酔いどれカエル坊主 のコメント

時浦さんのブログを読みました。
愕然としました。
ゴー宣を「戦闘漫画」と解釈して、しかもそれを首肯している方がいるとは、信じられない気持ちでいっぱいです。

「パクス」の論理にはまっているのでしょうか?

パクスとは、パクスロマーナとか、パクスアメリカーナとかいう、ラテン語で「平和」を意味するあれです。

今号のライジングのゴー宣で、鳥山明と小林よしのりの違いひいては戦闘漫画と格闘漫画の違いについて実は一昨日から考えていて、昨日、未だに「戦争の対義語としての平和」と考えている人がいるのではないか、それは根深いのではないかと思い、「pax」という単語について検索しました。
言葉の解説では、「ラテン語で平和」以上のものは出てきませんでしたが、パクスの本質が、パクスアメリカーナのように、「他者の尊厳や積み重ねてきたものを踏み躙って得る平和」ならば、そういう解釈ならば、我々日本人は、欧米由来の「パクス」と戦わなけりゃならないのではないかと思いました。

私の考えですが、キャンセル・カルチャーや人権カルトなど、ありとあらゆるものをフラットにして「平等」を実現させようとする動きは、何でも「パクスの論理」に見えてしまうのです。だって絶えず戦争を繰り返してきた欧米発の平和とは、アジア・アフリカを植民地にし、原住民の権利や文化を蔑ろにした過去があるのだから。

左翼があんなに「平和」に拘るのは、欧米の「パクス」の平和であって、何でも欧米をありがたがる彼らは、相手の尊厳と文化を踏みにじるキャンセルカルチャーに飛びつくのも今では納得できる気がします。

ドラゴンボールなど戦闘漫画が欧米圏で受け入れられるのは、他者を平定してそれっきりの気質にぴったりだったからではないでしょうか。

「沖縄論」のバスガイドさんがドラゴンボールに拒絶感を示したのは、アメリカによってパクスされた歴史上の経験に裏打ちされたものではないだろうか。私は今はそう思っています。

それなのに、アメリカのパクスと、キャンセルカルチャーと、何でもフラットにしようとする動きと戦わなけりゃならないのに、欧米圏が支持する戦闘漫画を諸手を挙げて賛成するのは、脳天気が過ぎやしないだろうか。

No.67 7ヶ月前

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