サブカルチャーとメインカルチャーですが…。 かつて「超時空要塞マクロス」というSFアニメがありましたが…。 あれを名作とみるか試行錯誤の駄作とみるかは、時代とか歴史によるものなのかな、そして、その中に描かれている文化も、メインなのか、サブなのか、も微妙なものなのではないか、と思うのです。 あの作を嫌っているという意見を(かつて)耳にしたことがあるのですが、「巨人が出てきたり、フォールド航法とかあれだけごたくを並べておいて、いきなり三角関係の恋愛話になり、一気に拍子抜けした」とのことです。私もかつてそれに同意しましたし、今でも主演声優の未熟さ(一人は故人ではあるのですが)や、絵の雑さなどは…あまり評価できないです。 (あと餘談を語ると、ミンメイのいとこのカイフンが嫌いだという意見も聞きました。あんなふうに独善的に、自分の意見が正しいと押しつけるのは間違っている、と。彼の思想は確か「反戦」でした…) あの物語でテーマになっている「歌」に関する(今の)自分の意見ですが、日本にも和歌などの「歌謡」もあったわけですし、大陸や半島などにも「唐楽」「高麗楽」「林邑楽」(ヴェトナムの音楽)などもあり、漢詩とかもあったわけです。ヨーロッパ中世には、吟遊詩人も存在し、アフリカには黒人音楽もあったわけで、音楽は人間に切手切り離せないものなのではありますまいか。 その発展形態として今の歌謡曲とかロック、ソウルミュージックなどもあるのでしょう。 ただ、初代マクロスは、どうもその意欲的なテーマと、恋愛話やら、異星人侵掠や、地球滅亡などの話が今いち、それこそエヴァンゲリオンほどうまく調和しておらず、確かにこれを今見ても…という感じはします。とはいえ、その意欲的なところが、「試行錯誤ながら凄い」という評価にもつながるのでしょう。 その後に制作された劇場版については…私は申し分ないと思いました。「当たり前のラブソング」…名セリフだと感じました。あれをTVでできたら良かったのに、と。 江戸川乱歩氏の評論に「一人の芭蕉の問題」があるのですが、ミステリが文学に昇華するには、松尾芭蕉のよう天才が必要で、漫画などについてもそうなのかも、と思います。 しかし、そんなことはあとになってから分かることで…芭蕉ですら、どこまで意識していたか、というふうに感じます。芭蕉はただ(若くしてなくなったお殿樣の息子から紹介された)「俳諧」を熱心に探求し、その可能性を見つけたかっただけなのかも知れないです。 後世にあれこれ言われるためには、まづは自分がやりたいこと、すべきことを一心不乱にもとめることなのではないかな、と。仕事をするのも、趣味も、日常生活も同じなのかな、とか、。 こんな感じですが、どうでしょうか?(長くなってしまい、すみませんでした…) 今号も既に発行されているので、出遅れではありますが、いちおう投稿いたします。
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サブカルチャーとメインカルチャーですが…。
かつて「超時空要塞マクロス」というSFアニメがありましたが…。
あれを名作とみるか試行錯誤の駄作とみるかは、時代とか歴史によるものなのかな、そして、その中に描かれている文化も、メインなのか、サブなのか、も微妙なものなのではないか、と思うのです。
あの作を嫌っているという意見を(かつて)耳にしたことがあるのですが、「巨人が出てきたり、フォールド航法とかあれだけごたくを並べておいて、いきなり三角関係の恋愛話になり、一気に拍子抜けした」とのことです。私もかつてそれに同意しましたし、今でも主演声優の未熟さ(一人は故人ではあるのですが)や、絵の雑さなどは…あまり評価できないです。
(あと餘談を語ると、ミンメイのいとこのカイフンが嫌いだという意見も聞きました。あんなふうに独善的に、自分の意見が正しいと押しつけるのは間違っている、と。彼の思想は確か「反戦」でした…)
あの物語でテーマになっている「歌」に関する(今の)自分の意見ですが、日本にも和歌などの「歌謡」もあったわけですし、大陸や半島などにも「唐楽」「高麗楽」「林邑楽」(ヴェトナムの音楽)などもあり、漢詩とかもあったわけです。ヨーロッパ中世には、吟遊詩人も存在し、アフリカには黒人音楽もあったわけで、音楽は人間に切手切り離せないものなのではありますまいか。
その発展形態として今の歌謡曲とかロック、ソウルミュージックなどもあるのでしょう。
ただ、初代マクロスは、どうもその意欲的なテーマと、恋愛話やら、異星人侵掠や、地球滅亡などの話が今いち、それこそエヴァンゲリオンほどうまく調和しておらず、確かにこれを今見ても…という感じはします。とはいえ、その意欲的なところが、「試行錯誤ながら凄い」という評価にもつながるのでしょう。
その後に制作された劇場版については…私は申し分ないと思いました。「当たり前のラブソング」…名セリフだと感じました。あれをTVでできたら良かったのに、と。
江戸川乱歩氏の評論に「一人の芭蕉の問題」があるのですが、ミステリが文学に昇華するには、松尾芭蕉のよう天才が必要で、漫画などについてもそうなのかも、と思います。
しかし、そんなことはあとになってから分かることで…芭蕉ですら、どこまで意識していたか、というふうに感じます。芭蕉はただ(若くしてなくなったお殿樣の息子から紹介された)「俳諧」を熱心に探求し、その可能性を見つけたかっただけなのかも知れないです。
後世にあれこれ言われるためには、まづは自分がやりたいこと、すべきことを一心不乱にもとめることなのではないかな、と。仕事をするのも、趣味も、日常生活も同じなのかな、とか、。
こんな感じですが、どうでしょうか?(長くなってしまい、すみませんでした…)
今号も既に発行されているので、出遅れではありますが、いちおう投稿いたします。