トッキーさんのブログを読んで感じたことを書かせてください。 ドラゴンボールなどのバトル漫画とゴー宣、確かに共通する部分はあるように思えます。 バトル漫画は、主人公に自分を投影し、修行で鍛えた力(ファンタジーなので何故強くなるのかは追及しませんが)をもって敵を倒すことに爽快感を感じることができます。一方でゴー宣についても、自分の常識の中でモヤモヤした部分を小林先生が言語化してくれて、言論により巨悪をなぎ倒してくれていることに爽快感を覚えるのではないでしょうか。 そういった部分においてはバトル漫画とゴー宣に共通点はあるかもしれませんが、私はこれを書きながら危険な兆候を感じてしまいました。というのも、バトル漫画のような爽快感をゴー宣にも感じるということは、小林先生が闘う姿を自分に置き換えている、つまり小林先生の意見や考えをあたかも自分の思想と錯覚し、ゴー宣を読んだだけで相手を論破した気になってしまってないだろうかと考えました。これは自分に対する戒めでもあるですが、やはり常に自分の頭で考えることを怠らず、思想し続けるためにも、ゴー宣をバトル漫画のように捉えるのは少し危険な気がしました。
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トッキーさんのブログを読んで感じたことを書かせてください。
ドラゴンボールなどのバトル漫画とゴー宣、確かに共通する部分はあるように思えます。
バトル漫画は、主人公に自分を投影し、修行で鍛えた力(ファンタジーなので何故強くなるのかは追及しませんが)をもって敵を倒すことに爽快感を感じることができます。一方でゴー宣についても、自分の常識の中でモヤモヤした部分を小林先生が言語化してくれて、言論により巨悪をなぎ倒してくれていることに爽快感を覚えるのではないでしょうか。
そういった部分においてはバトル漫画とゴー宣に共通点はあるかもしれませんが、私はこれを書きながら危険な兆候を感じてしまいました。というのも、バトル漫画のような爽快感をゴー宣にも感じるということは、小林先生が闘う姿を自分に置き換えている、つまり小林先生の意見や考えをあたかも自分の思想と錯覚し、ゴー宣を読んだだけで相手を論破した気になってしまってないだろうかと考えました。これは自分に対する戒めでもあるですが、やはり常に自分の頭で考えることを怠らず、思想し続けるためにも、ゴー宣をバトル漫画のように捉えるのは少し危険な気がしました。