日にちがかわってしまいました。それでは、今号の感想なのですが…。 〇 ゴーマニズム宣言・第489回「マスク固執病」 また個人的な話を記します。ひょっとすると、私もマスク固執病と同じなのかもしれないです。 先日、とある仕事場で、「あなたは目的地までわざと迂回してあるいている。それは人から見ると怠けているように見えるから、やめなさい」と言われたことがあり、無理難題を言われている、と感じてしまったのです。 勿論、自分は怠けているわけでもなく、わざと迂回しているわけでもなく、要は真ん中をあるくのが恐ろしいのです(情けない話ですが)。 つまり、たとえ、人が周囲にいないとしても、世の中、何が起こるか分かったものではない。慎重にはしの方をあるいた方がよい。そう感じていたのかも知れません。 「あらさがしだ」「いいがかりだ」と抗議をしたところ、上司も激怒して「上の人に言ってやる、なぜ素直に人の注意がきけないんだ」という返答でした。 どうも、私が障碍がある、ということを忘れているみたいです。「時給を貰って仕事をしているのだから」と。確かに正論ですが。信号機と横断歩道の話と同じかも知れない。 という話と、今回のQ&Aの話の内容とが(直接ではないのですが)結びつくのです。 実を言えば、私は人前に出るのが怖くてたまらないです。「半目」とか「眠っている」とか言われる度に。以前からそうなのですが。 だから、ある意味、このコロナ禍とか呼ばれる自粛騒ぎはもっけの幸いだったとも言えるのですが、思うのは、「私の主張は認めないくせに、あなたがたは得体の知れない病原菌に必要以上に臆病になっているじゃないか」ということです。そんなに、自分に「ふつう」を求める廻りとは何なのか、と思うのです。 「前代未聞の事態だから」という答えになってしまうようですが。 だから、自分のコロナに関する意見は公的なものではなく、私的な因縁みたいなものかも知れないです。しかし…自己辯護ですが、この感情もとても重要ではないか、という気がします(前回でも、同じようなことを記したような気もしますが) なお、現在かよっている精神科医に言わせると、私は「睡眠障碍」ではないのでは、という意見でした。「ひょっとしたら仕事場の人はナルコレプシーのことを知らないのではないか」と。 そんなことで、このところ、調子が悪かったのですが…とりあえず、まっすぐあるく、は実践してみようかな、おそらくマスクを外せないという話と似ているのかも知れない、案ずるより産むが易し、ではないか、と。 「もう一つのトラウマ」についても。その当時にも、そのことは言われたわけです(会社の残業ノートに、自分が蒲団をかぶって寝ている絵を描かれたことがあった。そして、それは嫌がらせとは取られなかった…。そして、それは「自分が勇気を出してしたあること」とも結びつけられた、などなど…やっぱり、被害者意識、被害妄想なのかな?) 周囲が自分たちのした「噂」や「冗談」についても、責任をまるでとらない、という見地からも、この話は「コロナ」の話と結びつくのではないか、と(勝手に)思っています。私はずっと人に対して、感情を伝えられなくなっている、でもそれは恐らく異常で、滑稽なのであろう。 伊藤詩織さんのような、レイプ被害とかに比べたら、大したことがないのかも知れない。 とりあえず、3月13日に何が起こるのか、「期待」はしてみたいです。私は可能な限り、フェイスシールドやコロナ君マスクで、です。 (こういうことを言ったら、コアラ企画のかたがたに失礼なのですが)ひょっとしたら、コロナ君マスクでさえも、化粧省きのおしゃれと取られるのかも知れない、そんな「危懼」や「危殆」を抱きます。何とかマスク廃絶に近い情況まで、どうしても必要のある人以外は、です。こう記すと、また「あつくなりすぎている」なのでしょうか? ただ私が「ふつう」になればいい話、なのかな?
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日にちがかわってしまいました。それでは、今号の感想なのですが…。
〇 ゴーマニズム宣言・第489回「マスク固執病」
また個人的な話を記します。ひょっとすると、私もマスク固執病と同じなのかもしれないです。
先日、とある仕事場で、「あなたは目的地までわざと迂回してあるいている。それは人から見ると怠けているように見えるから、やめなさい」と言われたことがあり、無理難題を言われている、と感じてしまったのです。
勿論、自分は怠けているわけでもなく、わざと迂回しているわけでもなく、要は真ん中をあるくのが恐ろしいのです(情けない話ですが)。
つまり、たとえ、人が周囲にいないとしても、世の中、何が起こるか分かったものではない。慎重にはしの方をあるいた方がよい。そう感じていたのかも知れません。
「あらさがしだ」「いいがかりだ」と抗議をしたところ、上司も激怒して「上の人に言ってやる、なぜ素直に人の注意がきけないんだ」という返答でした。
どうも、私が障碍がある、ということを忘れているみたいです。「時給を貰って仕事をしているのだから」と。確かに正論ですが。信号機と横断歩道の話と同じかも知れない。
という話と、今回のQ&Aの話の内容とが(直接ではないのですが)結びつくのです。
実を言えば、私は人前に出るのが怖くてたまらないです。「半目」とか「眠っている」とか言われる度に。以前からそうなのですが。
だから、ある意味、このコロナ禍とか呼ばれる自粛騒ぎはもっけの幸いだったとも言えるのですが、思うのは、「私の主張は認めないくせに、あなたがたは得体の知れない病原菌に必要以上に臆病になっているじゃないか」ということです。そんなに、自分に「ふつう」を求める廻りとは何なのか、と思うのです。
「前代未聞の事態だから」という答えになってしまうようですが。
だから、自分のコロナに関する意見は公的なものではなく、私的な因縁みたいなものかも知れないです。しかし…自己辯護ですが、この感情もとても重要ではないか、という気がします(前回でも、同じようなことを記したような気もしますが)
なお、現在かよっている精神科医に言わせると、私は「睡眠障碍」ではないのでは、という意見でした。「ひょっとしたら仕事場の人はナルコレプシーのことを知らないのではないか」と。
そんなことで、このところ、調子が悪かったのですが…とりあえず、まっすぐあるく、は実践してみようかな、おそらくマスクを外せないという話と似ているのかも知れない、案ずるより産むが易し、ではないか、と。
「もう一つのトラウマ」についても。その当時にも、そのことは言われたわけです(会社の残業ノートに、自分が蒲団をかぶって寝ている絵を描かれたことがあった。そして、それは嫌がらせとは取られなかった…。そして、それは「自分が勇気を出してしたあること」とも結びつけられた、などなど…やっぱり、被害者意識、被害妄想なのかな?)
周囲が自分たちのした「噂」や「冗談」についても、責任をまるでとらない、という見地からも、この話は「コロナ」の話と結びつくのではないか、と(勝手に)思っています。私はずっと人に対して、感情を伝えられなくなっている、でもそれは恐らく異常で、滑稽なのであろう。
伊藤詩織さんのような、レイプ被害とかに比べたら、大したことがないのかも知れない。
とりあえず、3月13日に何が起こるのか、「期待」はしてみたいです。私は可能な限り、フェイスシールドやコロナ君マスクで、です。
(こういうことを言ったら、コアラ企画のかたがたに失礼なのですが)ひょっとしたら、コロナ君マスクでさえも、化粧省きのおしゃれと取られるのかも知れない、そんな「危懼」や「危殆」を抱きます。何とかマスク廃絶に近い情況まで、どうしても必要のある人以外は、です。こう記すと、また「あつくなりすぎている」なのでしょうか?
ただ私が「ふつう」になればいい話、なのかな?