● ゴーマニズム宣言・第503回「『よしりん辻説法⑥ 恋愛論・完』とLGBT法」 私も、子供の頃は「オカマ」とか言われて育った方なので、「男らしさ」とか「女らしさ」って、いったい何なのだろうと思っています。人間の性格は千差万別で、自分がこうすると思っていても、相手が自分と同じようなことをするとは限らない。だから、「言葉」による意思伝達が必要になるわけで。それを一律に決めつけてしまうのは「差別」であり、「拘束」ではないのでしょうか? ドラえもんのアイテムに、「オトコンナ」というスプレーがあり、それを浴びると、男が女の、女が男のような行動をするようになるのですが、発表当時はしずかちゃんがサッカー、ジャイアンがあやとりに興じたり、のび太のパパが家事をし、ママがタバコを吸って、坐って新聞を読む場面は奇異な感じがしたのかも知れないです。しかし、今となるなでしこジャパンなどでもわかるように、違和感がまるでなし、だったりするわけです。 恐らく、男とか女とかの本質は、表面的なものではなく、もっと別なもののような気がします。顯著な違いは、妊娠とか出産なのでしょう。現在放映中の(今晩2回目の)フカキョンさんと福原遥さんのドラマもそのことがテーマみたいですが、福原さんの演じる役が、予期せぬ妊娠のために、大学進学とか、夢とかを捨てないとか悩む場面で、「(肉体面での)男性には絶対にわからない問題なのでは」と。昔読んだ「その日が来ればいいね」という前原滋子先生の漫画でも、高校生のカップルが18歳になった記念に初体験をしたら、同じく、で、結果、女性の方が「いろいろなものを失った。友達との楽しい会話など」と男を詰る場面があり、そのことをも思いました。 それは確かに肉体からくる構造上の問題から来るものなのでしょうけれども、もっと複雑な何か、ではないのか、と。(個人的な話になるけれども)「予期せぬ妊娠」だけではなく、「予期せぬ告白」も問題だったりする。それは異性だけではなく、同性でも起こりうることだ。場合によっては「キモイ」とかいう反応になり、それを「差別」だとか言うと、かえって周囲の反撥を喰らったりする。 ならば、男性とか女性というのは、外見的なものではなく、内面の魂とか性格とか個性とかいうもので、更に言えば、誰かを好きになるという行為は、「相手は星の数ほど存在する」とかいう問題でもなく、「その人でなければ駄目だ」とかいう話になり、そして、多くは身近な誰かだったりする。いったい、好きとか嫌いとかいうのは何なのだろう。その「反応」はどこから来るのか、先生のおっしゃられるような「ホルモン」の話なのか、「あいつがもかつくから」とかいう話にもなって、合理的な理由を求めても説明ができないような気がします。もっと、「神」の領域の話ではないか、生産性とかそういうもので理解しようとすると、大きな勘違いをするのではないか、と。 男女の違いとかいう話から大幅にずれました。これ以上記すと、話がややこしくなりそうなので、こんな程度にしておきます。むこうが「嫌いだ」「むかつく」「迷惑だ」という反感しか持たない相手には近づかない、それだけのような気がします。 このライジング発信された日に、TV東京で関ジャニ∞の番組で、ゲストの成田悠輔さんと美輪明宏さんの対談が放映されていました。美輪明宏さんは、成田さんの「88年生きてきて、面白いことはまだあるのですか?」という質問に、「宇宙は広く、その中のちっぽけな地球、さらにその中の日本、東京にいっぱいいろいろなことがあり、文化があり、飽きることはない」という回答をされていました。確かにそうかも知れないな、と。関連のありそうなことなので、記しておきます。 美輪さんはこんなことも。「原爆などを作った科学者は頭が悪かったのですか?」成田さん「物理学者は作りたいものを作るだけで、あまり深く考えすぎない」美輪さん「だったら、もっと考えすぎて欲しいものですね」 何だか、うまくまとまりませんでしたが、こんな感じです。
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● ゴーマニズム宣言・第503回「『よしりん辻説法⑥ 恋愛論・完』とLGBT法」
私も、子供の頃は「オカマ」とか言われて育った方なので、「男らしさ」とか「女らしさ」って、いったい何なのだろうと思っています。人間の性格は千差万別で、自分がこうすると思っていても、相手が自分と同じようなことをするとは限らない。だから、「言葉」による意思伝達が必要になるわけで。それを一律に決めつけてしまうのは「差別」であり、「拘束」ではないのでしょうか?
