さらうどん のコメント

「恋愛論」を読んで、今週のライジングを読んで、そしてりゅうちぇる氏の自殺のニュースを知って思うことは、
LGBTの問題を考えると、やっぱり男尊女卑の話にも繋がっていって、
そこは愛子さまが皇太子に現在なれない問題とも、皇后陛下が適応障害になってしまわれた件とも根が繋がっているなと思います。

自分が九州で生まれ育ったということだけではないかもしれませんが、
自分の中にも無意識・無自覚の男尊女卑の意識がどうしてもあって、
それが無自覚に表に出てしまって、後から後悔するということが何度かありました。

亡き祖父母も、亡き父も、健在の母もそういう風土で当たり前のように育ってきて、
男側の方は、そういう風潮に甘えてしまっている部分もあるなと、
自分自身も、自分の身内の男性を見ていても今振り返ると思います。
女性側の方は、それが物凄くしんどいと思うこともあった、でもしょうがなかった、と、
叔母などは話していました。
でも父などから「男は男らしくしろ」「男のくせに」などと言われると自分は何かイヤで、
少年時代や思春期にジュリーや忌野清志郎やデヴィッド・ボウイなどをTVで見て、
何か憧れる気持ちがありました。
メイクまでは出来ませんでしたが、子供の頃に恰好とかを真似しようとして親に怒られた思い出があります。
そして、「男らしくしろ」なんて普段は言っていた亡き父が、実は親戚に踊りの師匠みたいな人がいて、
趣味で女形になって、梅沢富美男みたいに踊っているのを見た時に、
何か普段(角刈にしてて自営で土建業関係の仕事でした)と全然違うやんけ!と思ったのと同時に、
何か妙な衝撃を受けたのも思い出です。
私自身の性自認は「男」ですが、「男は男らしく!」っていうのは何か古臭くて嫌だなと反発していた気持ちがあったのと、
九州の男尊女卑容認みたいな風土で育ったせいもあってか、無自覚に男尊女卑の感覚が身に付いてしまったところもあったかなと思うので、自分の中でもグラデーションがいろいろとあって、混沌としています。
だから、性自認の件で悩んでいる人、揺れ動いている人の葛藤や心のグラデーションはもっといろいろあるだろうなと想像します。
天皇陛下や皇族の方々に対して「やっていただいている」という感謝の思いがないと、相手を思いやって語れない、ということがあるのと同じく、性的マイノリティの人に対しても「思いやり」は大事だなと思う次第です。
「差別論」をひさびさに読み返しました。「天皇論」と「差別論」は、どこか根っこで繋がるテーマがあるように感じます。
>>72の、徴兵制に関する件については、難しいですね。
単純に身体の話だけでいうと、元が男の肉体だと、どうしても元が女の肉体の人よりは身体的に強くなってしまいますし、
ホルモン療法などをされている人は、身体も女性化していきますから、体力的にも女性寄りになっていくでしょうね。
しかし、心の問題は残されますね。

No.75 16ヶ月前

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