だふね のコメント

おはようございます。今週もありがとうございます。

・不思議な話なのだが、『戦争論』を描いて危険で好戦的な漫画家というレッテルを貼られているわしは、戦闘漫画が苦手なのだ。その一方で、人類の無意識に潜む戦闘意欲を刺激する漫画を描いた鳥山明は「好戦的な漫画家」と言われることなど一切なく、全然非難されない。それどころか、「勇気を与えてくれた」と称賛までされるのである。
・わしが描いたのは、戦争のリアルである。具体的な本質である。一方で鳥山明が描いたのは、抽象的だが、これも戦争の本質である。
・わしは意識的・具体的に、戦争というものは人類が生存し、国家が存在する限り、なくならないと描いた。そして鳥山明は、わしと同じことを無意識的・抽象的に描いたのである。
・戦いは決して終わらない。必ず戦争はある。人はそこから逃れられないのだと無意識のうちに鳥山は描いたのであり、それが本質なのだ。それだったらわしと同じと言えるのではないか。
・ところが、自覚的にそれを描いたわしは散々非難されるが、無自覚に描いた鳥山は絶賛される。そこに何の矛盾も感じずにいられるのだから、大衆ってすごいものだと思うしかない。

よしりん先生の分析がすごいです。よしりんは「意識的・具体的」、鳥山氏は「無意識的・抽象的」。いずれも戦争の本質を描いているのに、よしりんは非難され、鳥山氏は絶賛される矛盾。これは私も、恥ずかしながら考えたことがなかったです。今回の論考も唸りました。

前回の記事で『ドラゴンボール』についてコメントしましたが、私はサイヤ人とのバトルが始まった辺りで挫折しました。孫悟飯がピッコロから修業を受けた辺りまでですかね。
どういう経緯で修業することになったかはすっかり忘れましたが、ひ弱な男の子(でも潜在能力はとびきり高い)が逞しくしたたかに成長していく過程、ピッコロと心の交流ができていたとわかる場面は興味深かったので、辛うじて記憶にひっかかっているのでしょう。
バトルシーンそのものは印象が薄い。悟空の仲間(馴染みのキャラ)が敵キャラに容赦なく殺されていくのは、さすがに鳥山明の作風では「違う」気がして、読むのをやめたのかな? 意識か無意識か、それすらも覚えていませんが。

逆に、小林よしのりが『戦争論』で描いた、戦場での実際の戦闘、性事情などの「戦争のリアル」については、「それが人間というものだ」(マイケル・ジャクソンの歌う「That is human nature」)と思い知らされることばかり。それ以前から(オウム真理教や薬害エイズ問題でも)、よしりん先生は人間の弱さを克明に描く一方で、「人間への希望を捨てるな」と読者に命がけで訴え続けている気がしていました。漫画というジャンルすら飛び越えて、『ゴー宣』自体が一つのジャンルといったところ。

『ゴー宣』も『戦争論』も、『ドラゴンボール』のようなフィクションではなく、現実の過酷さを私たちに教えてくれる。私はよしりん先生を「次々に悪者退治してくれるスーパーヒーロー」だと見做したことはないし、一人で戦わせるには忍びないから、サポーターとして微力ながら支えています。活動していると、日本(特に皇室)の現状を憂えてしまい、正直苦しくなることも。『ゴー宣』を本当に「娯楽」として楽しめるなら、ずいぶんと気持ちがラクなのになぁ…。

また、同じく前回コメントしたことですが、私にとっては「主人公が何のために戦っているか」が大事で、物語の主旨を理解して共感できれば読み続けられます。それが戦闘漫画でも、格闘漫画でも。
私は『鬼滅の刃』が大好きなのですが、これを戦闘(あるいは格闘)漫画だと、自分の中でカテゴリ分けしたことはありません(無節操なだけか)。純粋にストーリーに惹かれると同時に、現実の皇統問題と非常にリンクしていると感じてしまう。
『鬼滅の刃』は天才や超人が主人公ではなく、生身の人間たちが限られた命を使って目的を成し遂げますが、その過程における「想いを繋いでいく」「長年の因習(鬼)と戦う」という精神性に、深く頷かずにはいられなかったです。

No.81 8ヶ月前

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