少し気を取り直して、別のことを記します。 本日の三味線さんの「ゴー宣ジャーナリスト」。国際男性デー…世界には、色々な記念日があるんですね。 私は沢田研二の「サムライ」が好きですが、「花園で眠れる時」があるにしても、男は孤独であり、人間はほかの個人に生まれ変わることはできないので(斟酌することはできるにしても)、基本的に孤独なのだ、と思います。しかし、それでは生活ができないので、道徳や法律を決め、社会を築くのでしょう。 集団ができてしまうと、その中の個の違い、すなわち個性とか性格の問題は二の次になり、どうやって共同体を維持し、明日の食い扶持を維持してゆくかが優先され、全体としての幸福のために、末端の個の心の問題がないがしろになる場合も多く、そこからストレスとかが生まれるのかな、とか(たった今)思いました…。 しかし、だとしても、「自分を完全に分かって欲しい」「人と人が何か心で100%理解し合えれば、世の中は良くなる」というのは幻想だ、と私は思います。分からないものは分からない、自分にしか通じないものもあっても良いのでは、でないと、逆に個を維持できないのでは、と言う気がします。私もガンダムみたいなニュータイプとか、あるいはテレパシーのようなものがあれば、誤解されることなく、誰もが幸せになれる、と思ったりもしたのですが、(こういう言い方をすると語弊があり、また差別につながるのでしょうが)人には「性格」・「人格」のほかに、「能力差」や「理解度」などもあり、それを無理に均一化する必要があるのだろうか、無理矢理それをしてしまったら、その人にとっての「苦痛」とか「悲劇」になってしまうのでは、とも。 勿論、レイプとかがいけない、とか、人殺しは良くない、窃盗も、といった社会の共通認識が必要ですが。ただ、「金科玉条」のように、ルールをそのまま適用しようとか、その法規が生まれた原因とか背景とか精神とか、縦の軸を忘れてしまうのも違うのでは、と。 いろいろ(くだらないことを)記しましたが、要は基本的には「真剣」でいても、「真面目」過ぎてはいけないのでは、頭で考え、時に応じてどうすればいいか、ではないか、とか思います。そうすれば(嫌なこともあるけれども)酒で憂さを晴らすとか、極限を越えて飮酒するとか、ほどほどに、人との理解も完全でなくてもいい、とか思え、ストレスもなくなるのでは…と申してみましたが…。別にどうでもいいのかな? 私にとっては「閑吟集」という日本の古典歌集の「なにせうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ」という言葉が理想です。飮酒は…習慣としてもないです。コーヒーは一杯飲みますが(だったら、変わりはない、かな?) ガンダムの歌ですら、アムロに「男は涙を見せぬもの、みせぬもの、ただあしたへと あしたへと 永遠に」と歌ってもいるのだから、人はニュータイプではあり得ないのでは、と。 ukiさんの記事について 同じような中身が、「動物のお医者さん」という漫画にもあったような…、 別にからかったりしているのではなく、研究をするにもお金や人脈が肝腎だ、ということなのでは。 その漫画には、大学院での研究に関連した就職をしたけれども、結局合わなくて、院にもどってきた学生の話、なんてのがありましたが。人間関係のストレスって、研究や学問だけしていればいい、という立場にとってはストレスであることに変わりはない、と(さっきの三味線さんへのコメントとはかなり内容が真逆ですが)。要は社会を維持すべく、明日の生活を守るために集団の利益を求めるのが目的になり、個の真理追求の思いは無視される場合が、この世間では殆どなのでは。 昔の偉人では、ニュートンも同じようなことをしていたような話を。エジソンとかも。 それでも、その利益欲望との折り合い、戦いを繰り返しながら、一歩でも研究を前にすすめ、世の中をよりよくしてゆく使命があるのでは、とも思います。 TVのアニメーションとかドラマなども、視聴率が悪かったり、製品がうれなかったりすると、打ち切りがあるのだから。本当に利益無視の社会になると、独裁制とか共産制とかになってしまうので、にせの「権威」などに流されず、頑張ってゆくのがベスト…なのかな? 以上、何となく記してみました。ではでは。 後で、ライジング感想も。
