さて、一寸の虫にも五分の魂と言いまして、虫けらを人に例えたり、人を虫けらに例えたりするのが日本人です。ここには権利がどうのという発想はそもそも入ってきません。あるのは「魂」ですが、人形供養があるように、生き物だけでなく無機物にすら魂を認めてしまうのが日本人です。モノにすら魂が宿るのだから粗末には扱うまいという発想に、やはり「権利」の居場所はありません。しかし、ないからといって西洋と比べ劣ったり遅れたりしているわけではないでしょう。 昔のお年寄りは、貧しい時代を生きてきたのもあって、色々なものを直し直し使っていたと聞きます。その上で、ついに使えなくなったものは「供養」した。今もそのような風習はありまして、いつぞやは「AIBO」の供養がされたこともありました。日本では保守部品がなくなり、動かせなくなったロボットすらも、擬人化して供養してしまう。ちなみに、AIBOの葬式にはドイツ人の文化人類学者が取材に来ていたようですが、米国やドイツにはロボットの葬式はないそうです。先の人形供養や針供養などもある国が日本ですから、こうしたことが受け入れやすい余地があるのかもしれません。 https://business.nikkei.com/atcl/report/16/061100222/110900014/?P=6 (日経ビジネス AIBOの葬式に密着)
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さて、一寸の虫にも五分の魂と言いまして、虫けらを人に例えたり、人を虫けらに例えたりするのが日本人です。ここには権利がどうのという発想はそもそも入ってきません。あるのは「魂」ですが、人形供養があるように、生き物だけでなく無機物にすら魂を認めてしまうのが日本人です。モノにすら魂が宿るのだから粗末には扱うまいという発想に、やはり「権利」の居場所はありません。しかし、ないからといって西洋と比べ劣ったり遅れたりしているわけではないでしょう。
昔のお年寄りは、貧しい時代を生きてきたのもあって、色々なものを直し直し使っていたと聞きます。その上で、ついに使えなくなったものは「供養」した。今もそのような風習はありまして、いつぞやは「AIBO」の供養がされたこともありました。日本では保守部品がなくなり、動かせなくなったロボットすらも、擬人化して供養してしまう。ちなみに、AIBOの葬式にはドイツ人の文化人類学者が取材に来ていたようですが、米国やドイツにはロボットの葬式はないそうです。先の人形供養や針供養などもある国が日本ですから、こうしたことが受け入れやすい余地があるのかもしれません。
https://business.nikkei.com/atcl/report/16/061100222/110900014/?P=6
(日経ビジネス AIBOの葬式に密着)