anamochi のコメント

知識マウントだと誤解を生みそうなのでやはりきちんと書きます

これまでと今回でよしりん先生が何度かゴジラ絡みの感想を書いていたのを見て
「怪獣映画あるいは怪獣特撮ものヒーローものは(これらに限らず、そしてそれがリアルタイム作品であってもなくても)本来見るべき時=幼少年期に娯楽の一つとして楽しむことでしか、その世界やジャンルを純粋に楽しむことのできる「目」を養うことはできない」と感じたのです

その過程を持たない人が大人になってから履修のように「勉強」してしまうと、意味のない理屈が先に来てしまったり、古いシリーズから律儀に順番に見てしまうことでめんどくさい古参オタクと同じ感覚を持ってしまう

リアルタイム世代の古参オタクなら「人生の中で出会った「本物」が時代とともに自分の知らない「偽物」になっていく」という感覚に陥ってしまうのはある程度仕方のないことですが、
その後の時代に生まれた人、シリーズやジャンルに興味関心を持った人ならば、そんなしがらみに捕らわれず、全作品をフラットに楽しめる目を持てる場所にいるはずで、

その目線さえ持っていれば『怪獣総進撃』に対して「恐怖と破壊の象徴であるべきはずの怪獣が人間に飼いならされてるなんてけしからん」などと思うはずが無く、
「怪獣オールスターだ、すげえ!」と純粋に喜べるし、ちょっと理屈っぽく考えて「怪獣島は人類が科学の粋を尽くして怪獣様に住んでいただいてる場所なんだな、やっぱ怪獣ってすげえ!」となるのでは?
「恐怖や破壊は怪獣の原点かもしれないが、それは同時に怪獣という雄大な存在の魅力の一端に過ぎない」とすんなり理解できるのでは?と実体験を元に考えるに至ったのです

前述通り、この感覚はリアルタイム世代よりも後からフラットに見られる世代の方が素直に獲得しやすい能力だったはずです
勉強目的で見てしまったことでそれを得る場面を逃してしまったのなら、それはとても勿体ないことです

ここから今回の感想ですが
(これがある意味解釈論ですが)ゴジラが海外に持って行かれていた時代などありません
ギャレス以後のハリウッドゴジラはあくまでも本家の空白期間に作られた海外番外編であって本編ではないからです
もしこれが「持って行かれた」なら1978年に東映版が作られスパイダーマンも、(実写作品に限れば)2002年にサム・ライミ版が作られるまで日本に「持って行かれてた」ことになっちゃいますよね

『シン・ゴジラ』は東日本大震災を挟んで12年という、それまでの歴史上存在しなかった異常な長さの「ゴジラ怪獣不在の時代」の後に現れたものです
ゴジラや怪獣を知らない(まさに「目」を持たない)人々、震災を経験した今の日本人向けに徹底的に研ぎ澄ませた作品にする必要があった

結果として海外の一般観客にはややとっつきにくい印象の作品になったわけですが、だからこそああいった「机の上に置く書類の位置まで拘った」リアリティに徹した作品として興行収入も動員数も大ヒットを飛ばすに至れたわけです

安全保障のダメさの後にきちんとダメでなくなっていく希望も描くのはいけないことでしょうか?
それがあったからこそウンザリせずに見れたわけだし、それさえも否定するなら残念ながら娯楽というものの観客からは卒業するしかなくなってしまいます
もったいないですよ、そんなケチな感覚で映画を、特に怪獣映画を測っては

ヘンな虫けらみたいなものから始まるといけないという感覚もこちらにはないものです
モスラやヘドラは作中で何度も変化するし、ゴジラが元になる恐竜の姿で現れる作品も『-1』どころか『シン』の時点で過去に存在しています
過程がどうであれ最終的に二足歩行恐竜型になったのだからそれでよいのでは?

丁寧に言葉を重ねたつもりですが、いかがでしょうか
こうした見え方の違いも「悪い所があると全部ダメに見えてしまう」と「良い所があれば他の箇所が悪い所にさえ見えなくなる」という採点方法の違いなだけかもしれませんが

先の感想もこの一文も怪獣特撮という大切なものに関連した話題で「勿体ない物の見方をしてるなあ」と思ったのと「ゴー宣ライジングだからこそ感じたことをその回のコメント欄で素直にで書くべきだ」と考え書かせていただきました(他の場所で書いたらそれこそ陰口扱いされかねない
自分の経験と感覚から出たものであって決して知識マウントではないこと、そもそも自分はいわゆる「オタク」でないことをご理解ください

No.36 11ヶ月前

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