人権VS文化・・・ 人権とは、生まれながらすべての人間に平等に与えられた権力・・なわけねーだろと。サンタクロースモ…((*`Ψ´))…マアイイヤ… 人権は国家が保障することで初めて享受できるもの。 即ち、国家に保障する気がなければ、差別・虐殺・奴隷扱いの対象にもされてしまうと。 ロシアに制圧されたウクライナの4州では、ウクライナ人たちのウクライナ人としての人権など認められず、自由選挙権も奪われてロシアに併合させられた。 ロシアのためのコンサート出演を断った指揮者は、問答無用で射殺された。 また、終戦間際のロシアの対日参戦によって、日本による統治能力を失った満州・樺太・朝鮮半島では、日本人の人権など完全に踏みにじられ、惨たらしい無法地帯・無秩序地帯と化した。 だから、自分たちの人権を守るために、必要とあらば国家のために死ななければならないと。 国家から人権を享受するなら、それが必須条件だと。 つまり、「国家」の価値は、「人権」の上に立つものいうことになるかと。 ウクライナは、まさにそのために大国ロシア相手に血を流して戦っている。 ウクライナのウクライナ国家によるウクライナ国民の人権をロシアから取り戻すために。 ロシアとウクライナ、どっちもどっちなどという者は、人権を語る資格などないのだと。 国家は、国民の人権を保障するために法秩序を整える。 そのためには、その国民が納得できるよう、国民の「アイデンティティ」を侵害してはならない。 それが社会の「公感覚」となり、「法」に説得力を持たせる力となるかと。 アイデンティティ、即ちその国特有の「文化」。 つまり、「国家」は「文化」に仕えるべき、「文化」は「国家」の上位の価値と言えるかと。 だから、国家がその文化・公感覚を守るのを放棄するなら、国民は「公民」となって国家を糺さなければならないかと。 以上から、人権VS国家なら、国家の勝ち 国家VS文化なら、文化の勝ちとなり、 そして、人権VS文化なら、文化の勝ちということが論理的に証明された・・・と、そんな単純な話にはならないのが、 生まれた時から人権が認められず、鬱にならない皇族などいないという「皇室」「天皇制」。 佳子さまのあの明るい笑顔の裏の苦悩に気づかなかった、否、想像力を働かせようともしなかったこの不甲斐ない私めが申し上げるのもなんですが、 佳子さまが眞子さま同様皇室お離れになっても、それは確かにやむを得ないこと、誰も引き留めることなんてできないでしょう。 せめて、眞子さまの時のように、親からも祝福してもらえない、ハイエナのごとく舌なめずりしているマスコミに狙われ続けるような、 そんなことは繰り返されないことを! しかし、「人権!人権!人権~~ッッ!」と声高に唱える者たちは、人権は生まれながらにして天から無条件で与えられたものだなどと考えている阿呆どもは、 その「人権」というものについて、どこまでの思想があるものなのか? その天から、生まれながらにして人権を剥奪されていることになる天皇・皇族の方々については、どう考えて皇室バッシングをして飯を食っているのか?アメリカセイノジンケンハ オイシイデシュカ?(σ°皿°)σチュウトハンバーガー! 文化と人権なら、文化を取るべき。 けれども、誰かの人権を犠牲にするのを必要とするような野蛮な文化は、 果たして人権の上に立つべきなのか? 坂口安吾の述べた通り、いっぺん天皇制を止めてみたりでもしなければ、 日本人にとって、皇室・天皇制の有り難み、必要性は、もはや分からなくなってしまっているのか? 天皇・皇室という、日本人の最重要なアイデンティティを放棄したら、 ハマス、或いは中国韓国北朝鮮ロシアのような排他的敵対的ナショナリズムが、日本人のアイデンティティとなってしまうのか? ちょっと早いですが、12月の「ゴー宣道場」、 皇室と人権についての議論ということですが、 果たして果たして???
