ゴー宣ジャーナリストのよっしーさんや、その前のトッキーさんのブログなどについても。 実を言えば、私は死刑制度ほど恐ろしいものはない、という考えです。こういうことを記すと、詮議民主主義に毒されている、生命至上主義におちいっているのかもも知れませぬが、「冤罪」ということが気になります。死んだ人間が無罪と分かった時、国家は降霊術、蘇生術をほどこしててくれるのだろうか、エンマ大王さまに生き返らせてくれ、と書状を記したりするのか、と。死刑でないにしても、服役のため、人生の一部を無駄に過ごしてしまった場合、失われた時間を元にもどすことはできないのでは、と。 そういう小説も(浜尾四郎さんとか、高木彬光さんとか)かなり読んだし、あとアメリカの映画っだったか、黒人のボクサーの人が冤罪で、それを学生たちが晴らそうとする話も…あったような。 …と思うのですが、犯罪抑止力として、とりかえしのつかない罪を犯した場合の「死刑」という刑罰があることは必要なのかとも。私は「終身刑」も日本の法律には必要ではないか、と思いますが、現状としては、死刑を廃止することなく、されどその適用には神の視座、明鏡止水のような心境が要るのでは、と。 呉智英さんが仇討ち刑をしたらどうか、と申されていましたが…それも一計かな、とも。 私は人は死んだら生き返らない、いのちは目的・目標をもって、(たとえ結果として無駄なことをしてしまったとしても)、自分の納得のゆくように使わねばならぬとか(単純に)思います。 芥川龍之介の「白」のように、親友の犬を見捨てて逃げてしまった臆病にはそれ相応の「天罰」も与えられるだろうとも。 とすると、墮胎は(貧困やその人の事情があったとしても)よくはないな、とも思ったりします。とはいえ、予期せぬ妊娠、のような事態は避けるべきでは、とも。 好きとか嫌いとかで暴走してはいけない、思いを告げるのも慎重に…こう記すと、先の横浜ライヴの趣旨とは離れてしまうような気もするのですが…大谷翔平さんのように、人生計画通りに自分の人生を組み立てるのは困難なのでしょうが、ただ「好きだから」という衝動で子供をつくってしまうのも…どうなのかな、と。 できてしまい、出産た子育てをのぞまぬのなら、おろすしかないのでは? このサイトをみているかたで、前原滋子さんの作品を好きなかたがいないのかな、とも。そういう漫画を記されているので。 …たしか、日本にも「里子」のようなものもあって、「とはずがたり」の二条さんは、西園寺実兼さんとの間にできた子供を生まれたと同時に手放して、のちに(親と名乗らぬままに)娘に会ったそうですが、遊女とかではそういうのは不可能だったのかな、と。 そのあたりのことも興味を持ちました。 たとえ気をつけていても、望まれぬ妊娠は起きてしまう。一方で、子供ができなくて困ったり、男をうめ、と強要される家庭もあったりする。こういう矛盾をどうすれないいのか、とか思いました。 「里子制度」、もっと拡充できないものなのかな?…家庭を持てていない私が、こういうことを記すのは、無責任で資格はないのかも、ですが。 (いつも記していることですが)「こどものおもちゃ」の紗南ちゃんも、捨て子だったけれども生まれてきたおかげで、楽しい思いをすることができたのだから。生まれるという「機会」を望むか望まぬかを、その子供自身に尋ねるのは無理なのだけれども、もしも、できたら、とか思います。 以上です。駄文を長々と失礼しました(先に投稿したものを、少しだけ修正しました)。
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ゴー宣ジャーナリストのよっしーさんや、その前のトッキーさんのブログなどについても。
実を言えば、私は死刑制度ほど恐ろしいものはない、という考えです。こういうことを記すと、詮議民主主義に毒されている、生命至上主義におちいっているのかもも知れませぬが、「冤罪」ということが気になります。死んだ人間が無罪と分かった時、国家は降霊術、蘇生術をほどこしててくれるのだろうか、エンマ大王さまに生き返らせてくれ、と書状を記したりするのか、と。死刑でないにしても、服役のため、人生の一部を無駄に過ごしてしまった場合、失われた時間を元にもどすことはできないのでは、と。
そういう小説も(浜尾四郎さんとか、高木彬光さんとか)かなり読んだし、あとアメリカの映画っだったか、黒人のボクサーの人が冤罪で、それを学生たちが晴らそうとする話も…あったような。
…と思うのですが、犯罪抑止力として、とりかえしのつかない罪を犯した場合の「死刑」という刑罰があることは必要なのかとも。私は「終身刑」も日本の法律には必要ではないか、と思いますが、現状としては、死刑を廃止することなく、されどその適用には神の視座、明鏡止水のような心境が要るのでは、と。
呉智英さんが仇討ち刑をしたらどうか、と申されていましたが…それも一計かな、とも。
私は人は死んだら生き返らない、いのちは目的・目標をもって、(たとえ結果として無駄なことをしてしまったとしても)、自分の納得のゆくように使わねばならぬとか(単純に)思います。
芥川龍之介の「白」のように、親友の犬を見捨てて逃げてしまった臆病にはそれ相応の「天罰」も与えられるだろうとも。
とすると、墮胎は(貧困やその人の事情があったとしても)よくはないな、とも思ったりします。とはいえ、予期せぬ妊娠、のような事態は避けるべきでは、とも。
好きとか嫌いとかで暴走してはいけない、思いを告げるのも慎重に…こう記すと、先の横浜ライヴの趣旨とは離れてしまうような気もするのですが…大谷翔平さんのように、人生計画通りに自分の人生を組み立てるのは困難なのでしょうが、ただ「好きだから」という衝動で子供をつくってしまうのも…どうなのかな、と。
できてしまい、出産た子育てをのぞまぬのなら、おろすしかないのでは?
このサイトをみているかたで、前原滋子さんの作品を好きなかたがいないのかな、とも。そういう漫画を記されているので。
…たしか、日本にも「里子」のようなものもあって、「とはずがたり」の二条さんは、西園寺実兼さんとの間にできた子供を生まれたと同時に手放して、のちに(親と名乗らぬままに)娘に会ったそうですが、遊女とかではそういうのは不可能だったのかな、と。
そのあたりのことも興味を持ちました。
たとえ気をつけていても、望まれぬ妊娠は起きてしまう。一方で、子供ができなくて困ったり、男をうめ、と強要される家庭もあったりする。こういう矛盾をどうすれないいのか、とか思いました。
「里子制度」、もっと拡充できないものなのかな?…家庭を持てていない私が、こういうことを記すのは、無責任で資格はないのかも、ですが。
(いつも記していることですが)「こどものおもちゃ」の紗南ちゃんも、捨て子だったけれども生まれてきたおかげで、楽しい思いをすることができたのだから。生まれるという「機会」を望むか望まぬかを、その子供自身に尋ねるのは無理なのだけれども、もしも、できたら、とか思います。
以上です。駄文を長々と失礼しました(先に投稿したものを、少しだけ修正しました)。