…鳥山明の話を聞いていて、(anamochiさん少し同じようなことを記されていますが)江戸川乱歩先生作の「怪人もの」を思い出しました。 乱歩先生は「二戰銅貨」・「一枚の切符」の短篇で文壇にデヴューし、一躍名を馳せましたが、ミステリ、探偵小説の普及と、ご自身の生活のために、「一寸法師」や「蜘蛛男」のような、スリラー作品、いわゆる「怪人」と称する犯人が登場し、予告状を出して、世間に自己の犯罪を宣戦布告するような作品群を残してきました。乱歩先生は全力を尽くしてそれらの作品を記されてきましたが(実際、それらの作品でも、ターゲットにされた女優が犯人を逃がしてしまうという興味深い場面があったりもします)、これぞ「バトルもの」ではないか、と思うのです。乱歩先生は、これらの作品を非常に嫌っていたそうです。 それらが発展したものが、「怪人二十面相」「少年探偵団」のような、少年向けミステリで、最終的には乱歩先生はそちらの方向で、かつての作品のリメイクのようなことをするしかなかったのでしょう(それらはそれらで、換骨奪胎ができており、面白かったりします) 一方で、「悪霊」という本格ミステリ、謎解きの作品を「準備不足」「情熱が湧かない」とかいう理由で、連載3回ほどで中絶してしまうなど、変なところで潔癖なところもあったわけです。もしも「読者サービス」云々を語るなら、こういう作品こそちゃんとしなければ、失敗したとしても、最後まで完成させるのが作家としての良心では…と、私は思うのですが。 乱歩先生は、親友の横溝正史先生の金田一耕助シリーズの成功などを日本のミステリの発展ととらえておりましたが、岡山ものや等々力警部ものなども、金田一耕助が明智小五郎の発展形態なのかも知れぬように(少なくとも風体や癖はそうです…笑)、それらの作品も名探偵対犯罪者の対決であったように、バトル物の宿命はミステリ小説に深く根強くしみこまれているのでは、と思うのですが…。 実際、これらの作品でも(昨今生まれてきた、生活の中の謎ものとか、怪人二十面相は別かも知れないですが)血はたくさん流れているわけですね…。探偵と犯人の対決と、少年誌のバトル物の系譜は…際限のないパワーアップとよく似ているのではありますまいか。 ミステリの場合には、松本清張も現れ、生活に根ざした作品や現実的な社会悪も描かれてきましたが…その結果、作品がつまらなくなった面もあるのでは、と思います。 こんな感じですが…どうでしょうか? あと、前回答えられなかった返信も、少しづつ。 >ねこまるさんへ 「神の子羊」(だったかな?)のことは聞いたことがあるのですが、私はあれは竹宮先生の第二部とは完全には一致はしないらしいという話を聞いたので、興味はありますが、未読です。それと漫画で描かれたのだから、漫画で完成させて欲しいかな、と思うわけです。自身で不可能なら、石ノ森先生が「サイボーグ009」を息子さんに託したように。 とはいえ、作品とは作者のものであるのだから、それを読者が云々いうのは…贅沢で、ないものねだりなのでしょうか?ちょうど、鳥山明先生がドラゴンボールの路線変更をさせられたように…。 ちなみに、話を元にもどしておきますが…ドクタースランプは、そんなに平和的な漫画ぢゃないですよ…地球が何度も壊されて…ませんでしたか?
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…鳥山明の話を聞いていて、(anamochiさん少し同じようなことを記されていますが)江戸川乱歩先生作の「怪人もの」を思い出しました。
乱歩先生は「二戰銅貨」・「一枚の切符」の短篇で文壇にデヴューし、一躍名を馳せましたが、ミステリ、探偵小説の普及と、ご自身の生活のために、「一寸法師」や「蜘蛛男」のような、スリラー作品、いわゆる「怪人」と称する犯人が登場し、予告状を出して、世間に自己の犯罪を宣戦布告するような作品群を残してきました。乱歩先生は全力を尽くしてそれらの作品を記されてきましたが(実際、それらの作品でも、ターゲットにされた女優が犯人を逃がしてしまうという興味深い場面があったりもします)、これぞ「バトルもの」ではないか、と思うのです。乱歩先生は、これらの作品を非常に嫌っていたそうです。 それらが発展したものが、「怪人二十面相」「少年探偵団」のような、少年向けミステリで、最終的には乱歩先生はそちらの方向で、かつての作品のリメイクのようなことをするしかなかったのでしょう(それらはそれらで、換骨奪胎ができており、面白かったりします)
一方で、「悪霊」という本格ミステリ、謎解きの作品を「準備不足」「情熱が湧かない」とかいう理由で、連載3回ほどで中絶してしまうなど、変なところで潔癖なところもあったわけです。もしも「読者サービス」云々を語るなら、こういう作品こそちゃんとしなければ、失敗したとしても、最後まで完成させるのが作家としての良心では…と、私は思うのですが。
乱歩先生は、親友の横溝正史先生の金田一耕助シリーズの成功などを日本のミステリの発展ととらえておりましたが、岡山ものや等々力警部ものなども、金田一耕助が明智小五郎の発展形態なのかも知れぬように(少なくとも風体や癖はそうです…笑)、それらの作品も名探偵対犯罪者の対決であったように、バトル物の宿命はミステリ小説に深く根強くしみこまれているのでは、と思うのですが…。
実際、これらの作品でも(昨今生まれてきた、生活の中の謎ものとか、怪人二十面相は別かも知れないですが)血はたくさん流れているわけですね…。探偵と犯人の対決と、少年誌のバトル物の系譜は…際限のないパワーアップとよく似ているのではありますまいか。
ミステリの場合には、松本清張も現れ、生活に根ざした作品や現実的な社会悪も描かれてきましたが…その結果、作品がつまらなくなった面もあるのでは、と思います。
こんな感じですが…どうでしょうか?
あと、前回答えられなかった返信も、少しづつ。
>ねこまるさんへ
「神の子羊」(だったかな?)のことは聞いたことがあるのですが、私はあれは竹宮先生の第二部とは完全には一致はしないらしいという話を聞いたので、興味はありますが、未読です。それと漫画で描かれたのだから、漫画で完成させて欲しいかな、と思うわけです。自身で不可能なら、石ノ森先生が「サイボーグ009」を息子さんに託したように。
とはいえ、作品とは作者のものであるのだから、それを読者が云々いうのは…贅沢で、ないものねだりなのでしょうか?ちょうど、鳥山明先生がドラゴンボールの路線変更をさせられたように…。
ちなみに、話を元にもどしておきますが…ドクタースランプは、そんなに平和的な漫画ぢゃないですよ…地球が何度も壊されて…ませんでしたか?