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(ID:42936071)
人権VS文化・・・
人権とは、生まれながらすべての人間に平等に与えられた権力・・なわけねーだろと。サンタクロースモ…((*`Ψ´))…マアイイヤ…
人権は国家が保障することで初めて享受できるもの。
即ち、国家に保障する気がなければ、差別・虐殺・奴隷扱いの対象にもされてしまうと。
ロシアに制圧されたウクライナの4州では、ウクライナ人たちのウクライナ人としての人権など認められず、自由選挙権も奪われてロシアに併合させられた。
ロシアのためのコンサート出演を断った指揮者は、問答無用で射殺された。
また、終戦間際のロシアの対日参戦によって、日本による統治能力を失った満州・樺太・朝鮮半島では、日本人の人権など完全に踏みにじられ、惨たらしい無法地帯・無秩序地帯と化した。
だから、自分たちの人権を守るために、必要とあらば国家のために死ななければならないと。
国家から人権を享受するなら、それが必須条件だと。
つまり、「国家」の価値は、「人権」の上に立つものいうことになるかと。
ウクライナは、まさにそのために大国ロシア相手に血を流して戦っている。
ウクライナのウクライナ国家によるウクライナ国民の人権をロシアから取り戻すために。
ロシアとウクライナ、どっちもどっちなどという者は、人権を語る資格などないのだと。
国家は、国民の人権を保障するために法秩序を整える。
そのためには、その国民が納得できるよう、国民の「アイデンティティ」を侵害してはならない。
それが社会の「公感覚」となり、「法」に説得力を持たせる力となるかと。
アイデンティティ、即ちその国特有の「文化」。
つまり、「国家」は「文化」に仕えるべき、「文化」は「国家」の上位の価値と言えるかと。
だから、国家がその文化・公感覚を守るのを放棄するなら、国民は「公民」となって国家を糺さなければならないかと。
以上から、人権VS国家なら、国家の勝ち
国家VS文化なら、文化の勝ちとなり、
そして、人権VS文化なら、文化の勝ちということが論理的に証明された・・・と、そんな単純な話にはならないのが、
生まれた時から人権が認められず、鬱にならない皇族などいないという「皇室」「天皇制」。
佳子さまのあの明るい笑顔の裏の苦悩に気づかなかった、否、想像力を働かせようともしなかったこの不甲斐ない私めが申し上げるのもなんですが、
佳子さまが眞子さま同様皇室お離れになっても、それは確かにやむを得ないこと、誰も引き留めることなんてできないでしょう。
せめて、眞子さまの時のように、親からも祝福してもらえない、ハイエナのごとく舌なめずりしているマスコミに狙われ続けるような、
そんなことは繰り返されないことを!
しかし、「人権!人権!人権~~ッッ!」と声高に唱える者たちは、人権は生まれながらにして天から無条件で与えられたものだなどと考えている阿呆どもは、
その「人権」というものについて、どこまでの思想があるものなのか?
その天から、生まれながらにして人権を剥奪されていることになる天皇・皇族の方々については、どう考えて皇室バッシングをして飯を食っているのか?アメリカセイノジンケンハ オイシイデシュカ?(σ°皿°)σチュウトハンバーガー!
文化と人権なら、文化を取るべき。
けれども、誰かの人権を犠牲にするのを必要とするような野蛮な文化は、
果たして人権の上に立つべきなのか?
坂口安吾の述べた通り、いっぺん天皇制を止めてみたりでもしなければ、
日本人にとって、皇室・天皇制の有り難み、必要性は、もはや分からなくなってしまっているのか?
天皇・皇室という、日本人の最重要なアイデンティティを放棄したら、
ハマス、或いは中国韓国北朝鮮ロシアのような排他的敵対的ナショナリズムが、日本人のアイデンティティとなってしまうのか?
ちょっと早いですが、12月の「ゴー宣道場」、
皇室と人権についての議論ということですが、
果たして果たして???