みなぼんさんのブログを読みました。 元の記事を読む限り、 > じつは、その「ほかの何人もの被験者」は、みな「サクラ」なのである。かれらは、ときどき、全員そろって、あきらかに間違った答えを言う。そのとき、ほんとうの被験者はどう答えるか? ──それを観察するのである。 という文に思わずずっこけそうになりました。 時々全員揃って明らかに間違った答えを言う、ってそれ自体が同調圧力じゃん、と思いましたが、まあそれは置いといて、「同調圧力」を調べるのに、「実験」という手段は果たして適切かどうか、まずそこから疑問が湧きました。 “サクラの被験者“は、実験を成功に導く使命を与えられている以上、世間の常識と乖離した行為をするという“意識“が働いてしまうのではないでしょうか。 他方、“本物の被験者“は(実験者から事前あるいは事後に承諾を受けているかの別なく)サクラの被験者を見て怪しいという“直感“が働いてしまうのではないでしょうか。 同調圧力ってそもそも、「怪しい」と直感で感じていても、「場の空気」に逆らえないからこその同調圧力ではないでしょうか。 同調圧力というのは、実験では分析できるものではないと私は思います。そんなことをしても本物の被験者の「怪しい空気には逆らえばいい」感を満たすだけだと私は思うのです。だからこんな結果が出るのではないでしょうか。安心安全のもとで優等生並みの答えが出るような実験に果たして意味があるんだろうか?
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小林よしのりチャンネル
(ID:125042837)
みなぼんさんのブログを読みました。
元の記事を読む限り、
> じつは、その「ほかの何人もの被験者」は、みな「サクラ」なのである。かれらは、ときどき、全員そろって、あきらかに間違った答えを言う。そのとき、ほんとうの被験者はどう答えるか? ──それを観察するのである。
という文に思わずずっこけそうになりました。
時々全員揃って明らかに間違った答えを言う、ってそれ自体が同調圧力じゃん、と思いましたが、まあそれは置いといて、「同調圧力」を調べるのに、「実験」という手段は果たして適切かどうか、まずそこから疑問が湧きました。
“サクラの被験者“は、実験を成功に導く使命を与えられている以上、世間の常識と乖離した行為をするという“意識“が働いてしまうのではないでしょうか。
他方、“本物の被験者“は(実験者から事前あるいは事後に承諾を受けているかの別なく)サクラの被験者を見て怪しいという“直感“が働いてしまうのではないでしょうか。
同調圧力ってそもそも、「怪しい」と直感で感じていても、「場の空気」に逆らえないからこその同調圧力ではないでしょうか。
同調圧力というのは、実験では分析できるものではないと私は思います。そんなことをしても本物の被験者の「怪しい空気には逆らえばいい」感を満たすだけだと私は思うのです。だからこんな結果が出るのではないでしょうか。安心安全のもとで優等生並みの答えが出るような実験に果たして意味があるんだろうか?