遅くなりました。今号の感想です。 呼び名とか名前の話というと、(このテーマからはずれるのかもですが)小説『路傍の石』の主人公、吾一が小学校の担任教師、次野から「吾一とという名前は『吾は一人なり』という素晴らしい名前だ」と告げられる(有名な)場面です。 今思うと、これは次野先生のこじつけでしかなく、家庭の事情で(旧制の)中学校へゆけないとしょげているという(次野の)思い込みから来る励ましの言葉でしかないのですが、よんだ当時は革新的でした。名前とはそんなに深い意味があるのか、だったら、自分も名前に恥じない生き方をしないといけない…とか(結局、全然できませんでしたが…)。 その作者の山本有三先生が、「当用漢字」のための漢字の新字体の作成や、現代仮名遣いを推進したという事実に、今は複雑な思いを覚えます。だったら、「龍」とか「堯」とかいう漢字の名前を持つ人は、みな「竜」とか「尭」とかにしないといけないのか、とか。 人名漢字のおかげで、紺野美沙子さんとか、中川翔子さんは予定された名前を命名されなかったという話を聞いたりもしました(「沙」が駄目で、「薔」を使えなかったのかな?) 文字とか表記とか、「大体の」ガイドラインがないといけないのは分かりますが、規制しないといけないものでしょうか? 山本先生がそうしたかった理由は知っているのですが…。「吾一」が「五助」にされた話を書いた張本人なのだから…。 …話がずれましたが、ものや人や作品などの名前には「由来」があるのだから、それを忘れて、「ただ通じればいい」というものでもないし、民族とか国民の「記憶」・「歴史」もあるのだから、それを「改竄」し、「なかったこと」にすることはできない、と思います。 まったく昔と同じにはできない場合もあるのでしょうが、それでも基本は押さえないといけないのでは、と。 自分が「日本語」について思ってゐることを踏まへて記してみましたが、いかがだったでせうか? (個人的には)「は行」活用の伝統も、守るべきものでは、といふ意見です。わ行表記なども。 (こういうことを記すから…アナクロと言われたりするのですけれども…)(^_^;)
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遅くなりました。今号の感想です。
呼び名とか名前の話というと、(このテーマからはずれるのかもですが)小説『路傍の石』の主人公、吾一が小学校の担任教師、次野から「吾一とという名前は『吾は一人なり』という素晴らしい名前だ」と告げられる(有名な)場面です。
今思うと、これは次野先生のこじつけでしかなく、家庭の事情で(旧制の)中学校へゆけないとしょげているという(次野の)思い込みから来る励ましの言葉でしかないのですが、よんだ当時は革新的でした。名前とはそんなに深い意味があるのか、だったら、自分も名前に恥じない生き方をしないといけない…とか(結局、全然できませんでしたが…)。
その作者の山本有三先生が、「当用漢字」のための漢字の新字体の作成や、現代仮名遣いを推進したという事実に、今は複雑な思いを覚えます。だったら、「龍」とか「堯」とかいう漢字の名前を持つ人は、みな「竜」とか「尭」とかにしないといけないのか、とか。
人名漢字のおかげで、紺野美沙子さんとか、中川翔子さんは予定された名前を命名されなかったという話を聞いたりもしました(「沙」が駄目で、「薔」を使えなかったのかな?)
文字とか表記とか、「大体の」ガイドラインがないといけないのは分かりますが、規制しないといけないものでしょうか?
山本先生がそうしたかった理由は知っているのですが…。「吾一」が「五助」にされた話を書いた張本人なのだから…。
…話がずれましたが、ものや人や作品などの名前には「由来」があるのだから、それを忘れて、「ただ通じればいい」というものでもないし、民族とか国民の「記憶」・「歴史」もあるのだから、それを「改竄」し、「なかったこと」にすることはできない、と思います。
まったく昔と同じにはできない場合もあるのでしょうが、それでも基本は押さえないといけないのでは、と。
自分が「日本語」について思ってゐることを踏まへて記してみましたが、いかがだったでせうか?
(個人的には)「は行」活用の伝統も、守るべきものでは、といふ意見です。わ行表記なども。
(こういうことを記すから…アナクロと言われたりするのですけれども…)(^_^;)