「二十世紀鉄仮面」(にじっせいきてっかめん)+「うたわれるもの 二人の白皇(ハクオロ)」…。かなり苦しいな。 ちなみに、浦沢直樹先生の漫画も「にじっせいきしょうねん」ですよね? 今号も配信、有難うございました。 ホリプロや渡辺プロだって、同じようなことをしていたんじゃないのか、と。 民事は双方に辯護士がつき、刑事は検察官と辯護士となる、と四谷大塚の小学生向けのテキストでも見たことがあります。以前、塾講師をしていた時に、拝読したわけですが。 その所以は、個人対個人、国家による裁定の違いであるわけですよね。 アメリカは訴訟社会である理由は、個の存在が強いから、個の権利を守らねばならぬからであり、日本は「個」よりも争いのない「和」を求めるから、民事訴訟は「示談による和解」で解決することになる。ある意味、良い側面でもあるのだけれども…。「和」の精神がもたらす、長所と弊害を見ているように思いました。 やはり、「法の支配」は必要なのですね。法の前提があって、初めて大岡裁きや遠山の金さんのような存在が現れる。 「パール判事論」で、「パールさんが桜吹雪を見せるようなことをするわけではない」ということが描かれていたのを思い出しました。あれと、よく似ていますね。 トップである藤島ジュリーさんが、叔父であるジャニーや母であるメリーを誹謗しているのだから、仕方ないのか。 ショック療法で、日本人を法治主義にすることはできぬものでしょうか?徳川綱吉が、「生類憐れみの令」で犬を大事にすることにより、(戦国の遺風である)殺生全般をタブーとするような「意識改革」をしたように。 そのあたりの話も、大阪で伺ってみたいように思います。 もくれんさんの方ですが、百田氏も(かつての師範である)有本女史も、滑稽だな、と。あの人はチベット解放のことだけしていればいいのに。 何だか、コロナ脳を正そうと、大同團結を呼びかけ、参政党にまで参加し、男系主義や陰謀論を唱えるようになった「あるかた」と似ているような気がします。 人間に多々あるように、国によって、日本の行為の受けとられ方、解釈が異なるのは仕方がないことでしょう。 中国にも汪兆銘さんがいたわけだし、インドのチャンドラボースさんのこともあるわけで、 しかし、それで「自分はだめな、無能で、愚かな役立たずで害悪だ」と思い込んでしまうのは間違いなわけで(何だか自分のことみたいですが(笑))、いい面と悪い面を冷静に、客観的にみるようにするのが肝腎。グリム童話で、ひとうちで七匹の蠅を殺した仕立屋さんみたいな「過信」も、時には必要かな、と。 「過ぎたるは及ばざるがごとし」でもありますが。 とりあえず、こんなところです。 現代日本において、お月見って、本当に盛り上がらないイヴェントですね。マクドナルドの月見バーガー、もうちょっと頑張って欲しいかな?
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「二十世紀鉄仮面」(にじっせいきてっかめん)+「うたわれるもの 二人の白皇(ハクオロ)」…。かなり苦しいな。
ちなみに、浦沢直樹先生の漫画も「にじっせいきしょうねん」ですよね?
今号も配信、有難うございました。
ホリプロや渡辺プロだって、同じようなことをしていたんじゃないのか、と。
民事は双方に辯護士がつき、刑事は検察官と辯護士となる、と四谷大塚の小学生向けのテキストでも見たことがあります。以前、塾講師をしていた時に、拝読したわけですが。
その所以は、個人対個人、国家による裁定の違いであるわけですよね。
アメリカは訴訟社会である理由は、個の存在が強いから、個の権利を守らねばならぬからであり、日本は「個」よりも争いのない「和」を求めるから、民事訴訟は「示談による和解」で解決することになる。ある意味、良い側面でもあるのだけれども…。「和」の精神がもたらす、長所と弊害を見ているように思いました。
やはり、「法の支配」は必要なのですね。法の前提があって、初めて大岡裁きや遠山の金さんのような存在が現れる。
「パール判事論」で、「パールさんが桜吹雪を見せるようなことをするわけではない」ということが描かれていたのを思い出しました。あれと、よく似ていますね。
トップである藤島ジュリーさんが、叔父であるジャニーや母であるメリーを誹謗しているのだから、仕方ないのか。
ショック療法で、日本人を法治主義にすることはできぬものでしょうか?徳川綱吉が、「生類憐れみの令」で犬を大事にすることにより、(戦国の遺風である)殺生全般をタブーとするような「意識改革」をしたように。
そのあたりの話も、大阪で伺ってみたいように思います。
もくれんさんの方ですが、百田氏も(かつての師範である)有本女史も、滑稽だな、と。あの人はチベット解放のことだけしていればいいのに。
何だか、コロナ脳を正そうと、大同團結を呼びかけ、参政党にまで参加し、男系主義や陰謀論を唱えるようになった「あるかた」と似ているような気がします。
人間に多々あるように、国によって、日本の行為の受けとられ方、解釈が異なるのは仕方がないことでしょう。
中国にも汪兆銘さんがいたわけだし、インドのチャンドラボースさんのこともあるわけで、
しかし、それで「自分はだめな、無能で、愚かな役立たずで害悪だ」と思い込んでしまうのは間違いなわけで(何だか自分のことみたいですが(笑))、いい面と悪い面を冷静に、客観的にみるようにするのが肝腎。グリム童話で、ひとうちで七匹の蠅を殺した仕立屋さんみたいな「過信」も、時には必要かな、と。
「過ぎたるは及ばざるがごとし」でもありますが。
とりあえず、こんなところです。
現代日本において、お月見って、本当に盛り上がらないイヴェントですね。マクドナルドの月見バーガー、もうちょっと頑張って欲しいかな?