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少し気を取り直して、別のことを記します。
本日の三味線さんの「ゴー宣ジャーナリスト」。国際男性デー…世界には、色々な記念日があるんですね。
私は沢田研二の「サムライ」が好きですが、「花園で眠れる時」があるにしても、男は孤独であり、人間はほかの個人に生まれ変わることはできないので(斟酌することはできるにしても)、基本的に孤独なのだ、と思います。しかし、それでは生活ができないので、道徳や法律を決め、社会を築くのでしょう。
集団ができてしまうと、その中の個の違い、すなわち個性とか性格の問題は二の次になり、どうやって共同体を維持し、明日の食い扶持を維持してゆくかが優先され、全体としての幸福のために、末端の個の心の問題がないがしろになる場合も多く、そこからストレスとかが生まれるのかな、とか(たった今)思いました…。
しかし、だとしても、「自分を完全に分かって欲しい」「人と人が何か心で100%理解し合えれば、世の中は良くなる」というのは幻想だ、と私は思います。分からないものは分からない、自分にしか通じないものもあっても良いのでは、でないと、逆に個を維持できないのでは、と言う気がします。私もガンダムみたいなニュータイプとか、あるいはテレパシーのようなものがあれば、誤解されることなく、誰もが幸せになれる、と思ったりもしたのですが、(こういう言い方をすると語弊があり、また差別につながるのでしょうが)人には「性格」・「人格」のほかに、「能力差」や「理解度」などもあり、それを無理に均一化する必要があるのだろうか、無理矢理それをしてしまったら、その人にとっての「苦痛」とか「悲劇」になってしまうのでは、とも。
勿論、レイプとかがいけない、とか、人殺しは良くない、窃盗も、といった社会の共通認識が必要ですが。ただ、「金科玉条」のように、ルールをそのまま適用しようとか、その法規が生まれた原因とか背景とか精神とか、縦の軸を忘れてしまうのも違うのでは、と。
いろいろ(くだらないことを)記しましたが、要は基本的には「真剣」でいても、「真面目」過ぎてはいけないのでは、頭で考え、時に応じてどうすればいいか、ではないか、とか思います。そうすれば(嫌なこともあるけれども)酒で憂さを晴らすとか、極限を越えて飮酒するとか、ほどほどに、人との理解も完全でなくてもいい、とか思え、ストレスもなくなるのでは…と申してみましたが…。別にどうでもいいのかな?
私にとっては「閑吟集」という日本の古典歌集の「なにせうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ」という言葉が理想です。飮酒は…習慣としてもないです。コーヒーは一杯飲みますが(だったら、変わりはない、かな?)
ガンダムの歌ですら、アムロに「男は涙を見せぬもの、みせぬもの、ただあしたへと あしたへと 永遠に」と歌ってもいるのだから、人はニュータイプではあり得ないのでは、と。
ukiさんの記事について
同じような中身が、「動物のお医者さん」という漫画にもあったような…、
別にからかったりしているのではなく、研究をするにもお金や人脈が肝腎だ、ということなのでは。
その漫画には、大学院での研究に関連した就職をしたけれども、結局合わなくて、院にもどってきた学生の話、なんてのがありましたが。人間関係のストレスって、研究や学問だけしていればいい、という立場にとってはストレスであることに変わりはない、と(さっきの三味線さんへのコメントとはかなり内容が真逆ですが)。要は社会を維持すべく、明日の生活を守るために集団の利益を求めるのが目的になり、個の真理追求の思いは無視される場合が、この世間では殆どなのでは。
昔の偉人では、ニュートンも同じようなことをしていたような話を。エジソンとかも。
それでも、その利益欲望との折り合い、戦いを繰り返しながら、一歩でも研究を前にすすめ、世の中をよりよくしてゆく使命があるのでは、とも思います。
TVのアニメーションとかドラマなども、視聴率が悪かったり、製品がうれなかったりすると、打ち切りがあるのだから。本当に利益無視の社会になると、独裁制とか共産制とかになってしまうので、にせの「権威」などに流されず、頑張ってゆくのがベスト…なのかな?
以上、何となく記してみました。ではでは。
後で、ライジング感想も。