よしりんがサブカルを語りその中で『ゴジラ-1.0』を語っているということで興味を持ち、チャンネルに入会しました。 『シン・ゴジラ』のときは、よしりんの評価があまり高くなかったので、今回の『ゴジラ-1.0』は、『シン・ゴジラ』に失望しすぎてよしりんはもうゴジラを見に行かないんじゃないか、と思っていました。今回は『ゴジラ-1.0』の成功を褒めていて、見に行っていただけたのが嬉しくなりコメントを書き込もうと決心しました。 実は僕は『シン・ゴジラ』が大好きで3回ほど映画館に足を運びました。 実はあまり名作とは言えない……海外では成功しないだろうという評論家や映画関係者の評があることも知っています。それでもなんでか好きなんです。自衛隊と怪獣との戦闘をもっとリアルに描いてほしいという欲求が子供の頃からあったのかもしれません。おそらく監督の庵野秀明にもリアルに描きたいという欲求があったんだと思います。 『ゴジラ-1.0』は予告編を見た時は、終戦直後にゴジラがやってきたら、とても戦えない…もう絶望的じゃないか、日本への追い討ちにしかならないじゃないかと思っていました。なので、どんな話になるのか想像もつかなかったです。 映画を見ている時は、冒頭でゴジラと戦えなかった主人公と、それゆえにゴジラへの特攻に一直線になる主人公にハラハラとしながら見ていました、主人公は特攻するのか特攻はさせないでくれよ…と思いながら見ていました。 アメリカが出てこなくても、街が崩壊しても、民間人しかいなくてもまだ戦えるんだというメッセージは勇気をもらいました。 宮崎駿の『君たちはどう生きるか』は僕には難しくて、うまくメッセージを受け取れていませんでした。 僕は、「俺の仕事は引き継がなくていい、俺から何か受け取ったら、君たちは自分のために(または自分の信念で?) 生きてほしいというメッセージがあるのかなと思いました。 僕が鈍感なのかもしれませんが、宮崎駿はこれまでインタビュー等で反戦平和のメッセージは出してきましたが、 宮崎駿のこれまでの映画そのものにはあまり反戦のメッセージは感じていませんでした。(未来少年コナンまで遡るとわからないです) 火垂るの墓にしても(これは高畑勲の作品ですが)、反戦平和主義のメッセージより、制作者側の俺たちが経験したことを描かなければならない、という意思の方を強く感じます。 まだ、「サブカルしか勝たん」「日本にはまだサブカルが残っている!」というのは勇気をもらえます。 日本のサブカルが今日世界で評価されるようになったのは先人たちの積み上げがあったからだと思います。 多くの名作、平凡な作品やマニアックな作品、そして数多く埋もれていった駄作の積み上げで今の日本のサブカルがあると思います。 今の日本人の、創作をしたいという人の数の多さは世界史的に特異だと思います。 そして、現代日本にかなりの表現の自由があり、表現の自由を許容する風土があるから日本のサブカルが世界的に売れているのだと思いました。これは戦後日本の良いところだと思います。 もっと労働環境や外国人への待遇を整備すれば、日本がポリコレ避難所のようになり欧米からも創作者を呼び込めるようになるかもしれません。ポリコレに不満を持つ創作者は海外にもたくさんいると予感しています。 もし日本でこれからも多くの作品が生まれれば、それは数百年にわたって日本の財産になると思います!
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よしりんがサブカルを語りその中で『ゴジラ-1.0』を語っているということで興味を持ち、チャンネルに入会しました。
『シン・ゴジラ』のときは、よしりんの評価があまり高くなかったので、今回の『ゴジラ-1.0』は、『シン・ゴジラ』に失望しすぎてよしりんはもうゴジラを見に行かないんじゃないか、と思っていました。今回は『ゴジラ-1.0』の成功を褒めていて、見に行っていただけたのが嬉しくなりコメントを書き込もうと決心しました。
実は僕は『シン・ゴジラ』が大好きで3回ほど映画館に足を運びました。
実はあまり名作とは言えない……海外では成功しないだろうという評論家や映画関係者の評があることも知っています。それでもなんでか好きなんです。自衛隊と怪獣との戦闘をもっとリアルに描いてほしいという欲求が子供の頃からあったのかもしれません。おそらく監督の庵野秀明にもリアルに描きたいという欲求があったんだと思います。
『ゴジラ-1.0』は予告編を見た時は、終戦直後にゴジラがやってきたら、とても戦えない…もう絶望的じゃないか、日本への追い討ちにしかならないじゃないかと思っていました。なので、どんな話になるのか想像もつかなかったです。
映画を見ている時は、冒頭でゴジラと戦えなかった主人公と、それゆえにゴジラへの特攻に一直線になる主人公にハラハラとしながら見ていました、主人公は特攻するのか特攻はさせないでくれよ…と思いながら見ていました。
アメリカが出てこなくても、街が崩壊しても、民間人しかいなくてもまだ戦えるんだというメッセージは勇気をもらいました。
宮崎駿の『君たちはどう生きるか』は僕には難しくて、うまくメッセージを受け取れていませんでした。
僕は、「俺の仕事は引き継がなくていい、俺から何か受け取ったら、君たちは自分のために(または自分の信念で?)
生きてほしいというメッセージがあるのかなと思いました。
僕が鈍感なのかもしれませんが、宮崎駿はこれまでインタビュー等で反戦平和のメッセージは出してきましたが、
宮崎駿のこれまでの映画そのものにはあまり反戦のメッセージは感じていませんでした。(未来少年コナンまで遡るとわからないです)
火垂るの墓にしても(これは高畑勲の作品ですが)、反戦平和主義のメッセージより、制作者側の俺たちが経験したことを描かなければならない、という意思の方を強く感じます。
まだ、「サブカルしか勝たん」「日本にはまだサブカルが残っている!」というのは勇気をもらえます。
日本のサブカルが今日世界で評価されるようになったのは先人たちの積み上げがあったからだと思います。
多くの名作、平凡な作品やマニアックな作品、そして数多く埋もれていった駄作の積み上げで今の日本のサブカルがあると思います。
今の日本人の、創作をしたいという人の数の多さは世界史的に特異だと思います。
そして、現代日本にかなりの表現の自由があり、表現の自由を許容する風土があるから日本のサブカルが世界的に売れているのだと思いました。これは戦後日本の良いところだと思います。
もっと労働環境や外国人への待遇を整備すれば、日本がポリコレ避難所のようになり欧米からも創作者を呼び込めるようになるかもしれません。ポリコレに不満を持つ創作者は海外にもたくさんいると予感しています。
もし日本でこれからも多くの作品が生まれれば、それは数百年にわたって日本の財産になると思います!