>>189 やギさんの次の御指摘 「それでも皇室は世襲で無くてはならない特殊な御家です。 世襲で無くては伝えられない心を繋げなければならないと 急に気付かなければなりません。 今の世襲断絶の危機を見れば、 簡単に草民の中から、 血の繋がった者を 心の無い案山子として立てればよいものではありません。」 いまこのときに私たちが尽力すべきは「女性天皇・直系継承(絶対的長子相続制)」の実現です(*「絶対的長子相続制 abosolute primogeniture)」とは西欧諸国で採用されている、男女を問わず第一子が優先される制度のこと → 後述の君塚氏の著書中で紹介されている用語)。 それが前提ではありますが、長期的には、この「血の繋がり」という問題は、各自が自分なりに腹を据えて思索しなければならないテーマであるように思います。 血統、血が繋がっていること、それは生物学的に遺伝子を受け継いでいることを意味するのか、そうではなくて、何か科学を超えた親子間の不思議なつながりのことを指しているのか。あるいは「世襲」と「血の繋がり」は、必ずしも同義ではなく、微妙な違いがあるのか。たとえば、非常に幼いころから我が子同然に育てられた子供は、仮に生物学的な親子関係はなくとも、その親から特別な何かを引き継ぐことができるのか、あるいはできないのか。 仏教には、「血脈(けちみゃく)」という考え方があります。『日本大百科全書』には次のように説明してあります。 「一般には親族としての血のつながり、血統の意であるが、仏教では師から弟子へと連綿と教法が伝えられることを血のつながりに喩(たと)えて血脈相承(そうじょう)という。自己の継承した法門の正統性と由緒正しさとを証明するものとして、とくに中国、日本で重要視された。また相承の次第を記した系図そのものをも意味し、師は法を授けた証(あかし)として弟子にその系図を与えた。日本では仏教以外に芸道や連歌(れんが)、俳諧(はいかい)などでも同様の意で用いる。」 天皇という文脈においても、このような、血は繋がっていなくても心や精神や神髄のようなものは伝えられるという意味での「血脈相承」という考え方は意味を持ち得るのか、あるいは持ち得ないのか。 このあたり、時間をかけて考えなければならない問いです。 🐇🐇🐇… それはさておき、『立憲君主制の現在 ―日本人は「象徴天皇」を維持できるか― 』(君塚直隆著、新潮選書、2018年)という本を読んでいます。この人は、政府の有識者会議でも「愛子天皇・絶対的長子相続」を主張している方らしく、この本に書かれていることはとても勉強になります。日本の皇室は昭和帝以来、英国王室の在り方をひとつのモデルとして自己形成してきたこと。西欧諸国の王室は、激動する近現代において、積極的に自らの「形」を変えることで状況に対応し、その存続を図ってきたこと。アジア諸国でも、状況に適応すべく試行錯誤が続いていること。その現状と今後の課題、などなど。いずれのケースでも、現代において王制が存続するには、王室の人たちが民衆と親しく交わり、高い道徳性を保つこと、などがポイントになってくるようです。 こういう本を読んでいると、「男系血統」というたった一つの外面的要素しか見ない人たちが、どれだけ視野狭窄に陥っているかがよく分かります。 うさぎより
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>>189
やギさんの次の御指摘
「それでも皇室は世襲で無くてはならない特殊な御家です。
世襲で無くては伝えられない心を繋げなければならないと
急に気付かなければなりません。
今の世襲断絶の危機を見れば、
簡単に草民の中から、
血の繋がった者を
心の無い案山子として立てればよいものではありません。」
いまこのときに私たちが尽力すべきは「女性天皇・直系継承(絶対的長子相続制)」の実現です(*「絶対的長子相続制 abosolute primogeniture)」とは西欧諸国で採用されている、男女を問わず第一子が優先される制度のこと → 後述の君塚氏の著書中で紹介されている用語)。
それが前提ではありますが、長期的には、この「血の繋がり」という問題は、各自が自分なりに腹を据えて思索しなければならないテーマであるように思います。
血統、血が繋がっていること、それは生物学的に遺伝子を受け継いでいることを意味するのか、そうではなくて、何か科学を超えた親子間の不思議なつながりのことを指しているのか。あるいは「世襲」と「血の繋がり」は、必ずしも同義ではなく、微妙な違いがあるのか。たとえば、非常に幼いころから我が子同然に育てられた子供は、仮に生物学的な親子関係はなくとも、その親から特別な何かを引き継ぐことができるのか、あるいはできないのか。
仏教には、「血脈(けちみゃく)」という考え方があります。『日本大百科全書』には次のように説明してあります。
「一般には親族としての血のつながり、血統の意であるが、仏教では師から弟子へと連綿と教法が伝えられることを血のつながりに喩(たと)えて血脈相承(そうじょう)という。自己の継承した法門の正統性と由緒正しさとを証明するものとして、とくに中国、日本で重要視された。また相承の次第を記した系図そのものをも意味し、師は法を授けた証(あかし)として弟子にその系図を与えた。日本では仏教以外に芸道や連歌(れんが)、俳諧(はいかい)などでも同様の意で用いる。」
天皇という文脈においても、このような、血は繋がっていなくても心や精神や神髄のようなものは伝えられるという意味での「血脈相承」という考え方は意味を持ち得るのか、あるいは持ち得ないのか。
このあたり、時間をかけて考えなければならない問いです。
🐇🐇🐇…
それはさておき、『立憲君主制の現在 ―日本人は「象徴天皇」を維持できるか― 』(君塚直隆著、新潮選書、2018年)という本を読んでいます。この人は、政府の有識者会議でも「愛子天皇・絶対的長子相続」を主張している方らしく、この本に書かれていることはとても勉強になります。日本の皇室は昭和帝以来、英国王室の在り方をひとつのモデルとして自己形成してきたこと。西欧諸国の王室は、激動する近現代において、積極的に自らの「形」を変えることで状況に対応し、その存続を図ってきたこと。アジア諸国でも、状況に適応すべく試行錯誤が続いていること。その現状と今後の課題、などなど。いずれのケースでも、現代において王制が存続するには、王室の人たちが民衆と親しく交わり、高い道徳性を保つこと、などがポイントになってくるようです。
こういう本を読んでいると、「男系血統」というたった一つの外面的要素しか見ない人たちが、どれだけ視野狭窄に陥っているかがよく分かります。
うさぎより