児行列に参加させると幸せに育つとかいう迷信?文化?としても残っていて、住職と懇ろになる稚児からすっかり変わって私も子供の頃に参加しましたし、自分の子供も参加させました。和泉師範はその中でも役稚児という当たり?の参加をされたのですね。
アンケート代わりのコメント利用ですみません。失礼いたしました。