たけまる のコメント

現場を知る、自分で物事を考える庶民の皆様方のブログ、非常に楽しみに読ませていただいております。
弁護士のゴーさんのブログで、宝塚の劇団員が「労働者」とみなされるとどうなるだろう、と書かれていましたが、この件については私も新聞記事で読んで気になっていました。
記事によると、原告代理人の主張は、在籍6年以上の劇団員は個人事業主として歌劇団と業務委託契約を結んでいるが、契約の文言に拘束力の強い文言が多く、これは実質的な労働契約であり、歌劇団の安全配慮義務違反に当たる、とのこと。
そこで言及されていた「拘束力の強い文言」というのが、「自己鍛錬により、技能の向上や容姿の管理に精進しなければならない」「決められた日程の稽古に参加し、演出者の指示に従わなければならない」といったもので、劇団員ならば守って当然の事なのではないか?と感じるのですが、どうなのでしょうね。
これで「拘束力が強い」となれば、その他の個人事業主、俳優や芸人、小説家、漫画家、プロアスリート、棋士等はどうなるのでしょう。
下手に明文化されているから問題となった、不文律や口約束ならば個人事業主としての裁量がきくから問題ない、ということになるのでしょうか。
どうも代理人の訴えはこじつけのように見え、下手をすると遺族の方々が炎上しかねない事案ではないかとも思います。
ちょうど今、住吉雅美『あぶない法哲学』(講談社現代新書)を読んでおり、法の存在意義や遵法義務について考えていた所だったので、キャンセルカルチャー問題と並行して強い関心を抱きました。
ただ、記事の内容に関しては、芸能界の労働問題に詳しい弁護士のコメントと、一年で退団した元歌劇団員へのインタビューが大半を占めており、読み手が客観的に事態を判断するための材料に乏しいと感じました。
よしりん先生がブログで「見事」と評価されていた、歌劇団側の会見の応答(「証拠を見せて下さい」等)には触れず、「管理責任を感じる」「契約内容については専門家と相談する」という回答のみを紹介することで、「事なかれ主義の歌劇団」という印象を強調しているようにも感じました。
やはりマスコミの報道というものは、表層的な情報やデータだけをかいつまみ、「結論ありき」の分かりやすい「物語」を語るだけのものに堕落してしまうものなのでしょうかね。
ただ、たとえ「物語」の作り手であっても、漫画家の荒木飛呂彦氏のように、作中の自分の間違いを認めて素直に謝る、という誠意の持ち主はいくらでもおられると思うのですが、間違いすら認めない(そもそも過去を省みない)マスコミの厄介さを痛感します。
ちなみに、ちょっとマスコミと距離を置きたいと感じたので、新聞購読を停止することにしました。
Webでニュース項目だけ閲覧し、関心ある項目は専門誌や書籍を元に狭く深く自分で考察を進めつつ、「ゴー宣」で自分の思考にブレがないかのチェックを怠らない、というスタイルの方が、よほど有意義なのかな、と。
今のマスコミにとっての太客である団塊世代がごっそりと抜け、私達団塊ジュニア世代の大半からもそっぽを向かれた時、果たして彼らは正気を取り戻すのでしょうか。
いや、そもそも日本のマスコミに、正気というものが存在していたのかどうかが怪しいですが。

No.82 10ヶ月前

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