Dr.U のコメント

>>195 ねこみみさん

 なんだか、ねこみみさんや、やギさん、みなさんに気を使わせてしまったようで、申し訳ありません。
 
 わたしも、基本的には、ねこみみさんと同じような考えです。ざっくばらんに言えば、「あぁ、男系だぁ? 昔のことは昔のこと、大事なのは今だろうが! こまけぇこたぁいいんだよ!」という気持ちです。

 ただ、以下のことだけは言わせてください。

 まず、男系固執派の「これまで男系だったんだから」という主張ですが、これは、旧皇室典範(明治22年)のときに皇位継承のルールとして明確に定められたルールを受けてのものではあるんです。

 旧皇室典範「第一條 大日本國皇位ハ祖宗ノ皇統ニシテ男系ノ男子之ヲ繼承ス」
 
 このような「男系イデオロギー」とでも言うべきものが、いつごろから明確に形をなしたかというと、どうやら17世紀・江戸時代の儒家神道の学者たちが言い出したことみたいです(目下勉強中)。ただし、その議論の強調点は、日本はシナとは異なり戦乱によって王朝交代が起きなかった平和な素晴らしい国なんだ、というところにあったようです。つまり、江戸時代の論客たちは天皇の血筋の古さは重視したけれど、それが「男系」であることはそこまで重視していなかった可能性があります。
 さらに、本居宣長みたいな国学者はもっとゆるくて、血のつながりよりも、いわば「皇室の精神性」が古代より受けつがれてきたことが大事と考えたらしい(…ということは、宣長が生きていたら、「大切なのは血の繋がりじゃない、小さい時から皇室の中で育って、皇族の皆様の薫陶を受け、その精神を引き継いでいるかどうかなのじゃ!」とかいう過激な意見を吐いたかもしれない?)

 ちょっと脱線気味しましたが、ともかくもこういう流れがあって、それが明治になると「男系」というところが強調され、そのまま今日に至る、ということのようです。以下は、現在の令和3年の有識者会議の公式見解です。

【皇室典範】
 「皇位継承資格を『皇統に属する男系の男子』に限定する。(皇室典範第1条)」
*男系・女系について
 「ここでは、男性のみで天皇と血統がつながる子孫を男系子孫という。」
 「ここでは、これ以外で天皇と血統がつながる子孫を女系子孫という。」
                     (令和3年有識者会議「皇室に関する法制度」より)

 そうしますと、これを「単に男系固執派が勝手に言っているだけのこと」で済ませるのは、ちょっと無理があります。私たちの真の論争の相手は、竹田とか八木とかではなく、明治期に男系イデオロギーを確立した井上毅のような人たちなのではないかと思います。

 また、「万世一系」のイデオロギーは、あくまでフィクションであって、史実とは区別されなければならないというのも、同感です。皇位継承の先例を歴史に求めるのならば、少なくともそれは、歴代天皇の中で実在が確実視されている継体天皇以降の事例を参照すべきであると考えます。そして、『日本書紀』の継体天皇以降の歴代天皇の継承例を見てみると、確かにそこには「男系の子孫による継承」という要素を認めることが出来るけれども、その「男系」という要素が、当時の人々にどこまで意識されてていたか、重要視されていたか、という問題は、別に考察されるべきでしょう。

 飛鳥時代、奈良時代、平安時代の人々は、どれくらい「男系の血筋」というものを重視(神聖視)していたのだろう、仮に平安時代に男系男子による継承が一般化したとしても、それは男系の血筋が特別だから、などといった理由からではなく、単に藤原氏が自分の娘を持続的に皇室に送り込むシステムを維持しようとしたからではないのか? …などなど、いろんな問いが思い浮かびます。

 いろいろ書きましたが、基本的に私の考えは、昔のことは昔のこと、今は今、でいいじゃないか、というものです。たしかに歴代の天皇の継承例を見ると、現代の皇室典範に記されている意味での《「男系」の子孫による継承》という原理が、古くから存在していたようには見える。ただし、だからといって古い時代に女性が政治的リーダーシップを持たなかったことにはならないし、また女性の血筋が軽視されていたということにもならない。広く日本史全体・日本社会全体を眺めれば「男系の血筋の原理」は決して日本文化の、日本の伝統の、本質的な部分であったとはいえない。そして新しい時代には、社会の変化に応じて皇位継承の在り方も変化すべきだ、するのが自然だ、というのが、私の考えです。

 そうなのですが…。こういうことを書くと怒られそうですが、「男系」とか「女系」とかの概念にこだわっているのは、私ではないのです。先の『ゴーマニズム宣言』の冒頭のセリフ、高森先生が問題があると指摘なさったセリフ、何と書いてありましたか。

 「日本は『10代8人の女性天皇』が存在するから、決して男系継承ではない。『双系継承』なのである。」

 冒頭に、いきなり、これですよ? 私は頭を抱えたくなりました。こういうことは、言う必要はないのに、言わなければいいのに…。「男系継承」という言葉は、上に述べましたように、男系固執派が勝手に言い出したことではなくて皇室典範のときから使われてきた、明確な意味を持った、それなりに歴史的な重みのある言葉です。そうである以上は、これまでの「男系」という言葉の使用例や意味を無視して、いきなり別の定義(男系とは父子関継承のこと、女系とは母子間継承のことである)に基づいて「決して男系継承ではない」などというのは、乱暴に過ぎるように思われます。また、その後の「双系継承」という言葉も、小林先生と、皇室問題ではその第一のブレインである高森先生とでその意味が全く異なっているというのは、あってはならないことではないでしょうか。

 小林先生の言いたいことは、もちろん分かります。歴代天皇の中にはたくさん女性がいて、強い政治的リーダーシップを発揮していた。女性の天皇からその実の子へと皇位が継承された事例もあった。古い時代には、男性の血筋だけでなく、女性の血筋だって、重要な社会的価値を持っていた。だから、愛子さまが天皇になる事も、その(将来の)お子様が継承権を持つことも、日本の伝統においてそんなに不自然なことではないんだ。そういうことですよね、小林先生が、そして私たちが言いたいことは。

 だったら、不用意に「男系」「女系」「双系」などの言葉を使って、男系固執派の歴史談義に対抗しようとするのは、もうやめましょうよ、と言いたくなるのです。それこそ、ねこみみさんがおっしゃるように、無視すればいいじゃないですか。無視しても、勝てますよ、この戦いは。高森先生は、歴史学者だからそういうことを言わざるを得ないのは分かるのだけれど、小林先生はそういう「言葉・概念をめぐる戦い」に首をつっこむ必要はないじゃないですか。

 つまり、「歴代の天皇は全て男系の継承」とか「元明→元正は男系の継承だ」と男系固執派が言ったとしても、「はいはい、まぁ明治の皇室典範以来の定義ではそうなるかもしれんが、だからといって日本の歴史で女性に宗教的カリスマや政治的リーダーシップがなかったことにはならんし、女性の血筋が価値を持たなかったということにもならんのだよ。日本の伝統では、全体としてみれば、女性は太陽だったのだよ。」と、ゆったりと構えていればいいじゃないですか。

 そんな感じです。
 うさぎより

No.202 24ヶ月前

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