いちおうつけたし:ビリー・ホリデイというのは黒人女性歌手で、奇妙な果実とは…KKKに木につるし上げられた、黒人の死体をたとえたものです。 これを動物にまで拡大するのは…やはり過剰でしょう。 大須賀さんの方ですが…鉄人…懐かしいですね。私は、ジャイアントロボあたりから視聴した記憶があるのですが。 あまりガオーとかダガーン、ではない、ダダダダダーンという擬音には注目していませんっでしたが、そういうのって、人の心に響く本能的なもので、理屈ではないんだな、と。ジャイアントロボでも「マッ!」とロボが叫ぶのが一番印象に残っています(姉たちは、あれは「ンガ」ではないか、と言っていたのですが)。 オノマトペですが、「小野的平」さんというひとがどこかにいるのかと勘違いしていました…。オッパッピーというのも…オッペケペーの系譜なのでしょうか? それらは理論化しようと思えば、男系派のような自称保守とか言えるのでしょうが…理屈ではなく、感覚の話になるのかな、と思いました。単純ですが、私も…観応の擾乱とか、正平一統とか、あと、安倍元首相の地図とかで「風水?」というあちら側の思想になってましたから…反省です。 智識とは時折、本能からくる何かを阻碍する場合もあり、なくてはならぬものだけれども、どちらを優先するかを見極めねば、と思いました。 もくれんさんのそこまで言って委員会、TVERで見ましたが…田嶋陽子がいつになく、まともなことを言っており、雰囲気で賛同する山口真由、番組を先にすすめる司会進行…典型的なTVショーだったような。 要はおばけは死なない、ではなく、神はこの世に「遍在」(偏在ではない…この熟語、なんとかならぬか)しているから死んではおらず、隠れてはいない、そして、系譜的には伊邪那岐が顔を洗ったら天照大御神が誕生したんだ…それって、本当に親子なの?という気がします。天照と須佐之男の対決の場で、互いに子供をつくった、という話みたいに。 私はこの話を聞いた時、「クローン人間か?」と思いました(それもよくない見方ですが) …という冗談はさておき、伊邪那岐やそれ以前の、天之御中主神、高御産巣日神、神御産巣日神などが皇祖神とされていないのは、この世や秩序全体を生み出した存在であり、皇室ですら、それらに支配されているのだ、という自然の摂理をあらわしているようにも思えるのですが…こういう視点は間違っているのでしょうか? ということで、ギリギリですみませんでした…。気の緩みかな? では、次号を期待します。
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いちおうつけたし:ビリー・ホリデイというのは黒人女性歌手で、奇妙な果実とは…KKKに木につるし上げられた、黒人の死体をたとえたものです。
これを動物にまで拡大するのは…やはり過剰でしょう。
大須賀さんの方ですが…鉄人…懐かしいですね。私は、ジャイアントロボあたりから視聴した記憶があるのですが。
あまりガオーとかダガーン、ではない、ダダダダダーンという擬音には注目していませんっでしたが、そういうのって、人の心に響く本能的なもので、理屈ではないんだな、と。ジャイアントロボでも「マッ!」とロボが叫ぶのが一番印象に残っています(姉たちは、あれは「ンガ」ではないか、と言っていたのですが)。
オノマトペですが、「小野的平」さんというひとがどこかにいるのかと勘違いしていました…。オッパッピーというのも…オッペケペーの系譜なのでしょうか?
それらは理論化しようと思えば、男系派のような自称保守とか言えるのでしょうが…理屈ではなく、感覚の話になるのかな、と思いました。単純ですが、私も…観応の擾乱とか、正平一統とか、あと、安倍元首相の地図とかで「風水?」というあちら側の思想になってましたから…反省です。
智識とは時折、本能からくる何かを阻碍する場合もあり、なくてはならぬものだけれども、どちらを優先するかを見極めねば、と思いました。
もくれんさんのそこまで言って委員会、TVERで見ましたが…田嶋陽子がいつになく、まともなことを言っており、雰囲気で賛同する山口真由、番組を先にすすめる司会進行…典型的なTVショーだったような。
要はおばけは死なない、ではなく、神はこの世に「遍在」(偏在ではない…この熟語、なんとかならぬか)しているから死んではおらず、隠れてはいない、そして、系譜的には伊邪那岐が顔を洗ったら天照大御神が誕生したんだ…それって、本当に親子なの?という気がします。天照と須佐之男の対決の場で、互いに子供をつくった、という話みたいに。
私はこの話を聞いた時、「クローン人間か?」と思いました(それもよくない見方ですが)
…という冗談はさておき、伊邪那岐やそれ以前の、天之御中主神、高御産巣日神、神御産巣日神などが皇祖神とされていないのは、この世や秩序全体を生み出した存在であり、皇室ですら、それらに支配されているのだ、という自然の摂理をあらわしているようにも思えるのですが…こういう視点は間違っているのでしょうか?
ということで、ギリギリですみませんでした…。気の緩みかな?
では、次号を期待します。