ドラえもんのアイテムに、「オトコンナ」というスプレーがあり、それを浴びると、男が女の、女が男のような行動をするようになるのですが、発表当時はしずかちゃんがサッカー、ジャイアンがあやとりに興じたり、のび太のパパが家事をし、ママがタバコを吸って、坐って新聞を読む場面は奇異な感じがしたのかも知れないです。しかし、今となるなでしこジャパンなどでもわかるように、違和感がまるでなし、だったりするわけです。
恐らく、男とか女とかの本質は、表面的なものではなく、もっと別なもののような気がします。顯著な違いは、妊娠とか出産なのでしょう。現在放映中の(今晩2回目の)フカキョンさんと福原遥さんのドラマもそのことがテーマみたいですが、福原さんの演じる役が、予期せぬ妊娠のために、大学進学とか、夢とかを捨てないとか悩む場面で、「(肉体面での)男性には絶対にわからない問題なのでは」と。昔読んだ「その日が来ればいいね」という前原滋子先生の漫画でも、高校生のカップルが18歳になった記念に初体験をしたら、同じく、で、結果、女性の方が「いろいろなものを失った。友達との楽しい会話など」と男を詰る場面があり、そのことをも思いました。
それは確かに肉体からくる構造上の問題から来るものなのでしょうけれども、もっと複雑な何か、ではないのか、と。(個人的な話になるけれども)「予期せぬ妊娠」だけではなく、「予期せぬ告白」も問題だったりする。それは異性だけではなく、同性でも起こりうることだ。場合によっては「キモイ」とかいう反応になり、それを「差別」だとか言うと、かえって周囲の反撥を喰らったりする。
ならば、男性とか女性というのは、外見的なものではなく、内面の魂とか性格とか個性とかいうもので、更に言えば、誰かを好きになるという行為は、「相手は星の数ほど存在する」とかいう問題でもなく、「その人でなければ駄目だ」とかいう話になり、そして、多くは身近な誰かだったりする。いったい、好きとか嫌いとかいうのは何なのだろう。その「反応」はどこから来るのか、先生のおっしゃられるような「ホルモン」の話なのか、「あいつがもかつくから」とかいう話にもなって、合理的な理由を求めても説明ができないような気がします。もっと、「神」の領域の話ではないか、生産性とかそういうもので理解しようとすると、大きな勘違いをするのではないか、と。
男女の違いとかいう話から大幅にずれました。これ以上記すと、話がややこしくなりそうなので、こんな程度にしておきます。むこうが「嫌いだ」「むかつく」「迷惑だ」という反感しか持たない相手には近づかない、それだけのような気がします。
このライジング発信された日に、TV東京で関ジャニ∞の番組で、ゲストの成田悠輔さんと美輪明宏さんの対談が放映されていました。美輪明宏さんは、成田さんの「88年生きてきて、面白いことはまだあるのですか?」という質問に、「宇宙は広く、その中のちっぽけな地球、さらにその中の日本、東京にいっぱいいろいろなことがあり、文化があり、飽きることはない」という回答をされていました。確かにそうかも知れないな、と。関連のありそうなことなので、記しておきます。
美輪さんはこんなことも。「原爆などを作った科学者は頭が悪かったのですか?」成田さん「物理学者は作りたいものを作るだけで、あまり深く考えすぎない」美輪さん「だったら、もっと考えすぎて欲しいものですね」
何だか、うまくまとまりませんでしたが、こんな感じです。